ティアナ・エンゲル
『ではあなたは強盗が入ってくる可能性のある治安の悪い地域で、自宅に施錠もせず過ごすのですか?』
ミカエル・パヴリチェンコ、協商連合の急激な軍拡を「軍国主義では?」と指摘するマスコミ関係者に対して発言
状況は最悪だ。
火力の要だったスタッグハウンド装甲車は喪失。ユリウス、ロザリーの2人とは分断されてしまい通信は繋がらない。救援を要請しようにもこの森の中からソーキルへは通信圏外となっていて通話も出来ず、他の冒険者ギルドに救援要請できるあてもない。
おまけに後方には例のアノマリーと大量のゾンビの群れと来た。伝令を出そうにもあの危険地帯を突っ切っていかなければならず、一番安全なのはユリウスとロザリーの2人と無事に合流できる事を祈りながら前に進むしかない、という笑えない状況であった。
10.5インチバレルのMARS-Lで森の中を警戒しつつ先へと進み、安全を確認。後続の仲間たちに敵がいない事を伝えつつも、警戒心は微塵も緩めない。
先頭を進むのはもちろん俺だ。イヌ科の獣人という事で特に”嗅覚”に関しては右に出る者はいないという自負がある。風向き次第で精度が左右されてしまうという不確実性があるが、そこは最後尾に戦闘経験豊富なクロエを配置、その前に同じくイヌ科の獣人(キンイロジャッカルの獣人だ)であるフルールを、そして俺の後ろに前方後方どちらにでも素早く火力支援を提供可能なクラルテを配置するという陣形で、何とか上手いことやっているつもりではある。
ひょこ、とバックパックからさっき拾った仔狼が顔を出した。すんすん、と鼻を鳴らしては首を傾げ、すんすんと念を押すように嗅覚で索敵をする。
「どうだ、何か変な臭いでもするか」
【んー……森の奥の方が空気がきれい】
「……だよな」
先ほどから俺も同じ感想を抱いていた。
森に入ったばかりの頃はというと、とにかくもう腐臭が酷くて鼻が曲がりそうだった。魚とか肉の腐った臭いって嗅いだ事あるだろうか。あれがもう何十倍にも何百倍にも濃縮されたような酷い有様で、昼飯を盛大にぶちまけずに済んだのは幸運だったと言ってもいいだろう。
あれだけの数のゾンビである。人間、動物、魔物……種族が何だろうと関係ない。全員が皆等しく死んでいて、等しく腐臭を放っていて、等しく生者を喰らう化け物となっていた。この世の地獄という概念が本当に存在するのであれば、それはきっとあの光景の事であろう。
ああいう光景を見てみると、ものすごく冒涜的な表現になってしまうけれども、この世界で最も平等な概念とは『死』ではないだろうかとすら思えてしまう。
だってそうじゃないか。男だろうと女だろうと、子供だろうと老人だろうと、人種、言語、性別、その他諸々の一切合切に関係なく死は訪れるのだ。人間がどれだけ多様性だの反差別だの人権を叫び、それがさも尊いかのように謳っていようとも、死の足元にはきっと及ばないだろうし、未来永劫それは変わらないだろう。
人権派の活動家よりも、平等に命を刈り取る銃弾や疫病の方がよっぽど親切で平等、多様性に配慮してくれている。これは笑っていいところなのだろうか。
まあ、だからといって大量の死を呼び込む戦争が”平等の具現”だなどとは思わないが。
結局はSNSでクソリプを飛ばしてくる話の通じない奴をブロックし、見たいものだけを見てジャンクフードや炭酸飲料を摂取しているのが一番健全なのだ。
あの頃が恋しいな、と思いながらも過去の思い出を頭の隅に追いやって警戒を継続。先ほどから抱いていた違和感に切り込んでみる。
―――森の奥の方が、確かに空気は澄んでいる。
腐臭や血の臭いなんて一切感じない。人間の手が付けられていない、旧き良き大自然そのままのようだ。樹々の発する新鮮な酸素と水の流れる音、小鳥たちの囀りに草花の香り。頬を掠める暖かな風。
背後の地獄がウソのようだ。
「どういうことだ?」
【わからない。俺、森に逃げてきたの昨日だから】
