『エンゲルの魔女』
【やはり、ドルツの惨状は予想通りか】
「ああ」
自室の机の上で身体を丸めるハクビシンの口が、よく見知った親友の声で言葉を紡ぐ。ミカエルの意識が憑依したハクビシンの使い魔からは、向こう側にいるミカエルの表情は伺えない。しかしその言葉の節々からは”視た”通りのドルツの惨状を憂うような、飢えに苦しみ貧困に喘ぐ人々の現状に心を痛めるような彼女の心境が伺えた。
ヴォイテクはミカエルがどういう人間か、よく知っている。
自分の事よりも相手の事を優先してしまうタイプだ―――困っている人が居ると放っておけず、自分の身を顧みずに相手のために尽くそうとする危うい一面があり、その度に周囲の仲間たちはヒヤリとさせられている。
【既にイライナを通じ、ドルツへの食糧・経済支援を確約している】
「……見返りは?」
協商連合は慈善事業じゃねえんだぞ、と言外に告げるヴォイテクの声には、現場で現実を目の当たりにしたが故の重さがあった。
無論ミカエルもそうだ。理想を抱きはするが、まず現実をよく見る。細かいところも含めてすべて、だ。
理想や主義だけを掲げ、実体の伴わない理想主義者とは違う。ミカエルは現実をよく見て、手札の中から常に最適解を導き出す―――そういう指導者なのだ。だからヴォイテクが指摘するまでもなかったが、しかしそうせずにはいられなかった。
今のドルツには、食糧支援や経済支援を受けても返せるものがない。
インフレで価値が暴落に暴落を重ねたマルクブルク紙幣では、たとえ10億マルクブルクもの大金をかき集めたとしても―――イライナでは1ヴリフニャ(※ヴリフニャ=イライナの通貨)にすらなりはしないのである。
金塊やダイヤで対価を支払えとでもいうのか。
「……お前ならどうせ”視て”るだろうがな、今日でパン1斤の価格が30億マルクブルクを超えたんだぞ」
【分かっている】
「どうするつもりだ?」
【彼らの軍事力をイライナに買ってもらう】
察しがついた。
今のイライナの情勢を鑑みれば妥当、むしろドルツ帝国という後ろ盾を得る上でも最良の一手となるだろう。
イライナはドルツに経済・食糧支援を行いこの混乱の早期収束のために努める。その代わりにドルツはその軍事力を以て、万が一イライナにノヴォシアが侵攻する事があれば全力でこれを支援する。
有事の際に備えた”投資”というわけだ。
現在、イライナは隣国ノヴォシアからの侵略の脅威に晒されている。
帝政ノヴォシア時代、イライナは帝国の食料生産の8割を担ってきた。それがノヴォシア革命のどさくさに紛れて独立し、更に天地戦争という1世紀もの世界大戦の追い打ちを受けて今のノヴォシア国内は悲惨な事になっている。
特に食糧問題が深刻であり、ノヴォシア側は『我ら両国は民族的ルーツを同じくする兄弟国家である』としてイライナに再度の統合を促し、これを突っぱねれば国境付近で軍事演習を行うなど強硬な姿勢を崩していない。
もしいざ開戦となれば、イライナには既に協商連合に加え、アニー率いるS&Dという強力な後ろ盾が存在する。加えてミカエルが有事を見据えて策定したイライナ国防計画、通称『ミカエルプラン2.0』も即座に発動。ミカエルが単身でノヴォシア共産党首脳陣に対する斬首作戦を決行するという手筈になっている。
それに軍事大国ドルツという後ろ盾が加われば、イライナの守りは盤石となるであろう。
無論、その間ドルツに対し出費が生じるイライナに対しては協商連合が経済支援を行う他、ミカエル自身の私財を投げ打って援助する予定だ。
また、足りない分はミストルテインに対する強盗作戦の成果で補填する計画も策定されている。
