第392章 草原の脅迫と王の計算
豊作――いや、大豊作と言っていい。
倉庫に積み上げられた根薯は、明らかに食べきれる量ではなかった。
そのため多くは乾燥させ、「干し根薯」として貯蔵されている。
だが――
(長く置けば、いずれ腐る)
フィルードは静かに考える。
乾物にしても、保存には限界がある。
それならば、別の形で保存した方がいい。
――酒だ。
醸造してしまえば、長期間保存できる。
しかも価値はむしろ上がる。
そうしてフィルードは、峡谷盆地に大規模な酒造所を設置した。
重要な蒸留白酒の技術は、奴隷たちに伝えられる。
工程を細かく決め、手順通りに醸造させる体制を作った。
この分野に手を出すのは、実は初めてではない。
ただ、これまで本格的に動かなかっただけだ。
理由は単純だった。
(あの頃は、まだ力が足りなかった)
酒は利益の大きい産業だ。
だが同時に、目立つ。
弱い時に大きな利益を独占すれば――
必ず周囲の敵を呼び寄せる。
しかし今は違う。
兵は整った。
食糧も潤沢。
王国は、もはや簡単には揺るがない。
(もう遠慮する必要はない)
フィルードは静かに笑う。
この白酒を人族と獣人、双方に売りさばく。
そうすれば――
莫大な資源が手に入る。
そして同時に、もう一つの制度が導入された。
塩。
そして鉄。
この二つは王国の国有物資と定められた。
つまり――専売制だ。
古代の「塩鉄専売」と同じ仕組みである。
王国が資源を直接管理することで、流通を掌握する。
それだけではない。
各地の王国商社には、もう一つの役割が与えられていた。
周辺部落から物資を買い集めることだ。
羊毛。
獣肉。
家畜。
それらを集めて、南方の人族世界へ運び、販売する。
もちろん、現時点では商社はまだ形だけの存在だった。
交易量も少ない。
だがフィルードは確信している。
(時間が経てば、影響力は自然に広がる)
人は便利な仕組みに慣れる。
そして、やがてそれに依存する。
獣人たちが商社の存在に慣れた頃――
次の段階に進むつもりだった。
制度改革だ。
土地を平民へ分配する。
そして自給自足させる。
そうすれば、土地の生産力は一気に解放される。
だが。
(急ぎすぎれば、必ず壊れる)
この世界はあまりにも蛮荒だ。
まずは農業を覚えさせる必要がある。
根薯のような粗雑な作物でもいい。
とにかく土を耕す習慣を作る。
その次に――
自由な思考。
そして私有財産の概念。
一歩ずつ、植え付ける。
制度改革とは、戦争より難しいものだ。
無理に進めれば――
必ず混乱を招く。
フィルードが未来の設計図を思い描いていた、その時だった。
ドヴァ城に、一団の来客が現れる。
ケンタウロスの使節団だった。
彼らは敵意を示さなかった。
周囲の村を襲うこともない。
ただ静かに城へ近づき――
地元の貴族との面会を求めた。
この知らせを受けたポールは、家臣の一人を派遣して対応させた。
今回は少し事情が違った。
ケンタウロス側が、ドワーフの通訳を連れてきていたのだ。
この通訳はケンタウロス語と人間共通語の両方を話せる。
そのため交渉はかなりスムーズに進んだ。
そして彼らの目的も、すぐに明らかになった。
フィルードへの要求だった。
――約束の履行。
さらに、強い不満。
もともと両者は、共同でドワーフ領を攻撃する約束をしていた。
だがフィルードは途中で撤退した。
しかも事前通告すらなかった。
この件に、ケンタウロス獣皇は激怒しているという。
そして――
賠償を要求した。
以前約束した報酬の、二倍。
この報告を受けると、フィルードはすぐにドヴァ城へ向かった。
正式な交渉に臨むためだ。
城の会議室。
ケンタウロスの使者は堂々と口を開いた。
「人間の王よ。我が王は、貴殿が突然ドワーフと停戦したことに激怒しておられる」
通訳が淡々と翻訳する。
「我々はこの戦のために多大な犠牲を払った」
「よって、貴殿は我々の損失を補償せねばならない」
使者は一拍置き、はっきりと言った。
「以前約束した一千万ポンドの食糧は、少なくとも二倍。二千万ポンドを支払え」
「さらに羊一万頭、牛一千頭を要求する」