「そうなのか」
【うん。住処を追われて……】
そりゃあ辛かったな、と仔狼の頭を優しく撫でてやった。指先をぺろぺろと舐めてくる感触にいとおしさすら感じていると、後方でMG4Kを装備し警戒していたクラルテが興味深そうな顔で訪ねてきた。
「その子、何て言ってるんです?」
「森の事はよくわからないって。昨日ここに逃げ込んだばかりみたい」
「そ、そうなんですか……私にはその、わんわん言ってるようにしか聴こえなくて」
バックパックから顔を出している仔狼の頭を撫でるクラルテ。狼の仔、といってもパッと見て仔犬にも見えるレベルである。丸くてふわふわもふもふで、柴犬とかシベリアンハスキーとかその辺の仔犬にも見えなくはない仔狼氏。
「可愛いですねぇ~♪」なんて言いながら仔狼を撫でるクラルテ。やはり動物と触れ合うのは人間の心理的にも良い影響を与えるものなのだろう。極度の緊張状態にあった仲間たちの顔にも笑顔が戻り始める。
ちなみに当の仔狼氏はというと、【うおこのメス乳でっか!!!】などと仔狼にあるまじき発言をしておられました。もちろんその声は同族たるハイイロオオカミの獣人の俺にしか聴こえておりません。巨乳認定を喰らったクラルテの耳にはちょっと興奮気味に「わんわんわおーん!」と鳴いているようにしか聴こえていない筈だ。
この仔狼オスだな、間違いない。
まあいい、緊張の糸もおかげで適度に緩んだ。
今はとにかく進むしかあるまい―――ユリウスとロザリーの2人と、無事に合流できる事を信じて。
テーブルの上に並んだ鹿肉のスープとパンを見下ろしながら、どうするべきなのか答えに窮していた。
香りは良い。香辛料を使い、じっくりと鹿肉を煮込んだのであろうスープには脂が浮かび、柔らかそうなニンジンやジャガイモも入っているのが分かる。一目見ればごちそうだと分かるほどだ。
しかし―――素直に口にしていいものか。
俺たちをこのお菓子の家に招き入れ、食事まで振舞ってくれたこの”魔女”。先ほどからニコニコと、母星に満ちた笑みを浮かべている。それこそあんな状況を潜り抜けてくれば、プライドなんぞかなぐり捨ててこの溢れんばかりの母性に身を委ねてもいいと思ってしまえるほどに。
けれども、だ。
天地戦争という極限状態を生き延び、人間の醜悪な部分を嫌というほど目にして生き延びてきたからこそ、俺もロザリーも学んだ事がある。
それは【善人を簡単に信用してはいけない】という事だ。
表情で、言葉で、とにかく巧みにこちらの警戒心を剥がそうとしてくる。この人もしかしていい人なんじゃ、なーんて思ってガードを下げ油断してしまったら最後だ。その瞬間に何もかもを奪われ、骨の髄までむしゃぶり尽くされる。
後には何も残らない。
だからとにかく初対面の相手に関しては警戒するよう心掛けている。一歩距離を置いた付き合いを維持し、相手が完全に安全な人物だと理解できてからだ。気を許してやるのは。
良い例がラウルだったな、と義理の弟―――いやいや待て待てそんなのお兄ちゃん許しませんよ。
「食べないのかしら?」
食事に手を付けずじっとしていると、痺れを切らしたのか、それともこちらの心の中を見透かしたのか、”魔女”は笑みを浮かべたまま優しい声で問いかけてきた。
ちょっとだけドルツ訛りがあるが、それでも十分に流暢な竜人語だった。語学の知識があるのか、それともこれも何かの”魔法”なのか。
いずれにせよ油断はできない。
お菓子の家の芝生をもっちゃもっちゃしていたロザリーも、さすがに得体のしれない人物の用意したスープに口を付けるような愚は犯さない(飴細工の芝生を喰うのも大概だが)。残酷な世界で生き抜く術は、しっかりと骨の髄まで染みわたっているようで安心した。
「安心しなさいな、毒なんか入ってないわ」
安心させようとしているのだろう、”魔女”はパチンと指を弾いた。何も持っていなかった筈の真っ白な手の中には、いつの間にか木製のスプーンが握られていて、いったいどんな手品を使いやがったのかと俺もロザリーも目を丸くする。