【そしてこれを今の帝室の成果として喧伝してもらう―――そうなれば今の皇帝、ヴィルヘルム12世の支持は上りに上がり、全体主義を掲げる極右政党と独裁者の誕生の可能性を潰す事にも繋がる】
ミカエルは”視て”いる。
仮にこの世界で、彼女が手厚い支援をしてヒトラーを画家の道に進ませたとしても―――正史のヒトラーに準ずる新たな独裁者がナチスに相当する組織を生み出す事に。
ならばその可能性を根本から取り払ってしまえばいい―――飢餓、貧困、インフレ。それら全てを今の時点で取り除いてしまえば悲劇の歴史の目は潰える事になる。
むしろ、ミカエルとしてはこちらの目的の方がメインなのかもしれない。ヴォイテクには、そう思えた。
「……怖い奴だ」
【誉め言葉として受け取っておくよ。ああ、それと】
「?」
【今はベルリッヒだろう?】
「ああ、それが?」
【―――”エンゲルの魔女”】
聞き慣れない言葉だった。
エンゲルの魔女―――何かの異名だろうか。
冒険者がその活躍ぶりを受け、周囲から異名で呼ばれるようになることはままある。そういった冒険者は『異名付き』と呼ばれ、有象無象と真の実力者を区別する際の指標として評価対象にもなる。
「なんだそいつは」
「ぴえ」
いつの間にか、ハクビシンからミカエルの気配は消えていた。
今ここにいるのはミカエルが使い魔として契約し、また同胞として飼育しているハクビシンの内の1匹。どんな手段でも傍受される事の無い、完全制限型の通信端末としてソーキルに乗り込ませている個体であった。
アイツ接続切りやがったな、とヴォイテクは呆れながら、ハクビシンにドライフルーツを与えた。
総てを視ている―――だからそのままを教えてはつまらない。それがミカエルの真意なのであろう。
同時に確信しているのだ。
ヴォイテクやラウルたちならば、その【エンゲルの魔女】の真相に辿り着くであろう、と。
俺たちはこの国にゾンビ狩りのために滞在しているのだろうか?
LR-300のハンドガード側面に結束バンドで括りつけたシュアファイア製のフラッシュライト。丸く切り取られた光の中に腐敗に腐敗を重ねた人影が飛び込んできたので、躊躇する事なく引き金を引いた。
5.56㎜弾がゾンビの眉間を撃ち抜き、ビーフジャーキーみたいに乾燥した肉片を周囲に飛び散らせる。頭の4分の1を吹き飛ばされて崩れ落ちたゾンビ。心臓にも2発ほど5.56㎜弾を叩き込んで確実に殺害したのを確認し、小部屋の中も丹念にクリアリング。
次の瞬間だった。物陰からいきなり飛び出してくる人影―――咄嗟に銃を向けようとするが、まだ肌が青白いだけの比較的新しいゾンビは死者とは思えない力でハンドガードを押さえつけ、噛み付こうと口をパクパクさせて迫ってくる。
グリップから右手を放してホルスターへ。中からマズルガード付きのグロック40を引き抜いて、ゾンビにマズルを押し付け発砲。10㎜オート弾の強装弾が炸裂し、ゾンビの頭を抉ってかりそめの生命にピリオドを打った。
パンパン、と続けて心臓に発砲。ゾンビ討伐において、相手の確実な撃破という保証を得るためにもこれは必須だ。実は仕留め損ねていました、という事態になったらとんでもない事になる。
前世の世界じゃあ10㎜オート弾はそれほどメジャーな弾薬とはいえず、マイナーな存在であった。というか.45ACP弾と9㎜パラベラム弾という双璧があまりにも強すぎるのだ。
でもこの世界では10㎜オート弾の威力とまずまずの弾数が頼りになる。
「クリア」
《よし、出てきてくれ》
「了解」