「そうすれば我が王は過去を水に流し、今後戦があれば再び援軍を送る」
その言葉を聞いた瞬間。
フィルードは、思わず笑ってしまった。
「……なるほど」
彼は椅子にもたれながら言う。
「ずいぶん露骨な恐喝だな」
「まあいい。続けろ」
ケンタウロス使者は、少し気まずそうに咳払いした。
そして声の調子を変える。
「陛下も最初からこのような要求をするつもりはありませんでした」
「ですが貴殿が突然停戦したため、我々は大きな損失を被りました」
さらに彼は柔らかい声で続ける。
「もし十分な物資がないのなら、まずは以前の一千万ポンドだけでも構いません」
「我々にも事情があるのです」
彼の目が少し曇る。
「今年の冬、北方は異常な寒さになると予想されています」
「ここ数年、気候はどんどん寒くなっている」
「部落では老幼が大量に凍死し、餓死するでしょう」
だからこそ――
「このような下策に出ざるを得ませんでした」
「同盟国として、本当に貴殿と戦いたくはないのです」
フィルードは内心で呆れた。
(見事なものだ)
脅し。
そして懐柔。
硬軟を交互に使う。
この男は、完全に交渉術を理解している。
そして――
恥を知らない。
(こういう相手が一番面倒だ)
フィルードは少し考えた。
国内の状況。
そして国際関係。
ドワーフとの大戦は終わったばかりだ。
王国はまだ再建途中。
数年は安定発展に集中する必要がある。
大規模な対外戦争は避けたい。
さらに、ケンタウロスが語った情報も気になった。
北方の寒冷化。
(……小氷河期か?)
転生者である彼の頭に、そんな言葉が浮かぶ。
もしそうなら、問題は深刻だ。
だが継続期間は分からない。
フィルードはゆっくり表情を緩めた。
「それでこそ交渉というものだ」
彼は穏やかに言う。
「我が王国はまだ成立したばかり。百廃待興の状態だ」
「だが我々は戦争を恐れない」
少し笑う。
「最悪、すべて壊して作り直せばいい」
「時間なら、いくらでもある」
そして視線を鋭くした。
「ケンタウロスは勇猛で知られている」
「だが我々の貧しさも、貴殿は知っているはずだ」
「我々と敵対しても得るものはない」
彼は淡々と言った。
「飢えた獣人を貴殿らの領地に放てばどうなる?」
「掃討するだけでも大変だろう」
つまり――
「両者が敵対するメリットはゼロだ」
「強者同士、手を組む方が合理的だ」
ケンタウロス使者は慌てて何度も頷いた。
「その通りです!」
「我が王も同じ考えです!」
さらに大げさに言う。
「貴殿の偉業はすでに我々の耳に届いております」
「我々こそ天生の盟友なのです」
フィルードはその言葉を深く追及しなかった。
代わりに、静かに切り返す。
「だが」
彼は軽く首を傾げる。
「自分たちの災難を理由に、私を恐喝するのか?」
「正直に言えば――」
「私は一粒の食糧も渡すつもりはなかった」
使者の顔が一瞬固まる。
だがフィルードは続けた。
「だが今の貴殿の態度は悪くない」
「だから同盟国として支援しよう」
彼は指を一本立てた。
「約束した一千万ポンド」
「そこに五百万ポンドを追加する」
「これは同盟国への贈与だ」
「いつか我々が危機に陥った時、貴殿らも助けてくれることを期待している」
ケンタウロス使者は呆然とした。
恐喝は失敗した。
そう思っていた。
だが――
相手は自ら追加してきた。
(硬い態度には硬く)
(柔らかい態度には甘く)
ここまで徹底した交渉は、彼も初めてだった。
しばらくして、ようやく我に返る。
そして顔いっぱいに歓喜を浮かべた。
「寛大なご決断に感謝いたします!」
「このことは一言一句違わず、獣皇陛下に報告いたします!」
「きっと陛下も、この盟友情を大切にされるでしょう!」
フィルードは無造作に手を振った。
「食糧はこちらで運ぶ」
「貴殿らは人を派遣して、ここで受け取ればいい」
そして最後に付け加える。
「量が多い」
「かなりの数のケンタウロスが必要になるぞ」
窓の外を見た。
冬の空気はすでに冷たい。
「それに……」
「もうすぐ大地が凍る」
「輸送は、今よりずっと難しくなる」




