空中投下
どうでもいい話
ヨルゲンセン機関長は秋になると、産卵のために川を上ってくる鮭を捕まえに行くヴォイテクやソコロフと一緒に出掛けては鮭を捕まえている。彼もやっぱり熊なのだ。
総員戦闘配置、とけたたましい警報と共にスピーカーから命令が発せられるなり、皿の上に残った肉まんを口の中へと押し込んで、ジャケットの袖に腕を通しながら全力で突っ走った。
角度が急すぎるあまりもはや梯子と化したタラップを我ながら凄まじい速度で駆け上がり、隔壁を潜り抜けてまたタラップ。そうして何度も何度も脹脛や太腿をイジメてイジメてイジメ抜いて、しかし日頃のトレーニングの成果か息を切らさずに艦橋へと辿り着くなり砲雷長の座席へ。
キーボードを弾いて武器システムを立ち上げる。艦に搭載されているAI『ルシフェル』のサブフレームが艦内各所の戦闘人形たちに命令を送り、主砲に配置された個体群が砲弾の装填を開始する。
「敵艦3時方向、距離30000」
「全艦右砲戦用意。目標3時方向の敵艦、距離30000」
ゴウン、と重々しく前部甲板に搭載された2基の60口径20.3㎝連装砲が旋回。砲身の仰角が調整されるなり、いつでも砲撃できる旨の報告が戦闘人形たちから上がってくる。
そうしている間に船体右舷の機銃群や37㎜速射砲も砲戦態勢に移行。艦橋内の照明も通常時のものから戦闘用の薄暗い照明へと切り替わる。
そこまでいったところで、艦長席のヴォイテクが懐中時計を取り出してそれを見下ろした。
「……1分2秒。まあまあかな」
訓練終了―――ヴォイテク艦長の宣言により突発的な戦闘配置への移行の訓練は終わりを迎えた。
艦が新しくなってからというもの、こういう抜き打ちでの訓練は何度か行っている。ヴォイテクの訓練はとにかく実戦形式で、食事中だからとかトイレ中だからとか、就寝中だからという言い訳は通用しない。敵は襲ってくるタイミングを選んではくれないのだから。
砲雷長の役職を交代要員の戦闘人形に引き継いだ。艦内で勤務している戦闘人形はアルカディアの街中を警備していた個体群と同じく、体表をシリコン製の人工皮膚で覆われ人間に近い姿をしている。
こうする事で長期航海のストレスを少しでも和らげられたら……という狙いがあるのだそうだ。もっとも、アルカディアにいる個体群の場合は『いたずらに市民を威圧しないため』『親近感を持ってもらうため』という理由もあり、向こうに搭載されているAIも人間の感情表現をより高度に学習したモデルが適用されているのだそうだ。
逆にソーキル艦内で勤務する戦闘人形たちは仕事に関係のある応答くらいしかせず、ジョークを言ったりといったユーモアは持ち合わせていない。ストレス低減を狙うのであればそういうところもケチらず高度なモデルを使ってくれてもいいのにと思うのだが、そこはコストの問題もあるのだろう。
頼んだよ、と声をかけても返答一つくれない戦闘人形。肩をすくめて艦橋を後にし、とりあえず艦尾の格納庫へ。
改修を受けて大型化したソーキル。駆逐艦から重巡洋艦へ格上げされただけあってかなりのビルドアップを果たしたわけだが、そのリソースの大半は小型ズメイ砲が占めている。居住性の改善や格納庫の容積アップなどはあくまでもその副産物でしかない。
艦尾格納庫は与圧されていないので、格納庫に行く時はエアロックを通過していく必要がある。今の高度は3000m。寒いし酸素も薄いので、マスクが必要だ。
というわけでマスクを始めとした装備一式を回収しに自室へと戻る。部屋は広くなっていて、以前までのビジホのシングルルームみたいな空間とはえらい違いだった。まあ、さすがにエンジェルパレスで用意してもらった、あの高級ホテルのスイートルームみたいな自室には到底及ばない。せいぜいビジホのツインくらいのものだけど、それでも1人用のベッドにデカ女×3と小ぢんまりとしたフルールを加えた5人で固まって寝るのと比べるとだいぶ余裕がある。
さて、ベッドの上では一足先に部屋に戻ってた非番のフルールが足をぱたぱたさせながら漫画を読んでいるところだった。
読んでる漫画は少年漫画っぽい奴だった。背表紙の作者のところには『ヴォイテク』って名前が書いてある。
驚くかもしれないが、あの漫画の作者はウチの艦長である。冒険者やりながら副業で漫画家をやっているそうで、アルカディアとイライナで刊行されているマンガ雑誌【月間ハラショー】では去年まで連載を持っていたのだそうだ。
