ミカエルの慈悲
こんな地獄のような話と戦闘シーンを書いてて信じてもらえるかは分かりませんが、今書いてる章は日常シーン多めにするつもりでした。
……どうしてこうなった?
「あなたとここで保護されている人々の尊い命、そして脈々と続く魔法使いの血脈を、こんなところで終わらせるわけには参りません。どうか、どうかご決断を」
ヴァシリーの至って真面目な声音で紡がれた言葉。
そこに来てやっと、「エンゲルの魔女」ことティアナ・エンゲルの表情に分かりやすい変化が生じた。
先ほどまで俺やロザリーに向けていた母性はすっかり鳴りを潜め、心の内に秘めていた人を疑うような表情がじんわりと顔に滲み出る。
こっちが素だ、とまでは言わない。こんな深い森の中、外界との接触を避けて何世紀にも渡って世代を重ねてきた魔法使いの一族、エンゲル家。時には命を狙われ、時には魔法という才能が生む利権に目の眩んだ連中に言い寄られ、とてもではないが身内以外の人間を信用できない環境で過ごしてきたであろう事は想像に難くない。
アルカディアへ招こうとするヴァシリーの言葉が、ティアナの心の内に深く埋まっていた地雷を踏み抜いた―――俺はそう見ていた。
「……ごめんなさい、それは出来ない」
跪くヴァシリーを冷たく見下ろして、ティアナは突き放すように言う。
”敵”を見ているような目つきだった。こうして跪き、礼節の限りを尽くして接してくれているが、その紳士的な仕草の裏には下心がちらついている……彼女はそう思っているのだろう。
散々迫害され、またある時は利用されそうになり、もう誰も信用できない毎日。深い森の中、血縁者だけで身を寄せ合い、苦しい日々を乗り越えてきたエンゲルの一族の結束は思った以上に固く、そして外部の人間に対する敵愾心も相当なものであると見た。
しかしヴァシリーとしては、彼女のそういう返答も織り込み済みなのだろう。ぴしゃりと断られても、彼は意に介さなかった。
「私はあなた方を信用できない。一族の力……魔法を何かに利用しようとする輩は何度もここにやってきた。その度にお帰り願ったけれど」
「……」
「魔法研究者、魔術大学の教授、そして人権活動家。色んな人がここを探し当ててやって来たわ。ある時は魔法を世に広めるため、ある時は未知なる探求のため、またある時は人権問題の啓蒙のため。でもね、私たちには分かるの。何世紀も差別され、迫害され、こんな森の奥地に押し込められた”魔女”の末裔―――随分と立派な広告塔になるじゃない?」
エンゲルの魔女―――童話のモデルにもなるほど有名な一族ともなれば、世間の注目度がどのレベルになるかは計り知れない。確かに彼女の言う通り、広告塔としては申し分ないのだろう。
魔法の力を求めた研究者、未知の力を欲した落ち目の教授、人権ビジネスに目が眩んだ活動家。どれもこれもが下心を剥き出しにして彼女に迫り、他者に対する敵愾心をより一層濃いものにしたのは疑いようのない事実だ。
それと同類だと、ヴァシリーも見られている。
静かに、ヴァシリーは立ち上がった。
スーツの内ポケットからバウムクーヘンみたいな形状の機械を取り出し、そっと床に置くヴァシリー。携帯式の立体映像投影装置だと理解した瞬間、後ろに控えていた戦闘人形の兵士がスマホを操作して、立体映像を投影させた。
お菓子の家の中に、蒼い光が溢れる。
映像に浮かんできたのは、1体のオークだった。
オリーブドラブ色をした、疣だらけの肌。黄色く汚れた不揃いな歯にでっぷりと突き出たお腹。髪はぼさぼさで豚のような鼻をしており、猫背で立つ姿は原始人を想起させる。
魔物討伐でよく見る相手だ。
「……かつての、私の姿です」
思考が、止まった。
今……彼は、ヴァシリーは何と言った?
あれがヴァシリー? あの醜いオークが?