村落の建物から出て、ポケットから取り出したチョークを壁に走らせる。覚えたてのドルツ語のスペルを思い出しながら、住人がゾンビとなり廃屋となった民家の壁に『Gedämpft(制圧済み)』と記載。あとからやって来るであろう死体処理班が仕事をしやすいようにマーキングしておく。
ドタタタタ、と銃声が聞こえてきた。咄嗟に身を屈めながら廃屋に隠れ、銃声の聞こえた方向を確認する。
銃声の発生源は廃村のど真ん中、井戸の近くに鎮座しているオリーブドラブの巨体だった。分厚い真っ黒な防弾タイヤの上に装甲に覆われた車体があり、その上には大型の榴弾砲を搭載した丸っこい砲塔が乗っている。
車体側面にはくまさんハウスのエンブレムがあった。
『M6 スタッグハウンド装甲車』。第二次世界大戦時、アメリカで設計され、しかしアメリカ軍では採用されずイギリス軍によって大々的に運用された装甲車である。
主砲に37㎜砲を搭載した初期型の他、より大口径の戦車砲や榴弾砲を搭載したイギリスの現地改修型など複数のバリエーションを持つ。主に偵察や火力支援で用いられた縁の下の力持ち的な兵器であるが、その身軽さと十分な火力を持っている点が評価され、くまさんハウスが所有する装甲戦闘車量として一応は採用されていた。
くまさんハウス仕様のあのスタッグハウンドは3インチ(76.2㎜)榴弾砲を装備した『スタッグハウンドMk.Ⅱ』をベースに、武装の一部差し換えやエンジンの改良などを行った独自仕様だ。砲塔上にブローニングM2重機関銃を搭載、主砲同軸と車体前方右側の機関銃をM240に差し替えているほか、砲塔側面にはチューリップ・ロケットの発射機が4基搭載されている。
火を噴いているのは砲塔上のブローニングM2重機関銃だった。車長のソコロフが身を乗り出すや、50口径のパワフルな弾幕で遮蔽物の後方に潜むゾンビをぶち抜いているのだ。
《主砲撃つぞ》
「了解」
ケモミミを倒し、両手で耳を塞いで口を開けた。爆風や衝撃波から身を護るための対処法だ。
ドムン、と重々しい砲声を響かせて、76.2㎜榴弾砲が井戸の向こうにあった納屋を吹き飛ばした。ガラガラと崩れていく納屋の瓦礫がゾンビたちを押し潰し、埋没させていく。
「乗るから」とソコロフに申告し、スタッグハウンド目掛けて全力ダッシュ。車体右側面、前輪の後ろにある装甲ドアを開けて中へと身体を滑り込ませるや、副操縦士の座席に用意されている車載機関銃の押金を押し込む。
ドタタタタ、と前方を機銃掃射。7.62×51㎜NATO弾の弾雨が、瓦礫が身体中に突き刺さりながらも起き上がろうとするゾンビたちを薙ぎ払っていく。
ガゴ、ガゴン、と砲弾を装填する音。ロザリーが装填を終えるなり、砲手の座席に座っていたユリウスが発射ペダルを踏み込んだ。ドウ、と榴弾砲が納屋のあった場所を直撃して瓦礫の山と土を深々と抉り、総てを破壊してしまう。
「ラウル」
「はいさ」
「乗ったばかりのところ悪いけど、見てきてくれ」
「了解した」
「ロザリー、お前もだ」
「はーい」
装甲ドアを開け、LR-300を構えた。「気を付けてくださいね」と心配そうに言うクラルテの言葉にウインクで応じ、ロザリーが砲塔上のハッチから降りてくるのを待ちつつ周囲を警戒する。
彼女もスタッグハウンドの車内に用意されていたLR-300を装備して降りてくるなり、折り畳まれていたパイプみたいなストックを展開してこっちにやってくる。
先ほどの砲撃で吹き飛んだ納屋のところまで歩みを進めた。瓦礫と土と腐乱死体が攪拌され、思わず顔をしかめたくなる光景が広がっている。
動くものなど何もない―――みんな死んだ。
「……クリア」
《了解……お仕事終了だ》
