ハイパーインフレ
どうでもいい話
ソコロフはタンスに小指をぶつけた回数で世界記録を持っている。
『Vielen Dank, dass Sie sich die Mühe gemacht haben, es zu liefern(わざわざ届けてくれてありがとねぇ)』
眼鏡をかけたお婆ちゃんにおっとりとした声で言われ、木箱いっぱいのマルクブルク紙幣を受け取る。
信じられるか? イライナハーブティーのセットを届けただけで料金が800万マルクブルクなんだぞ? しかも傍から見れば大金だけどこの金額でもレストラン行けばモーニングセットを注文できるかどうか怪しいところというのだから恐ろしいもんだ。
まあ、これを持って帰ればアルカディアでちゃんと換金してもらえるのだが。
手を振って見送ってくれるお婆ちゃんに手を振り返しながらピックアップトラックの後部座席に座り、シートベルトを締めた。
落ち着かねえなぁ、と受け取った札束の山を見て思う。
さっき荷物を届けた家の玄関から中が見えたんだが、価値が暴落したマルクブルク紙幣を子供たちが積み木代わりにして遊んでいるという歴史の教科書で見た事がある光景を見て何とも言えない気持ちになった。
これだから戦争は嫌なのだ。
喧嘩であれば当事者同士が傷つくだけで済む。だが戦争は違う。当事者以外もこうして傷つくのだ。家族を失い、貧困の底に沈み、絶望の濁流の中で打ちひしがれる。
だから俺は暴力は好きだが戦争は嫌いだ。傷つくのはやり合うと腹を括った当事者同士だけでいい。
「そういえばお腹空きましたね?」
「この辺でレストランあるのかな」
ポケットからスマホを取り出して地図アプリをタップする。
さてさて人工衛星どころかインターネットもない世界でどうやってスマホを使うのかとツッコミ入れようとしているそこの無粋な諸君、君たちのために一応説明しておくがくまさんハウス……というか協商連合のスマホは、レギオンの中枢に存在する無制限戦略指揮AI【ルシフェル】と接続されている。スマホの1つ1つがAIの端末だと思ってくれて構わない。
そしてそのルシフェルとかいうチートAIのサブフレームがソーキルにも搭載されており、母艦の周囲であればAIにアクセスしてルシフェルが構築したインターネットを使用できるというわけだ。
ルシフェルのサブフレームは絶えず稼働を続けており、艦の周囲の地形や建物をスキャンして必要な情報を抽出、アプリを介してスマホにピックアップしてくれるのである。
なお、このスマホは兵器の制御も出来る優れもので、その気になればドローンのコントローラーにもなるしC4やクレイモアの起爆も出来る。ハッキングにも使えるしエロサイトも見れるし同人誌も購入できる。あとゲームアプリもある。最近非番の時にみんなでFPSで対戦してるんだけどヴォイテク強すぎてその……。
レストランを検索してみるが、まあどこも遠い。一番近いのが冒険者管理局ベルリッヒ支部となっている。依頼の受注や各種手続きの他、喫茶店や食堂が併設されている。周囲に宿泊施設が充実している関係なのか、宿泊は出来ないようだ。
「ここにするか」
「そうですねぇ」
「え、管理局なんてどこにもあるだろ? それよりご当地のご飯とか……」
助手席でラジオを聴いていたフルールが不服そうな顔でこっちを振り向いてくるが、ちっちっち、と指を振ってニヤけながら囁いてやった……フルールのケモミミのすぐ近くで。
「知ってるか? 管理局のメニューって地域ごとに変わるんだゾ☆」
「ひゃう!?」
びくん、と顔を赤くしながら震えるフルール。最近バイオレンス展開ばっかりでみんな忘れてるかもしれないけどラウル君こう見えてASMR系男の娘だからね。孤児院でエミリオの性癖をバッキバキに破壊した男だからねラウル君。
さて、フルールに言った通りだが冒険者管理局のメニューは地域ごとに変わる。
ご当地食材を使ったり現地の伝統的な料理を出したりと、地域に密着した感じの営業をしているというわけだ。だから異国の冒険者管理局の食堂ではその国の一般的な料理が提供されていて、それを目当てに世界中を旅する冒険者も多いと聞く。
まあ問題は物価だが……いったいどんなエグい価格になっている事やら。