しかしそんな俺たちを他所に、”魔女”はそのスプーンで自分の分のスープを口へと運んだ。
「ん、ちょっと塩気が強かったかしら。ごめんなさいね、お口に合わなかったら棄てちゃっていいから」
「……」
失礼なのを承知の上で、スープの匂いを嗅いでみる。
香辛料の匂い。肉の臭み消しと言えば聞こえはいいが、毒物の匂いを消すためでもあるのだろうか。俺たち竜人も嗅覚は鋭い方だが、しかし狼や犬などの嗅覚と比較すると数段劣るレベルだ。こんな時にラウルがいてくれたらな……とアイツの事を想ってしまう。
「まあ、そうよね」
観念したのか、それとも呆れたのか。しかし笑顔は絶やさずに”魔女”は音を上げた。
「初対面の人を信用できない気持ちも分かるわ。このご時世ですもの」
「……本当に善意でこうして貰っているのなら申し訳ない」
「いいの、気にしないで」
機嫌を損ねた様子はない。むしろ、内向的でまだ心を開いてくれない子供の出方を見守る年上の女性のような余裕すら”魔女”にはあった。
「私はティアナ。【ティアナ・エンゲル】」
―――エンゲル!
そのファミリーネームを聞いた途端に警戒レベルが一気に最高に達したのが分かった。
間違いない、コイツ自分で名乗りやがった。
エンゲルの魔女―――この森に遥か昔から住んでいるという正真正銘の魔女の一族。大昔に魔女狩りによる迫害を受けてこの森に隠れ潜むようになり、人間を恨みながら細々と生きているのではないかとされている。少なくとも俺が調べた限りでは、そういう噂がドルツにはあった。
だからドルツ帝国はエンゲルの魔女を脅威として見ているのだ。
「あなたたち、その恰好からすると冒険者……なのかしら? 見慣れない銃に見慣れない服装、でもよく訓練されている。優秀な戦士のようね」
「……」
「ね、そっちのお嬢さん。さっきから私の隙を伺っているようだけど」
ロザリーの手がグロック40に伸びそうになったのを見て、俺は視線で彼女を制した。
よせ―――まだ彼女が敵かどうか分かったわけじゃあない。
俺らの目的はあくまでもエンゲルの魔女の真相解明だ。敵か味方か、噂が本当なのか。それを見極める事であって、彼女を撃ち殺す事が目的ではない筈だ。少なくとも彼女が、敵意を剥き出しにし「脅威である」と断ずるに足る存在と明らかになるまでは。
「撃ちたいならば撃ちなさい。それであなたの気が済むなら、ね」
「……申し訳ない、そういうつもりじゃあないんだ。俺たちの仕事は」
「―――私たち”エンゲルの一族”について調べて来い、とでも言われているんでしょう?」
「……」
沈黙が肯定となった。
「良いのよ、慣れてるから」
「……正直、俺たちはまだあなたを信用できない。どういう人かも分からないんだ」
「そうよね、初対面だもの」
やはり、彼女の笑みは崩れない。
真顔があの母性溢れるスマイルなのではないか、とすら思えてしまうほどだ。冷笑でもない、他者を欺くための笑みでもない。ただ心の底から、俺たちを案じてくれているかのような―――この人って本当は良い人なんじゃないか、と信じさせてしまうような純粋極まりない笑顔。
こうして警戒し続ける事に罪悪感すら抱かせて来るのだから恐ろしい。
「じゃあ、私の事を知ってもらおうかしら―――私たち”エンゲルの一族”の事を」
そうすれば親近感も湧くでしょう、と母性に満ちた笑みを浮かべながら、ティアナ・エンゲルは語り始める。
迫害され、こんな森の奥深くへと押し込められてしまった彼女の一族―――エンゲル家の物語を。
観測歴38000年7現在のチェルノボーグ級の建造状況
1番艦『チェルノボーグ』 就役済み
2番艦『ベロボーグ』 建造中
3番艦『ストリボーグ』 建造中
4番艦『ダージボーグ』 建造中
5番艦『スヴァローグ』 予算獲得、建造開始
また後続艦の建造計画として【トリグラフ計画】が発令中




