ヴァシリー
《リトルバードの発進を確認》
艦橋の窓から外を見ると、艦底部の格納庫から飛び立っていたヘリ『リトルバード』の豆粒のような機影が確かに見えた。黒く塗装されたそれはソーキルの艦載機ではない。ジル・ド・レからソーキルへ移乗する際にヴァシリーが乗ってきたものだ。
本来武装の無い筈のそれには自衛用なのか、スタブウイングとブローニングM2が1門ずつ搭載されている。
姥捨ての森の中心部、エンゲルの魔女の家があると目されているエリアへと姿を消していくリトルバード。あの男ならヘマはするまい、と確信を抱きながら、ヴォイテクも指示通りに作戦を開始する事にした。
「面舵30、左砲戦用意」
「おもーかーじ、30」
どう、と艦首のスラスターが青い炎を放った。
安定翼のラダーが稼働、ソーキルの船体が右へと進路を変更し始める。やはり巡洋艦になった分、駆逐艦時代よりも動作が重い。エンジンの馬力を上げ、機動力確保のために姿勢制御スラスターを搭載しているとはいえ、ソーキルに長く乗っているヴォイテクやソコロフ達には目に見えてわかるほどの変化だった。
後続艦のチャイカ、カナレイカの2隻も旗艦ソーキルに合わせて進路を変更。前部甲板に搭載された20.3㎝連装砲を左へと旋回させ、砲戦準備を整える。
ぱっ、と桜色の信号弾が昼下がりの空へと打ち上げられる。
双眼鏡でその地点を確認するなり、ヴォイテクは不在の砲雷長に代わって命じた。
「照準誤差修正、仰角プラス2度。旗艦指示の目標、交互撃ち方」
巻き込まれるなよ―――ラウルたちならばそんなヘマはするものか、と確信を抱きつつも、しかし支援砲撃の瞬間だけは祈らずにいられない。
彼女らは常に前線で戦っていて、支援砲撃とは前線を切り開くために放たれるからだ。
「全艦撃ち方始め」
「撃ちーかたー始め!」
3隻の巡洋艦たちが、砲火を放った。
召喚したワルサー・カンプピストルに信号弾を装填し、銃口を空へと向けようとして顔をしかめる。
姥捨ての森の樹々は日光を浴び、肥沃な土壌ですくすくと育っている。そりゃあ毎日のように人が捨てられ、ゾンビとなり、やがては朽ちて土へと帰ってゆくわけだから肥料には困らないのだろう。
ともあれ、伸びに伸びた樹の枝が邪魔だった。俺の脚よりもぶっとい枝が縦横無尽に張り巡らされて天蓋を形成しており、木漏れ日すらも遮られて森の中は常に薄暗い。周囲の植物の成長を妨げてしまうほどなのだから、銃弾で撃ったところで簡単には折れまい。
無論、信号弾の通過も絶望的だった。
やっべどうしよ、と次の一手に窮したそこに、颯爽と駆け寄ってくる黄金の影。
瀟洒なマントやテイルコートが泥で汚れるのも厭わずに駆け付けたクロエ。タボール7の保持をスリングに任せたかと思いきや、素早く右手を伸ばして鞘の中の大型レイピアを引き抜いて、その切っ先を高く掲げた。
彼女の持つレイピアは、傍から見ても大型だ。貴族が決闘に用いるようなものと比較すると実用性を重視しているのだろう、装飾の類は最小限だ。その剣身は杭のように太く、レイピアと騎兵槍の中間といった塩梅だろうか。
それをこれ見よがしに掲げるクロエ。
風の流れが、変わった。
「ボクに任せたまえ!」
にっ、と快活に笑うクロエ。闇を払う希望の如きその笑みも、しかしすぐに戦士の顔へと変わり果てる。
掲げた剣を、縦に振り下ろした。
斬撃の奇跡をなぞるかのように、空間に残留した風属性の魔力が間髪入れずに射出される。コンプレッサーが生じる圧縮空気がそよ風に思えてしまうほどの圧力で押し固められた空気の斬撃。それは周囲の空気を巻き込み複雑な気流を生じながらも真っ直ぐに飛翔するや、空を塞いでいた森の天蓋を真下からぶち抜いた。
バキバキバキ、と太い樹の枝がぶち折れる。毎日のように死体を栄養としているからなのだろう、樹の断面はうっすらと赤く、漏れ出る樹液もどこか血のような色合いに思えた。
クロエがこじ開けてくれた空に向かい、信号弾を発射。煙を吐きながら空へ空へと駆け上がっていったそれは青空の只中で眩い光を放つと、空の向こうにいるであろう味方の艦隊に支援砲撃を撃ち込むべきポイントを指し示す。
ダンプポーチの中にカンプピストルをぶち込んで、とにかく全力で走った。
「走れ、走れぇ!!」
「フルールさん、ジョギングの時間ですよ!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁマジかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
砲弾はミサイルのように”賢い”兵器ではない。狙った目標に性格に飛んでくるというよりは、とにかく数を撃って相手を加害範囲に巻き込むというのが主な使い方だ。特に榴弾を用いた砲撃はその傾向があって、つまるところ砲撃を要請した地点の周囲は短時間で地獄と化すことになる。
