サンダーチーフ
どうでもいい話
ソコロフは秋になると、産卵のために川を上ってくる鮭を捕まえに行くヴォイテクと一緒に出掛けては鮭を捕まえている。彼もやっぱり熊なのだ。
あの時、彼は俺を”迷い人”と呼んだ。
曰く、「お前はまだ迷っている。”答え”を見つけられるその時まで、お前は”迷い人”だ」。
そう、俺はまだ迷っている。
無限に広がる空の下、自分はどうあるべきなのか―――未だ答えを見つけられずにいる。
第八章 鉄十字の帝国
ヒトの歴史が始まったその時から、空は未知の領域であった。
翼を持たず、飛ぶ術も知らず、ただただ空を駆ける鳥たちを、飛竜たちを見上げるばかりだった人類。
そんな彼らに転機が訪れたのはいつだったのか―――少なくともこの世界においては、遥か昔の高度な文明が遺した『飛行機』という発明品を辛うじて解析し、実用化まで漕ぎ付けてからであるとされている。
飛行機にライフルマンを乗せ、あるいは機関銃を搭載した”戦闘機”は瞬く間に空の覇者となった。それまでの前時代的な、飛竜に跨る選ばれし騎士たち『竜騎士』を文字通り過去のものとした。
空を自在に舞い、ヒトが古来より力の象徴とした飛竜を駆逐して新たな支配者として君臨したのは、戦闘機である。
そんな戦闘機ですら―――今に限っては、さながら溺れているように思えた。
『Was... was ist das für ein Monster?(なんだ……何なんだ、あの化け物は?)』
軍人崩れの空賊のパイロットは、汚れが付着したゴーグル越しにしっかりと”それ”の刻む飛行機雲を凝視していた。
―――速度が違い過ぎる。
ペンのような、あるいは抜き払われた鋭利な剣を思わせる形状の機体。ロケットに大きな翼と操縦席を取りつけたような、複葉機全盛のこの世界では異質としか言えない戦闘機―――いや、”戦闘爆撃機”。
紺色に塗装され、右翼には2本の白いラインが描かれたそれは遥か空の彼方で旋回すると、その鋭利な切先を想起させる機首をこちらに向けて再び突っ込んでくる構えを見せる。
『Her damit(掛かって来い)』と彼は腹を括り、機銃の照準を敵機に合わせる。
さあ、さあ、さあ……突っ込んでくる敵機の鼻先に7.92㎜弾をしこたま叩き込んでやると意気込んでいたパイロットは、しかし次の瞬間にその意識を刈り取られる。
敵機に搭載された20㎜ガトリング砲から放たれた砲弾の1発が―――理不尽にも彼の肉体を吹き飛ばしていたからだった。
痛みを感じず逝けた事が、せめてもの救いであろう。
累計で何機撃墜し、何隻沈めてきたのか―――【F-105D ”サンダーチーフ”】のコクピットから墜落していく敵機を尻目に、俺はぼんやりと想いを馳せてからすぐやめた。
覚えてる範囲でスコアを記録すればいいや、と結論を出すなり、操縦桿を倒して空賊の母艦の方へと機体を旋回させる。
クラルテのサポートスキル『教練空間』―――巫女である彼女と添い寝する事で利用できる現代兵器の訓練場。空間内で経過する時間が外部の24倍の速度という事もあり、短期間で十分な訓練を積む事ができる便利なスキルである。
A-1スカイレイダーからF-105D”サンダーチーフ”への機種転換が極めて短期間の間に済んでしまったのも、その恩恵を受けてのものだった。
遥か下方、雲の切れ間。
まるで空で溺れるかの如く、鈍重な船体を左へと旋回させて雲の中へ逃げ込もうとする空賊の空中艦の姿が見え、操縦桿を倒して機体を急降下させた。
身体にかかる強烈なG。ジェットコースターの急降下にも似た落下感―――下腹部にぞわりと刺激が走り、身体が反射的にその浮遊感を打ち消そうと踏ん張る感覚。
逃げ切れないと判断したのだろう、敵艦の左舷にある対空砲群が砲身を持ち上げるや、13㎜弾の弾幕を張り始める。高射砲での砲撃も開始したのだろう、コクピットの周囲の空にパッ、と黒い花が幾重にも咲き乱れた。
物騒な花園だ、と思う。
敵艦は軍隊崩れの空賊というだけあって装備はそれなりに整っているようだった。少なくとも、パッチ溶接の跡が目立つ船体に規格のバラバラな武装をとにかく乗せたような、粗雑極まりない艦とは違う。
しかしそれでも練度の問題があったし、何より賊に身を堕とした時点で満足な整備が受けられる筈もない。対空砲の中には整備不良が祟ったのか、それとも人員不足が故か、稼働していないものも見受けられた。