手持ちのマルクブルク紙幣で足りるかな、とちょっと心配になった。一応はボストンバッグいっぱいのマルクブルク紙幣をヴォイテクから「お小遣い」としてもらっているのだが……。
『Entschuldigung für die Wartezeit. Hier ist Ihr Roggenbrot, Eintopf und die Wurstplatte!(お待たせしました。ライ麦パンとアイントプフ、ソーセージの盛り合わせです!)』
わお、という声が思わず漏れ出た。
やっぱりドルツといったらジャガイモにソーセージである。大昔から保存食の文化が発達したドルツでは定番中の定番メニューだ。
大鍋でドカンと出されたアイントプフから全員分の皿に中身を取り分け、スプーンで口へと運ぶ。
アイントプフは直訳すると『1つの鍋』という意味になる。まあ要するにでっかい鍋に色んな食材をぶち込んでじっくり煮込んだドルツ伝統のスープ料理で、抽出したエキスを楽しむというよりはガッツリ具材を楽しむスープといった感じの一品だ。
具材はとにかくごろっとしていて、大きめにカットされたベーコンやドルツソーセージ、ジャガイモに玉ねぎ、ニンジン、あとはゴロゴロした豆類とキャベツが入っている。
具材に「アイントプフは必ずコレ!」という決まりがないそうなので、多種多様な味がするのだそうだ。管理局のは全体的にカロリー消費が激しい冒険者向けにボリューミーな感じに仕上げられている。
スープを口へと運んでみると、やっぱり具材から溶け出た旨みが凝縮されていた。野菜や豆類の風味とソーセージ、ベーコンから滲んだ肉汁のインパクト。それらが1つの鍋の中で見事に絡み合い、一口食べるだけで身体中の細胞が喜んでいるような感覚すら覚える。
ソーセージもびっくりするほどのビッグサイズだった。俺の腕……というのはさすがに誇張だけど、それでも「え、こんなでっかいの?」と思ってしまうほどのサイズである。
しっかり煮込まれていて柔らかく、しかし皮はパリッとした食感を残していて非常に満足できる。やっぱりここに来て良かったな、と心の底から思った。
「このソーセージおいひいでれふねぇ~♪」
すっごい幸せそうな笑顔をしながらソーセージを頬張るクラルテ。シスター服のヴェールの下でものすごく狐のケモミミがピコピコ動いてるんだけど。いつもの落ち着いた大人なお姉さんの雰囲気はどこへ?
そして隣にいるフルールはというと、自分の取り皿の上にででんと鎮座するでっけえドルツソーセージを見てびっくりしながら、どういうわけかこっちを見て……目が合うなり顔を真っ赤にして目を逸らしてしまう。
うん、なんで?
理由は何となく察したけどなんで?
アレなの? こないだのハプニングを思い出したの?
そうだよねえ見ちゃったもんねえラウル君のアハトアハト。
「んふ? フルールさん食べないんですか?」
「ひぇ?」
じゃあ私が、とフォークを寄せてくるクラルテ。フルールは顔を真っ赤にしながら「なっ、なななななっ!? コレ私のだぞっ!?」と慌ててフォークでソーセージを口へと運んだ。
ちっちゃいお口でもぐもぐしながら、キンイロジャッカルのケモミミをめっさピコピコ動かすフルール。お口に合ったようで何よりです。
ジャッカルの獣人なのに仕草がいちいち小動物みたいで可愛い事に定評のあるフルール氏(15)。そんな彼女を見てホッコリしながら、何気なくメニュー表の方に視線を移す。
まあお察しの通りだが、物価はエグい事になっていた。
皆で舌鼓を打っているアイントプフの大鍋1つで800万マルクブルク、ライ麦パン1個で95万マルクブルク、ドルツソーセージの盛り合わせで1億マルクブルクである。
信じがたい話だが、これらの合計金額を俺の祖国スパーニャの通貨である”ペセタ”に換算しても1ペセタにすら満たないというのだから驚きだ。
食事を終え、ボストンバッグ2つを持ってカウンターへ。カウンターの上にどかんとボストンバッグ2つを置いて会計をしてもらう。もちろん中身はぎっしり詰め込まれたマルクブルク紙幣である。