とにかく全力で突っ走った。目の前に出てきたゾンビにはドロップキックをお見舞いして転倒させ、奴が起き上がるよりも先にブーツで頭を踏み砕いてとにかく走る。
倒木を乗り越え、地面から隆起したでっけえ樹の根のトンネルを潜ったところで、ドォン、とどこか遠くから地鳴りのような音が響いてきた。
支援砲撃だ―――どの程度の距離なのかは分からないが、音の響き方からするともう砲弾は放たれた後だろう。
じゃあそろそろかな、と思いつつ後ろを振り向いたところで、ゾンビ巨人の前方、ちょうど大量の死体の山が出来上がっていた場所が唐突に爆ぜた。まるであの地面の下をマグマが流れていて、それが何かの拍子に吹き出してきたかのよう。爆ぜた地面が死体を舞い上げ、飛び散る破片と爆風、衝撃波が周囲の全てを傷付ける。
刃のような破片に首から上を捥ぎ取られ、数体のゾンビが倒れ伏した。
フルールを倒木の影に押し込んだところで後続の砲弾も続々と着弾。クラスター爆弾さながらに地面が抉れ、ゾンビや巨人たちが吹き飛ばされていく。
パチンッ、と枯れ枝をへし折るような音がすぐ近くから聴こえた。砲弾の破片がこんなところまで飛んできたのだ。砲撃の着弾地点から遠く離れた場所でも破片で負傷する恐れがある―――だからこそ砲撃は恐ろしいのである。
俺も倒木の影に転がり込み、後は仲間たちと一緒に耳を塞いで口を開けた。内臓と聴覚を守るためだ。
それからどれだけの時間が経ったのだろうか。
砲撃がピタリと止まり、恐る恐る顔を上げた。
ゾンビたちは皆、ただの肉塊と化していた。人間だったものが、魔物だったものが、動物だったものが、爆発で千切られ、破片で引き裂かれ、衝撃波でぐちゃぐちゃにされて、陽の光が当たらないが故に湿っている土壌と攪拌されて何とも言えない光景になり果てている。
巨人はもう、跡形もなくなっていた。
いや―――まだだ。
「……マジかよ」
少し、派手にやり過ぎたかもしれない。
濃厚な血の臭いに誘われたか、それとも銃声や砲声に刺激されたか。
森の向こう側、暗闇の中から滲み出すかのように、ぞろぞろと現れては木漏れ日を浴びて顕わになる人影たち。どれもこれもが酔いつぶれたかのような千鳥足で、しかしよく見るとそのシルエットは頭の一部が欠けていたり、四肢が欠損していたり、腹からだらりと腸が飛び出していたりと死体同然であった。
歩く死人たち。
その後方からやってくるのは、無数の死体が合体した巨人の群れ。
いまだかつてないレベルの死者の軍勢を前に、息を呑む。
「……どうします、ラウルさん?」
クラルテが問うてくるが、答えは決まっている。
「―――やるっきゃねえだろ」
ロザリーとユリウスとも合流できていないし、俺たちはその”エンゲルの魔女”とやらの場所まで未だに辿り着けていないのだ。こんなところで尻尾巻いて逃げるなんてできるわけがない。
「ラウルよりソーキル、ラウルよりソーキル」
《こちらソーキル》
「前方にゾンビの大群だ。引き続き支援砲撃を要請」
《了解した》
徹底抗戦だ。
戦え―――命ある限り。
外が急に騒がしくなった。
爆音に銃声、それからこの世のものとは思えない咆哮。
目を細め、ティアナは窓の前に立った。窓の向こうには相変わらず綺麗な森の風景ばかりが広がっており、遥か彼方で繰り広げられているであろう戦いの様子などは窺い知る事も出来ない。
しかしきっと、ティアナには見えているのだ―――森の中で今、何が起こっているのか。
何となくだが、俺にも分かる。
―――ラウルたちだ。
アイツらが戦っているのだ。
「……あなた方の仲間、かしら」
「だろうな」
さて、これからどうするか。
エンゲルの魔女ことティアナ・エンゲルが悪人ではなく、むしろ帝国に遥か昔から迫害されてきた一族の末裔であり、加害者どころか被害者である事が分かった。
それどころか、この姥捨ての森に捨てられた人々をお菓子の家で保護しているという事も。
排除の必要性は微塵もない。
が、しかし。
ありのままを当局に報告して、大丈夫だろうか。
そんな不安が生じた。
今のドルツ帝国当局にとって、大昔から魔女と呼ばれ畏れられてきたエンゲルの一族はさぞ扱いづらい存在だろう。魔女だから恐れられて当たり前、異端だから火炙りにされて当たり前―――そんな差別意識は根強い。
「エンゲルの魔女は善人だった」と報告して、いったい誰が信じるというのか。
むしろそれを無かった事にするために、当局が軍隊を差し向けてくる可能性だって……。
かといって彼女たちをこのまま危険な森の奥に残していくのも、と考えたところで、コンコン、とクッキーのドアをノックする音が響いた。
誰だ。ラウルたちか?