彼は魔物だったというのか―――言葉の意味を、このお菓子の家にいる誰もが測りかねていた。冗談ではないのか、とすら思う。人間が魔物だったなんて話、これまでに聞いた事がない。
嘘でしょう、とティアナが言う間もなく、ヴァシリーは畳みかけた。
「私の一族、パヴロフ家は代々エンシェントドラゴン”ズメイ”の呪いを受けながら世代を重ねてきました。遥か昔、イライナの大英雄【イリヤー・アンドレーエヴィッチ・リガロフ】の手により退けられた邪竜ズメイ。首を刎ねられしかの邪竜の血は呪いの塊となり、アラル山脈の麓にあった我々の祖先が住んでいた村を呑み込んだ」
映像が切り替わった。
当時の惨劇を描いたものなのだろう。山の斜面を伝い、濁流のような勢いで流れ落ちる呪いの塊『竜の血』。マグマさながらに流れるそれが村を呑み込み、触れてしまった人間を瞬時に崩壊させ、あるいは呪いを植え付けた。
「疫病や事故で当主は早死にし、私の母も天地戦争で竜人兵に犯された挙句殺されました。呪われた私の一族は、必ず不幸な目に遭う―――そう宿命付けられていたのです」
胸が締め付けられる思いだった。
俺たちからすれば、獣人たちこそ悪魔のような存在だった。俺たちの住む浮遊大陸を占領し、両親を殺したケダモノたち。捕まれば男は食料にされ、女はその性欲の捌け口にされてぼろ雑巾のようにいずれは打ち捨てられる。文明人らしき振る舞いも何も無い、野蛮人たちなのだと。
しかしそれは彼ら獣人から見ても同じだったらしい―――さすがに記録映像や写真は無かったのだろうが、立体映像には幼き日のヴァシリーが見たものと思われる映像が、生成AIでリアルタイムで生み出され、再生されているところだった。
「そして私もこの世に生を受けました……人の魂を持ちながら、しかし魔物の身体を持って生まれてしまった忌み子として」
「っ!」
聞いた事の無い話だった。
ヒトの心を持ち、魔物の身体で母親の胎から生まれてくる子供など。
少なくとも俺の知っている範囲では、そのような生まれ方をした子供の記録など―――聞いた事がない。
「それこそが邪竜ズメイの呪いだったのでしょう。醜い身体で日陰を生きよ……病でもなければ後天的な手段でどうにかなるものでもない。まさに宿痾としか言いようがありませんでした。しかしそれでも、私の母は私を息子として、1人の人間として愛情を注いでくれた。いつの日か本来の姿に戻れると、神様はお前の事をいつも見守ってくれているのだと、毎日のように言い聞かせてくれました」
ティアナの表情が、少しずつ変わっていった。
利権を求めてやってくる下衆を見る目から、彼を憐れむような目へと。
「母亡き後、私は途方にくれました。もう守ってくれる母親はいない。こんな姿で人間社会を生きていく手段もない。かといって魔物たちの蔓延る野生へ還るわけにもいかない―――まるで世界から全てを否定されたようだと、そう思いました」
映像が切り替わる。
あてもなく森の中を彷徨うオークの目の前に現れた、1人の小柄な獣人の姿。
「―――しかし、彼女だけは私を見捨てませんでした」
ミカエル・パヴリチェンコ。
レギオン『協商連合』の代表にして、構成員の多くから慕われる人物。初めて目にした時から得体のしれない女だと思っていたし、並大抵の転生者ではないのだろう。そうでなければ序列1位の座に長年君臨できるはずもない。
「ミカは―――彼女は私の目の前に現れるなり、親身になって話を聞いて涙まで流してくれました。そして錬金術を使い、私の身体を人間の身体へと再構築までしてくれた」
錬金術に関しては、俺は何も分からない。
極めて高度な知識と精度を要求される術である、という以上の事は。
しかし話を聞くティアナが目を見開き、ヴァシリーの顔を信じがたいような目で見ている辺り、それがかの有名な”エンゲルの魔女”にとっても常識を覆しかねない事なのだというのが分かる。
「聞いた事がない……肉体の再構築ができるレベルの錬金術なんて」
「……そんなに凄いのか?」
「ええ……」
ティアナは息を呑んで一瞬ばかり戸惑うような素振りを見せた。錬金術で人体を再構築する事がどれだけ凄い事なのか、どう例えればいいのか返答に窮したのだろう。
しかしすぐに口を開いた。
「人体の骨格、筋肉、毛細血管や神経の1本1本に至るまでを精密に構築、それを複数同時進行でやる。それもノーミスで……形状も骨格も筋肉の密度も違う魔物の身体から人間の身体を再構築するというのはそういう事よ。医学の知識だけではなく、魔物の身体に対する知識も無ければできるものではないわ」
「……!」
アイツ、あんな可愛い顔してとんでもない事をやってやがったのか……!