ふう、と一息ついた。
これでゾンビ討伐の仕事は何件目だろうか―――10件くらいを超えた辺りで、もう数えるのをやめた。
こんなに稼いでも、神経をすり減らしても手に入るのは4600億マルクブルク。暴落は今も続いていて、割と真面目に8~9ペセタになるかならないか程度だ。ガキの小遣いと何も変わらねえじゃねえか。
そろそろ現金での支払いを拒否するべきじゃあないか、と真面目に考えながらも、そっと銃を下ろして被害者に哀悼の意を表し、静かに黙祷を捧げた。
「……”エンゲルの魔女”?」
「ああ。それの調査の依頼が来た……ベルリッヒ当局から指名でな」
そりゃあまた、と軽口を叩いている間に、ヴォイテクは立体映像投影装置を操作して会議室の卓上にホログラムの世界地図を出現させる。ベルリッヒの西方、エルレ川の流域にある”マルレブルク”という街の付近にある森林地帯がアップで投影される。
やがてそこに物騒な名前が表示された。
―――【Der Wald, in dem alte Frauen ausgesetzt werden(姥捨ての森)】。
「お前ら、ヘンゼルとグレーテルは読んだ事あるか?」
「魔女とかお菓子の家が出てくるアレだろ?」
「まあ、そうだ。アレな、大昔の飢饉で食料に困った家庭が口減らしのために子供を森に捨てたっていう歴史的悲劇が根底にあるんだ」
アレそういう話だったのか、と心の底に重い何かがずっしりと沈殿していく感覚を覚えた。最後に読んでもらったのなんて幼稚園の時以来で、それから深く考える事なんてなかったから知らなかった。
「んで、今のドルツでも似た状況が続いているらしい。経済の混乱、食糧危機。パンやソーセージが手に入らず飢えに耐えかねた両親が、子供や年老いた老人たちを森に捨てているんだそうだ……その中でも最大規模の子捨て、姥捨てが行われているのがマルレブルク郊外のこの”姥捨ての森”」
「……そんなヤバそうな場所と、その”エンゲルの魔女”と何の関係が?」
もったいぶるなよ、というニュアンスで問うと、ヴォイテクは仲間たちを見渡してから依頼内容を告げた。
「―――姥捨ての森は正真正銘の魔女の一族【エンゲル】の根城だと言われている。俺たちに依頼されたのは、姥捨ての森の調査とエンゲルの魔女の真相解明だ」
姥捨ての森
ドルツ帝国、エルレ川流域の街マルレブルクの郊外に存在する森林地帯。鬱蒼と樹々が多い茂り日光が遮られるため常に薄暗く、また狼などの獣のほか魔物も生息する森であるため太古の昔からあまり足を踏み入れる人はいなかったとされる。またその不気味さから「悪魔が住んでいる」「幽霊が出る」などの噂も絶えない。
天地戦争末期より始まった食糧不足と戦後から始まったインフレに耐えかねた家庭では、大昔のように口減らしのため子供や働けない老人を森に捨てる子捨て、姥捨てが常習的に行われていた。このような現象は世界中で確認されているが、ドルツ国内でも最大規模の場所がこの『姥捨ての森』であるとされている。
当然だが、森への子捨て、姥捨ては捨てられる本人たちが危険に晒されるだけでなく、万一獣に襲われて死亡した場合ゾンビ化した死体が森を徘徊するという二次災害を招きかねないため、政府はこれを厳しく罰する方針であるが全く成果が出ておらず、掲げた目標と現実の乖離は非常に大きくなっている。
またこの姥捨ての森はドルツ帝国建国以前、むしろ”ドルツ諸国”という国家群が形成されるよりも以前から正真正銘の魔女の一族『エンゲル』が住んでいたとされる言い伝えがあり、今でもマルレブルクや近隣の村落では『魔女の森』とも呼ばれており、恐れられている。