「……違う」
俺よりも嗅覚が鋭いロザリーが首を横に振る。
「ラウルじゃない」
「……」
「だってあの人、香水なんてつけないもの」
鋭いな……そんな細かいところまで。
ともあれ、ラウルたちが何とかゾンビの群れやアノマリーを突破してここまでやってきた、という淡い希望は潰えたわけだ。俺たちじゃあない、そして普段このお菓子の家を訪れる人間なんぞそうそういない。
それに先ほど、爆音に紛れて微かに何かのエンジン音のような音が聴こえたような気がしたが……?
じゃあ来訪者は誰なのか。
ウィンチェスターM1897に手を伸ばし、着剣したそれの銃口をドアへと向けて息を呑む。
ガチャ、とティアナがドアを開けた。
「やあやあキミたち」
2名の護衛の兵士を引き連れてそこに立っていたのは、真っ黒なスーツにグレーのワイシャツ、赤いネクタイに黒い山高帽を被ったエルクの獣人男性だった。顔立ちの整った伊達男といった感じで、こんな所にいるよりも銀幕の向こう側で活躍してそうな、とにかく戦場の似合わない男といった印象が強い。
頭から生えているのは木の枝のように立派な、エルクの角だった。
協商連合の代表補佐官、ヴァシリー。
ミカエルの親友であり腹心、組織の№2である。
後ろにはマルチカム迷彩のコンバットシャツにコンバットパンツ、プレートキャリアにFASTヘルメットを装備した2名の兵士が控えていた。両手でM16A5を携えており、ホルスターの中にはグロックもある。
しかしその表情は生気が抜け落ちたかのようにどこか無機質だ。人間ではなく戦闘人形なのだろう。協商連合は人的損失を恐れるあまり、戦争行為の殆どを無人兵器に依存しているという特徴がある。
俺たちに軽い挨拶を済ませるなり、彼は家の中に足を踏み入れて、視線をティアナの方へと向けた。被っていた山高帽を手に取るなり深々と一礼。その仕草はまるで教養に満ち溢れた旧き良き紳士のそれで、礼節を弁えた彼の所作にティアナもそれほど悪い印象を抱いていないらしい。
「はじめまして、エンゲル様。私は”ヴァシリー・イリーチ・パヴロフ”。ミカエル・パヴリチェンコ代表の信任を受け、レギオン協商連合の代表補佐官を務めさせていただいております」
「これはどうも、ご丁寧に。私はティアナ・エンゲル。他の皆さんからは”エンゲルの魔女”と呼ばれています」
それでご用件は、とティアナが問いかけると、ヴァシリーの顔が一気に真剣な表情へと変わった。
「―――あなたをお迎えに上がりました、エンゲル様」
「……ヴァシリー、いったいどういう事だ?」
「ミカに指示された事だよ、ユリウス君。この森は危険すぎる」
稀有な魔法使いを残しておくのにも、そして捨てられた人々の保護施設としても。
「我々は浮遊大陸”アルカディア”を拠点に活動しております。そこにはこの世界から爪弾きにされた、多くの人々が暮らしています。民族や障碍者、性別、人種、言語、文化……それらに関係はありません。この度私がここへと派遣されてきたのも、あなた方とここで保護されている人々を、より安全な場所へとお連れするため」
そっと床に跪くヴァシリー。
それに倣うように、護衛の戦闘人形たちもそっと跪いた。
まるで王国の女王と謁見を果たした騎士のような、そんな所作だった。
「あなたとここで保護されている人々の尊い命、そして脈々と続く魔法使いの血脈を、こんなところで終わらせるわけには参りません。どうか、どうかご決断を」