そうした不備が付け入る穴になりかねないのだ。
コクピット内に持ち込んだスマホの音楽再生アプリから、激しい曲調のジャズが流れ始める。
それに背中を押されるようにさらに加速。落下する勢いも乗せて敵艦へと猛禽の如く窮迫したF-105Dが、翼下に抱えた大量の爆弾を敵艦めがけてぶちまけたのはそれからすぐの事だった。
ごう、と機体が敵艦の艦底を通過し雲海目掛けて突き抜けていく。
機体を空中分解させるような事が無いよう、身長に操縦桿を引き起こし上昇へと転じる。キャノピーからふと視線を上へと向けるや、1ダースくらい爆弾をまとめて喰らった敵艦が派手に炎上。目が眩むほどの閃光を発しながら爆発を繰り返し、船体を真っ二つにへし折られながら墜落していくところだった。
船体から零れ落ちるのは壊れた部品と乗員たちだ。
艦内で荒れ狂う爆発から逃げ場を求めて船外へ身を躍らせたのだろうが、しかしパラシュートを付けている奴は見当たらない。ほんの数秒延命できるというだけで、死ぬ事に変わりはないのだ。
それでも生き永らえられる方に賭けたくなるのが人の性。まあ、分からなくもない……冒険者に身を置くようになって、死を前にした人間がどういう選択をするのかは痛いほど理解しているつもりだ。
「”ストレイド”よりソーキル、目標の撃破を確認。帰投する」
《ソーキル了解》
操縦桿を倒して機体を旋回。空から遥か眼下の大地へ落ちていく空賊連中に一瞥をくれてやってから、母艦への帰路につく。
人間の命は尊い、という耳にタコができるほど聞かされた綺麗事に対してはまあ、50点くらいはつけてやってもいい。
この世界にやってきて、殺し合いを経験して分かった事がある。多分異世界転生を果たすまでもなく、心のどこかでは薄々察していて、けれどもおくびにも出さない事実が。
『命の軽い人間と重い人間がいる』―――そういう事である。
そりゃあそうだ。テレビのニュースで報道される殺人犯と家族の命の重さが同等であっていい筈がない。死刑を宣告された凶悪犯と自分の恋人が同じ命の重さであっていい筈がない。
それでもなお「命の重さは平等だ」なんて抜かす奴はきっとサイコパスか何かだ。全人類を平等に愛し、”特別な誰か”に愛情を注ぐ事も出来ない人間の欠陥品なのだ。きっとそうだ。
というわけで、俺はもう悪人には容赦しない事にした。殺すべき敵、消えて当然の命と断じて粛々と殺処分する事にした。
さっきの空賊連中だってそうだ。自分より弱い誰かから奪う事でしか生きていけないのだ。『そうしなければ生きていけない』という言い訳はご尤もだが、だからといって他人に迷惑をかけていい理由にはならないのだ。
もちろん、俺だって悪事は働いている。だから俺を殺したいのであればいつでもかかってくればいい。歓迎するし覚悟はできている。できればの話だが。
マジックコンパスが指し示す方向へ飛び続けること3分と少し。やがて船体の下半分を赤、上半分を黒という水上艦みたいな塗分けが特徴的な空中巡洋艦が見えてくる。
ソーキル級強襲型重巡洋艦1番艦【ソーキル】。俺たちの母艦だ。
しかしまあ、こうして見てみるとどうみても武装貨物船には見えない。どこからどう見ても”軍艦”であるが、しかし艦首の『3199』というハルナンバーと艦の名称の下に添えられたくまさんハウスのエンブレムが味わい深い脱力感を醸し出している。
ダンボールを抱えて微笑むデフォルメされたヒグマのエンブレム―――脱力するか、そうでなければ温度差でヒートショックを起こすかのどちらかだろう。
艦尾にある着艦管制室からの指示通りに機体を艦の下部へと移動させ、慎重に相対速度を合わせる。やがて艦底部の後方にあたる部位が大きく開き、中からクレーンアームが出てきて、全長およそ20mにも達するF-105Dの巨体を格納庫の中へと引き込み始めた。
《おかえり、ラウル♪》
「ただいまロザリー」
機体がコクピットに収まり、解放されていたハッチが閉鎖されるのを待って酸素マスクを外した。キャノピーを解放すると駆け寄ってきたロザリーがタラップを立てかけてくれた。
ありがと、と礼を述べてからタラップを滑り降りるなり唐突に始まる壁ドンならぬ機首ドン。狼なのに小動物みたく身を震わせている間に迫ってきた身長180㎝のデカ女その2ロザリー氏に唇を奪われ、そのまま舌を絡ませる。