どんだけ規格外なんだと自分たちの組織のトップに驚かされている間にも、しかしヴァシリーの話は続いた。
「私だけではない―――彼女はそうやって、世界中から疎まれ、爪弾きにされた者たちに救いの手を差し伸べてきた。差別に苦しむ部族がいればアルカディアへと招き定住させ、行く場所のない傷病兵や帰還兵、戦災孤児たちがいると知れば快く迎え入れた。彼女は何の見返りも求めず、ただただ人を救い続けたのです」
ヴァシリーの言葉に熱が入る。
自分もミカエルに救われた者として―――彼女の慈悲は他とは違うと、弱者をビジネスにするような輩とは違うのだと力説するヴァシリー。その熱量に、ティアナが圧倒され始める。
「そして今、彼女はあなた方の話を耳にし心を痛めています。森の奥深く、アノマリーやゾンビが徘徊する危険地帯で、外界と隔絶された生活……大変お辛いでしょう。心苦しかった事でしょう。その苦難、我々が察するには余りある」
しかし、と両手を広げた。
立体映像が切り替わり、アルカディアで生活する人々の様子が映し出される。
「もう、隠れなくてよいのです。もう、魔女だなどとあなたを詰る輩はどこにもいない。もう、太陽の下を歩いてよいのです。我々協商連合はあなたを歓迎する。取り戻しませんか……あなた方の一族が、本来得る筈だった”ヒトとしての安寧”を」
バンッ、と唐突に窓に何かが叩きつけられた。
飴細工で出来た窓にはびっしょりと血が付着しており、よく見るとそれは人間の手の形をしていた。
ロザリーがDP-12を構えた次の瞬間だった―――バキャァンッ、と飴細工の窓をぶち破って、腐敗の進んだ子供のゾンビがついにお菓子の家に入り込んできたのは。
咄嗟にティアナに駆け寄り、庇うように立ちながらウィンチェスターM1897を構える。しかし俺がスラグ弾を放って子供のゾンビを吹き飛ばすよりも先に、1発の10㎜オート弾がその眉間をぶち抜いて、すっかり変色した脳味噌の破片を床へとぶちまけた。
どさり、と崩れ落ちる子供のゾンビ。
撃ったのは俺でもロザリーでもなく、ヴァシリーだった。
彼の手にはグロック40がある―――補強用のフレームを介し、両刃の銃剣が装着された異様なカスタマイズが施されたピストルが。
「……ふむ、汚染地域の拡大が予想以上に早い」
命令を出すまでもなく、護衛の2体の戦闘人形たちが動いた。M16A5を構えてドアの外へと向かい、2人で銃を構えながら周辺を警戒。発砲音が聞こえてこない辺りまだゾンビがこっちに気付いて押し寄せてきたというわけではないのだろうが……ここにもゾンビが殺到してくるのは、時間の問題と言っていいだろう。
「エンゲル様、選択の余地はないようだ」
「……そのようね」
彼女も心を決めたようだった。
「子供たちを避難させます。ここで保護している子供たち、老人、ケガ人……全員を受け入れてくれますか?」
「もちろん。我々はそのためにやってきたのです」
それに、とヴァシリーは続けた。
「既にミカは、彼女の祖国イライナに要請して食糧支援及び経済支援を確約しています。近い将来、ドルツはハイパーインフレを脱却し人民の暮らしは安定するでしょう。姥捨てや子捨てといった忌むべき行為も自然に消えていくかと」
ならばなおのこと、この森に留まる必要はない。
ティアナの方を振り向くと、彼女は首を縦に振った。
ドタタタタ、と外から銃声が響き始める。戦闘人形の兵士たちがゾンビ相手に発砲を始めたのだ。
残された時間は少ない。
「ヴァシリー、結構な人数が居るんだぞ。脱出手段は確保できてるのか?」
「それは心配ないよ」
ふふふ、と後ろで手を組みながら微笑むヴァシリー。
割れた飴細工の窓の向こうに、巨大な影が落ちた。
まさか、と思い身を乗り出して空を見上げる。
「……なるほど、全部”知ってた”ってわけか」
見上げた先―――木々の天蓋をぶち破って降下してきたのは、巨大な武装貨物船のどてっ腹。最低限の自衛用の武装を搭載し、船体両舷にコンテナユニットを搭載した武装貨物船『トキ』が、もうそこまで迫っていたのだ。
ヴァシリーのグロック40
協商連合代表補佐官という地位と諜報員という役職故に、ヴァシリーが自ら前線で戦う機会は非常に少ない。仮にあったとしてもそれは至近距離での突発的な銃撃戦である事が多く、一瞬の遅れが命取りになる事から、ヴァシリーは白兵戦を想定しグロック40のアンダーバレルに補強フレームを搭載。マズルガードとしても機能するそれを解し、刃渡り35㎝にも達する両刃の銃剣を装着している。
こうする事で武器を持ち替える事なく、射撃とナイフの斬撃を両立する事ができるのだという。しかしその特異な形状と、限定的な状況を想定したセットアップは癖が強く人を選ぶが、本人は「どうせ俺しか使わない」と気にしていない様子。
なお射撃も重要視しており、マガジンは標準でクリス・ヴェクターの10㎜オート弾仕様で用いる25発入りロングマガジンを使用。そのため25+1発という破格の弾数を実現している。
しかし普段はコンシールドキャリーで携行するグロックのコンパクトモデルを使用する事が多く、この銃剣付きグロック40が出てくるのは銃撃戦が想定される場合のみである。