そういう経歴もあって彼の画力はプロ級だ。ギルドのエンブレムは彼の自信作で、依頼があれば他のギルドのエンブレムのデザインまで手掛けているらしい。意外と多彩なヒグマである。
「あ、ラウル」
ぴょこ、とフルールの頭にあるキンイロジャッカルのケモミミが立った。普段はシスターが頭につけてるアレ(『ヴェール』というらしい)をしているせいでケモミミが隠れているから目立たないが、フルールにもちゃんとケモミミがある。
俺の姿を認めるなり、漫画に栞を挟んでぱたぱたと駆け寄ってくる。ケモミミをピンと立てて目を丸くしながら笑顔で駆け寄ってくるその仕草は、まるで飼い主の帰りを楽しみにしていた犬を想起させた。
「おかえりっ」
「ん、ただいま」
撫でて撫でてと言わんばかりにケモミミをぺたんと倒すフルール。要求通りに撫でてあげると、目を細めて気持ちよさそうな表情を浮かべた。
ちょっと意地悪をしたくなったので撫でるのをぴたりと止めてみる。
すると細めていた目を「え、何で?」と丸くしながらケモミミをゆっくりと立てはじめたので、もう一度撫でてあげた。
例のカシスオレンジの一件以降、フルールはずっとこんな感じでデレデレだ。
当初は今まで心の支えであった筈のマザーからの”調律”を受けられなくなり不安だっただろうが、それにも慣れてしまったようで今は特に何も異状なく過ごしている。笑顔も増えたし自分の気持ちを正直に伝えられずに戸惑う姿が実に愛らしい。
本人はツンデレを気取っているつもりらしいが、ケモミミと尻尾の動きで本心が丸分かりだ。獣人は表情豊かなのである。
クラルテにロザリー、クロエといったデカ女ズがみんな身長180~190㎝という巨人族みたいな状態だから、俺よりも背の小さいフルールは妹ポジション的なところに収まっている。
ちらりと時計を見た。今は13時37分……もうそろそろか。
「ごめんフルール、そろそろ行かないと」
「くぅん……」
しゅん、と分かりやすく落ち込むフルール。何だコイツ感情表現が直球過ぎて可愛いんだが。うっかり甘やかしたくなってしまうが、しかし仕事の時刻が迫っている。今は心を鬼にせねばなるまい。
「戻ってきたらいっぱい撫でてあげるから」
「……約束だぞ」
「ん、約束」
優しく抱きしめてからマスクと手袋を回収。フルールに手を振って部屋を後にし、腕時計の時間を気にしながらエアロックへ。
マスクを装着し手袋をはめ、ホースに緩みがないかを確認してからエアロックを閉鎖。内部で減圧を済ませてからエアロックを通過、格納庫の中へと足を踏み入れる。
既にそこにはいつものシスター服と、それからペストマスクを思わせるデザインの(!?)酸素マスクを着用したクラルテがいた。こっちが米軍の使ってたパイロット用の酸素マスクを使用しているというのにクラルテときたらあんなデザインのマスクを着用しているものだから、なんだか知らんがミリタリーとダークファンタジーが衝突事故を起こしてしまっている。なんだあれは。
持参した命綱をしっかり結び、そろそろかな、と腕時計を指で指し示すジェスチャーをするとクラルテは首を縦に振りながら壁面のレバーを引いた。
ヴー、と重々しいブザーと共に警報灯が点灯を始め、艦尾にある貨物搬入出用のハッチが解放され始める。
顕わになる西欧の空。まだノヴォシアやイライナに近いところを飛んでいるからなのだろう、風がとにかく肌寒い。
四角く区切られた空の中。竜の尾のように後方へ伸びた艦尾の二重反転プロペラが、凄まじい勢いで回転しているのが見て取れる。あんなのに接触したら人体なんぞたちまちミンチになってしまうが、万一ここから放り出されてしまったとしてもアングル的には絶対にあの二重反転プロペラには接触できないようになっている。
そしてそれは、これから投下される貨物も同じだ。さすがに改修にあたってその点も考慮されたのだろう、格納庫内でパラシュートを開きその空気抵抗で貨物を投下するような感じで投下しても、プロペラが投下物やパラシュートを巻き込む事はない。絶対に。
《現在高度2500……2400。投下時期近付く》
パレットに乗せられた木箱に歩み寄り、レールに異物が噛み込んでいないかチェック。問題がない事を確認すると、パレットの基部にあるロックに指をかけて引っ張りロックを解除。準備が整った事をクラルテにハンドサインで伝えると、彼女は手を挙げて応じてくれた。