2分、3分……ちょっと待って長い、長い長い。チュー長い。ちょ、苦し、息、できな、息、死。
窒息する一歩手前で解放され、続いて俺よりもでっかい身体でのハグ。さすがにあの長いキスは考え物だけど、こうして包み込むような(直喩)抱擁は嫌いじゃない。
「えへへ~♪」
「ちょ、ロザリー。俺報告に行かないと」
「ん、一緒に行こっ?」
ひょいっ、とラウル君をお姫様抱っこして歩き始めるロザリー。昔から距離感がバグっていて犬っぽい性格の彼女だが、バグっているのは筋力の方もである(まあ竜人の筋力だしそもそも人間と身体が違うのだ)。
「……ロザリーの身体、あったかい」
「えへへ、そうでしょ?」
竜人の平均的な体温は38℃なのだそうだ。人間だったら風邪を疑う体温だが、彼女たちの場合はそれが平熱なのである―――あれだけの身体能力を発揮するために摂取が必要なカロリー量が多く、結果として体温が高くなってしまっているのだとか。
だからロザリーだけではなく、ユリウスやクロエも体温が高い。
あれ、コレもしかしてサーマルとかで体温の高さから敵の種族の断定とかできるんじゃね? などと頭を働かせている間に艦橋へと到着。そのまま下ろしてくれるかと思いきや何をトチ狂ったかお姫様抱っこのまま艦橋へ入場するロザリー氏(16)。お前マジか。
「おー、お疲れラウ……ル……?」
咥えタバコでこっちを振り向き、そのまま固まるヴォイテク。
俺もひきつった顔で「……ただいま」と返答するしかなかった。
「……似合うなお前」
「俺はオスなんですけども」
「嘘つけメスだろ知ってるぞ」
「オスだっつーの」
「シャワーシーンで謎の光の規制を喰らうオスがどこにいるってんだ?」
「あれは誤判定」
「メスはみんなそう言うんだよ」
そうなのかロザリー、と思いながら視線を向けると思いっきり視線を逸らされた。
オイコラ。ダウト。ダウトだろコレ。おいヴォイテク? ヴォイテクさん? お前まで視線を逸らすんじゃねえ。
「まあいいさ。とにかくお疲れさん……そういやさっきの出撃でお前の空中艦撃沈数、累計で31隻に達したよ」
「凄いわラウル!」
さすが私の旦那様、と抱きしめて頬っぺたすりすりしてくるロザリー。彼女にもみくちゃにされながら「え、もう?」と少し驚く。
「何だよカウントしてなかったのか? まあ、興味がないならいいけどさ。それよりチャンさんまだ食堂に居たから飯食ってこい。腹減ってるだろ」
「ん、そうする」
「じゃあ私も一緒に―――」
「ロザリーお前はラウルが戻ってくるまで砲雷長」
「えー!? 私とラウルの愛を引き裂くわけ!?」
「いや交代要員居ないんだから仕方ないでしょ」
「けちー」
ぶー、と頬を膨らませながらも「それじゃあねラウル♪」と砲雷長の席へと向かうロザリー。隣にある操舵士の座席ではフルールが呆れたように肩をすくめていた。
どん、とテーブルに置かれた麻辣刀削麺の香りに食欲を刺激されながら、手を合わせて割り箸を割る。早速麺を冷ましながら啜ると、強烈な熱気と共に痺れるような辛さがいの一番に脳天まで突き上がってきた。
辛さという槍に胃袋から脳天まで串刺しにされた気分だ―――けれども決して不快な感覚ではない。むしろ食が進む、どんどん進む。
油が浮いているのでギトギトしたしつこい味付け……かと思いきや全然そんな事はない。この痺れる辛さもそうだけど、一緒にトッピングされているパクチーが爽やかさを加えてくれて、見た目ほどこってりした味ではないのだ。
けれども決して淡白ではなく、食材の旨味と辛みが見事に融合していると言っていい。
加えてこのもっちりした麺の食感と喉越しが最高なのだ。うどんとすいとんの中間みたいな感じ、といえば伝わりやすいだろうか。
「うっま」
美味しいかい、みたいな感じでスマイルを向けてくれるチャンさんに最高の笑顔で応えながら親指を立てて「美味しいッス」と全身全霊で返答。やべえ汗吹き出してきた美味いなコレ。
出撃して戦った後に食うこういうガッツリ系の飯は格別だ。身体に必要な満足感を必要な分だけ提供してくれる。
何より「俺今日も生きてる」って実感が持てる。
だからこの時間は、間違いなく癒しの時間だった。
この2時間後、暴力的な量のカプサイシンを摂取した俺はトイレで苦しむ事になった。




