第391章 王国改革の布石――制度と支配の静かな拡張
王国北域の広い範囲でゴブリン掃討が行われていた。
各守備軍団は森や丘陵を巡回し、巣を一つずつ潰していく。
そこに大ゴブリン部隊が加わったことで、掃討作業は以前より遥かに効率的になっていた。
(やはり同族を使う方が効率がいい)
フィルードは報告書を見ながら静かに思う。
同時に、彼は新しい政令をいくつか発布していた。
守備官たちへの命令は明確だった。
掃討の際、積極的に投降したゴブリンは殺すな。
すべて縄で縛り、まとめて拘束する。
その後、王国の判断で処遇を決める。
つまり掃討の手順も変わった。
まずは勧降。
その後、個体を見極める。
戦闘の中で完全に獣性に支配されたゴブリンは――全て処分。
しかし少しでも知恵がある個体は、生かして捕える。
犬にも種類があるように。
従順で賢い犬もいれば、血に飢えた狂犬もいる。
ゴブリンも同じだ。
有名な賢い犬種のほとんどは、人間が長い時間をかけて育種した結果である。
ならば――。
(ゴブリンでも同じことができるはずだ)
フィルードはそう考えていた。
知恵のある個体だけを残し、管理し、働かせる。
王国の下層労働力として使う。
あるいは戦場で使い捨ての兵力にする。
どちらにしても価値はある。
そのため、辺境の山間部や城と城の間にある空白地帯には、新しくゴブリン収容キャンプが作られた。
これらは王国の監督下で管理される。
もちろん、これはまだ試行段階だ。
もし従わなければ――即処分。
フィルードにとって、失うものは何もない。
厳密に言えば、ゴブリンは完全な知性種とは言い難い。
多くの獣人にとっては、牛や羊とほとんど変わらない存在だ。
フィルードは時々思う。
もし肉が美味ければ、とうの昔に家畜化されていたのではないか、と。
肉は少なく、味も悪い。
だが飼育は簡単だ。
何でも食べる。
そしてネズミ以上にしぶとい。
それでもフィルードが彼らに興味を持った最大の理由は、別のところにあった。
――二本の手。
そして簡単な道具を使える程度の知能。
つまり、単純労働なら十分こなせる。
(最悪、全員を鉱山に送ればいい)
鉱夫として働かせるだけでも価値はある。
だからこそ、試す価値があるのだ。
忙しい日々の中で、時間は静かに過ぎていった。
やがて冬が訪れる。
だが今年は例年と違っていた。
食糧は大豊作。
その結果――
王国内で凍死や餓死した獣人は、一人もいなかった。
これはかつての獣人部族時代から見れば、奇跡に近い出来事だった。
昔は毎年、老いた者や幼い者が冬を越えられずに死んでいた。
多くは飢えによる体温低下。
そして絶望の中で静かに命を落としていた。
それが今はない。
フィルードが統治して、まだ一年しか経っていない。
それでも、かつて誰も達成できなかった結果を生み出した。
この変化は、確実に獣人たちの心を動かしていた。
王国への帰属意識が、急速に高まり始めている。
もっとも――
下層の獣人の多くは、まだ事情を理解していない。
彼らはフィルードの名前すら知らない。
ただ一つ知っていることだけがある。
「町の人間が、根薯の育て方を教えてくれた」
それだけだ。
だが、それで十分だった。
その人間たちのおかげで、彼らは初めて飢えから解放された。
獣人たちの心の中で、人間の印象は変わり始めている。
かつては憎しみの対象だった。
今は――
少しずつ、感謝へと変わっている。
フィルードにとって、それは理想的な流れだった。
(いい流れだ)
この状態なら、将来南方から人間農奴を大量に北へ移住させても、強い抵抗は起きにくい。
これは必ず実行する計画だった。
根薯は確かに育てやすい。
だが栄養は偏っている。
長期間それだけを食べれば問題が出る。
だからこそ、あと一~二年安定したら――
北方へ小規模な人間農奴を派遣する。