ちなみにあのパレットに乗っている荷物のお届け先はエトアリア王国、シャーレイに済むチーズマニアのご婦人。”イライナチーズ”の詰め合わせセットに興味を持ったらしく、ドカンと30㎏くらい注文をかけていたらしい。
というわけでこれから行うのはチーズの空挺投下である。それも30㎏。
ビー、というブザー音と共に《投下、投下、投下》とソコロフの声が続く。それを合図にクラルテがレバーを引くと、木箱の乗ったパレットが格納庫内で落下傘を展開。それは瞬く間に風に浚われるや、凄まじい空気抵抗で30㎏のチーズ詰め合わせセットを格納庫の外へと引きずり出してしまう。
ショックアブソーバー内臓のパレットごとすぽーん、と空中に投げ出されていく木箱。しばらくすると遥か眼下の地上から濛々と立ち昇る発煙筒の煙と、その付近で大きく手を振る民族衣装姿の人影が見えた。
今までは目的地に降りてから荷物を配達というスタイルが一般的だったが、今後はこういう空中投下配達も(荷物次第だが)やっていくらしい。
新しいスタイルのビジネスが生まれた瞬間を目の当たりにし、俺はハッチの閉鎖レバーを操作した。
真面目に風邪をひきそうだった。エトアリアの空は寒い……びぇっくし。
直進すればドルツには日付が変わる頃には到着する予定だったそうだが、出来るだけ水を確保するため雲の多い空域を飛んでほしいとチャンさんからリクエストがあった事、それからヴォイテクの祖国ポルスキーで漫画本50㎏(!?)の空中投下依頼があった事もあり、エトアリアからポルスキーを経由しドルツを目指す航路となった。
なので到着は明日の朝8時くらいを見込んでいるらしい。
「ええと、ありがとうは”だんけ”でおはようが”ぐーてんもるげん”……自己紹介は……ごほん、まいんなーめいすとラウル・エルマータ、うん。ヨシ。完璧(※ダメです)」
ラウル君の語学能力が死んでる? うん、それはその……うん、その通りですハイ。
ロザリーと同じ言葉を喋るために竜人語の習得に脳のリソースをぶち込んだせいで喋れるのがスパーニャ語(母語)、竜人語(第二言語)、イーランド語(勉強中、悲惨)。それに加えてドルツ語も覚えろって鬼畜が過ぎる。
どうしよ、今夜クラルテに頼んで教練空間でドルツ語の睡眠学習しようか……さすがにイライナの時みたいにはなりたくないよな。
とりあえず誰もいないうちにシャワー浴びよう、と着替えを用意してシャワールームへ。相変わらずのユニットバス……ではなく、ついにシャワールームとトイレが分離されました。わーい。
シャワーを浴びながらさてシャンプーはどこだっけと手で探る。これかな、これかな、とさまよう手に「ん」と聞き慣れた声とともに差し出されるシャンプーの容器。おおサンキュ、と返しながらカシュカシュとシャンプーを出したところで、その手がピタリと止まった。
濛々と立ち昇る湯気の中―――そこにいたのはいつの間に入ってきたのか、フルールが。
「……Huh???」
「な、なんだよその顔。一緒に入っちゃダメか?」
「いやあの、さすがに一緒は拙いでしょ」
「なんでだ? いいだろ女の子同士だし」
「」
ラウル君は凍り付いた。
フルールさん……もしや俺が男だと認識していない?
いや、確かに言われてみれば今まで何度も『俺男だよ』ってカミングアウトしても『またまた~』とか『嘘つくの下手だなwww』みたいな感じで返されてたけどアレマジで信じてなかったってワケ?
Oh……じゃあ今まで絶妙に距離感バグってた理由ってそれ?
「いやあのマジで俺男なんだって」
「そんなわけないだろ。私の嗅覚を舐めるな、メスの匂いがする」
「この体格と筋肉見てまだ男だと信じられないのか!」
「謎の光出てるしメスだろ!」
「なんでだよ!? なんでお前といいヴォイテクといい人を勝手にメスにしたがるんだ!」
「ほら、そんなのどうでもいいから腰に巻いたタオル邪魔だろ? 取ってやるから!」
「わ゛ーバカバカそれは止めろ! 謎の光を過信し過ぎだ馬鹿!」
必死に抵抗しても、ダメでした。
もつれあっている間にぽろりとタオルが落下して―――。
―――フルールが、凍り付いた。
『わ゛ぁ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!』