できる事ならもう少しゆったり過ごしたかったが……ヴォイテクから出発前に言われた話では「物価がエグい速度で上がり続けているため、メニュー表の更新が追い付かず”食事中に値段が上がってしまいより高い金額での会計を余儀なくされる”というハプニングがよくあるらしい」との事だった。
なので悠長に飯を食ってたら2億とか3億マルクブルクの支払いが必要になる可能性がある、という事である。
だからなのだろう、他の利用者も長居はせず、食事を済ませたらそそくさと逃げるように退店していく者が目立った。
ごちそうさまでした、と拙いドルツ語で伝え、ついでに依頼掲示板の方へ。荷物の配達も終わったし、遠隔地への配達は次の目的地に向かいながら空中投下で行うとの事だから、たった今から俺たちはフリーである。仕事をしてもいいし観光をしてもいいとの事だが、まあ観光なんてしてる場合じゃないよね……。
というわけで依頼掲示板を覗き込んだ。
この国で胸糞悪い光景は山ほど見る事になるだろうな、とは薄々勘付いていた。大通りの惨状などほんのジャブに過ぎないのだろうな、とも。
それがよもや昼食の後に最大級のやつをぶちかまされる事になるなど、いったい誰が想像しただろうか。
「これは……」
「……」
依頼掲示板に掲示されている依頼書は山のようだった。
そのいずれもが同じ系統の依頼ばかりである。
―――ゾンビ討伐。
郊外の村落が飢餓で全滅し火葬も出来ずゾンビが蔓延している、という当局からの依頼に、苦しい生活に耐えかね自殺した一家の死体の発見が遅れゾンビ化しているから何とかしてくれという依頼。
いずれにせよ、どういう形であれゾンビ討伐の仕事ばかりだった。
他の仕事は殆どない。
ゾンビ討伐は多くの冒険者が嫌う仕事だ。というか、好き好んで引き受ける奴らなど居ないだろう。
腐敗が啜んだ個体ならまだしも、ゾンビになりたての個体は生活感や生前の姿が生々しく残っていて殺害に躊躇してしまうという精神的影響。そして何より引っ掻かれたり噛み付かれたり、そうでなくとも体液が粘膜に入ると自分もゾンビ化するという高いリスク。
だからみんな嫌がるのだ。
ただでさえ誰も受けたがらない仕事が、しかし今のドルツの惨状の中で積み上がりに積み上がり、山を成して現実として立ち塞がっている。
「どうします、ラウルさん」
「決まってるだろ」
拳を打ち付け、宣言する。
「―――受けるぞ、この仕事。俺たちの可能な範囲でな」
随分と窮屈な感じがする。
自衛隊でも採用されている対NBC装備『18式個人用防護装備』に身を包み、その上からいつものチェストリグを着用。室内戦用に10.5インチのショートバレルに換装したMARS-Lとグロック40、鉄パイプで武装し、現場まで案内してくれる管理局の職員の後に続く。
仲間たちも皆同じ装備だった。幅広のバイザーを備えたガスマスクのおかげで目元ははっきりと見えるが、しかしみんな同じく防護服とガスマスク装備ではシルエットでの判別が難しい。誰が誰なのかを判別するため、腕に色の付いたバンドを巻いている。
俺は赤、クラルテが黄、クロエが青、フルールが白だ。
ソードオフショットガンで武装した管理局の職員は、やがて侵入防止用のバリケード(「Zutritt wegen Zombie-Ausbruch verboten(ゾンビ発生につき立ち入り禁止)」という記載がある)の前で立ち止まった。
『Hier ist es. Die Bewohner dieses Wohnhauses haben sich in Zombies verwandelt...(こちらです。ここのアパートの住人がゾンビ化していまして……)』
『Vielen Dank, dass Sie uns bis hierher gebracht haben. Wir kümmern uns um den Rest(案内ご苦労様でした。あとは私たちが)』
流暢なドルツ語で応じるクロエ。職員は頼もしそうな目で頷くや、ショットガンの安全装置を外して一歩下がった。万が一俺たちが撃ち漏らすような事があったら彼女が対応する事になるが、きっとそんな事にはならないだろう。
バリケードを潜り、銃の安全装置を外す。
さあ、仕事の時間だ。
とっととこのクソッタレな仕事を終わらせよう。