そして黒麦を栽培させる。
農業構造を徐々に変えていく。
食糧事情の改善は、軍にも影響を与えていた。
各地の守備軍団は、大規模な練兵を再開した。
以前、食糧不足で中断していた訓練だ。
今は再び本格的に行われている。
その結果、守備軍団兵士の地位も急上昇していた。
一般の獣人から見れば、彼らは完全な勝ち組だ。
食事は一般獣人より遥かに良い。
配給量も多い。
さらに黒麦粉のような珍しい食べ物まで食べられる。
それだけで十分な魅力だった。
同時に、王国内では新しい施設の建設も始まっていた。
各町に正式な製粉所を建てる計画だ。
水車式、あるいは畜力式。
人口の多い城内に優先的に設置される。
小さな町では、従来の石臼が使われていた。
だが今は事情が違う。
石工たちが大量に暇になっていたのだ。
その結果、石臼の改良が進んだ。
粗雑だった旧式の石臼から、改良型へ。
特に粉砕用の円石は大量生産され、表面も以前より滑らかになった。
この石臼は決して精密ではない。
それでも畜力で回すことができ、生産性は大きく向上した。
本当はフィルードにも別の構想があった。
前世で見た石臼ローラー式の製粉機だ。
だが石工たちに説明したところ、すぐに難色を示された。
石臼の台座を作るだけで数日。
完成まで十数日。
量産には向かない。
その瞬間、フィルードは即座に判断した。
(ならば却下だ)
今必要なのは、完璧な装置ではない。
量産できる装置だ。
だから粗製石臼を普及させる方針に切り替えた。
それでも、以前の急造品よりは遥かに良い。
昔の石臼は、石柱の均一性すら悪かったからだ。
フィルードがここまで石臼に力を入れる理由も、はっきりしていた。
人口が増え、生活が豊かになれば――
人はより細かい粉を求めるようになる。
つまり、穀物加工の需要が必ず増える。
各町には最低三本の滑らかな石柱を配備する。
台座は現地で作らせる。
それだけでも十分すぎる支援だった。
現在、王国内の町民の多くは、まだ根薯をかじって腹を満たしている。
部落の住民の中には、依然として飢えが残る者もいる。
それでも――
少なくとも一日一食は満腹になれるようになった。
ただし問題もある。
一部の貴族が食糧を独占しているのだ。
部落民に配らない。
これについて、フィルードはすぐに対策を打った。
守備軍団に命じる。
暇な時は周辺部落を巡回し、実態を報告せよ。
その報告を見て、処分を決める。
フィルードの小帳簿には、一つの原則があった。
――無実の死者は出さない。
だが罪人は、確実に裁く。
いずれにせよ、部落の中上層はすでに衣食に困らなくなった。
その結果、反乱の芽はさらに小さくなっている。
そして貴族たちの間には、新しい欲望が生まれていた。
「もっと豊かな生活をしたい」
フィルードはそれを歓迎した。
今の獣人世界は、ある意味「大鍋飯」だ。
皆で同じ物を食べる。
最初は活気がある。
だが時間が経てば、必ず怠惰が生まれる。
生産力は伸びない。
だからこそ――改革が必要だった。
石臼の普及も、その一歩に過ぎない。
穀物を挽くなら、町の石臼を使うしかない。
そこには手数料が発生する。
守備官がそれを徴収する。
それが交易になる。
すべての獣人を巻き込む必要はない。
部落の中上層だけでも十分だ。
彼らに取引の習慣を覚えさせる。
それが第一歩だった。
そして次の段階。
フィルードは新しい制度を準備していた。
各町に――
「王国商社」を設立する。
この商社は、フィルードの支配するすべての町に展開される。
現在扱っている商品は少ない。
布地。
塩。
黒麦。
大豆。
だがそれでいい。
市場はゆっくり育てればいい。
そして同時に。
峡谷領地の酒造所は、かつてない規模で拡張されていた。
(次の一手は、酒だ)
フィルードの目は静かに細められていた。




