第385章 静かな取引、動き出す未来
レーガンは横でそのやり取りを聞きながら、内心かなり驚いていた。
(あのケチで有名なクルミの花領主が、ここまで気前よく出るとはな……)
これまで何度も交渉してきた彼だからこそ分かる。あの男は、基本的に一枚の皮でも惜しむ性格だ。それが今日は、自分から三人も差し出すと言った。
(理由は簡単だろう)
レーガンはちらりと大黒石を見た。
(さっきの敬礼だ)
あれで相手の虚栄心が完全に満たされたのだ。
「自分は敬われている」という感覚を与えれば、人間でも亜人でも判断は甘くなる。
レーガンはそれを止めなかった。むしろ、静かに大黒石へ小さく頷いてみせた。
名目上、大黒石が所有できるのは伴侶一人と奴隷一人だけだ。だが――
(雇用という形にすれば三人でも問題はない)
王国の規定など、使い方を理解していればいくらでも余地はある。
王国領内では、市民を奴隷にすることは禁じられている。
ここで言う市民とは都市の住民、あるいは守備軍団の家族などを指す。
さらに、クルミの花配下の部落民たちも、名目上は市民の範囲に含まれていた。
つまり――
強制的に奴隷にすることはできない。
だが本人が「自分から望む」のであれば、王国は干渉しない。
(制度なんてものは、こういう隙間で動くものだ)
レーガンは心の中で静かに笑った。
やがて、雌のジャッカルマンたちが一列に並ばされた。
クルミの花領主は腕を組みながら、ゆっくりと彼女たちを見回す。
彼はかつてフィルード直属軍団に長く所属していた経験があり、人を見極める目はそれなりにある。
彼は何人かに簡単な質問を投げかけた。
放牧の経験はあるか。
作物の栽培は知っているか。
冬の餌の備蓄方法は。
ついでに――
声の調子や視線の動きで、服従性も軽く確認していた。
だが。
(……まあ、こんなものか)
レーガンは内心で肩をすくめた。
ここに回された者たちは、フィルードが選別した「残り物」だ。
本当に優秀で、従順な個体はすでに守備軍団か直属軍団に引き抜かれている。
ここに残っているのは、最低ランクの者ばかりだった。
大黒石も一通り見て回ったが、特に気に入った相手は見つからなかったようだ。
最後に彼は腕を組んで少し考え――
結局、一番体格がよく、強靭そうな三人を選んだ。
(実に分かりやすい)
レーガンは内心で笑った。
やがて三人を連れて戻ろうとした時、クルミの花領主の口元がわずかに引きつった。
大黒石が選んだのは、偶然にもこの群れの「顔役三人」だったからだ。
だが彼は何も言わなかった。
自分で言った条件だからだ。
二人は三人のジャッカルマンを連れて営地を出た。
道中、レーガンは大黒石の横を歩きながら、ゆっくりと話を切り出した。
「大黒石爵士。見ての通り……あなたはいい女たちを手に入れましたね」
大黒石は満足そうにうなずいた。
レーガンはそこで少し声を落とした。
「ですが、まだ多くの戦友たちが苦しんでいます」
大黒石は眉をひそめる。
レーガンは続けた。
「暇な時でいい。あの古参たちに話してやってください。考え方を変えるべきだと」
彼は草原を指差した。
「このままではもったいない」
「皆が伴侶を持てば、夜は暖かく眠れる。
昼は土地を開墾し、作物を植え、放牧もできる」
少し間を置いてから、彼は笑った。
「裕福な農民になるのも、悪くない生き方ですよ」
大黒石は黙って聞いている。
レーガンはさらに言葉を重ねた。
「王国はあなたたちに五エーカーの土地を与えました。ですが草原の利用制限は、まだ明確ではありません」
「つまり――」
「領地内なら、自由に放牧できる」
大黒石の目が少し大きくなった。
レーガンはそこで、もう一枚の札を切った。
「それと、いいニュースがあります」
「将来、この辺りには自由市場ができる予定です」
大黒石は首を傾げた。
「自由市場?」
レーガンは根気よく説明した。
「人間の世界の“市”に近いものです」
「ただし物々交換ではありません。
あなたたちが昔もらっていた軍餉――あのような通貨を使います」
「そうなれば、すべての物に値段がつく」
彼は指を折りながら数えた。
「余った根薯を売ることもできる。
王国には成熟した醸酒技術がありますから、酒にして売ることも可能です」
「塩、獣皮、獣肉――すべて商品になる」
そしてレーガンは、静かに言った。
「さらに、王国が対外戦争をすれば――」
「捕虜がここに連れて来られ、売られるでしょう」
その瞬間。
大黒石の目が、はっきりと輝いた。
レーガンは内心でうなずいた。
(やはりそこに反応するか)
彼は最後の一押しを加える。
「お金があれば奴隷を買えます」
「そして――」
「自分だけの奴隷衛隊を編成することもできる」
大黒石は完全に立ち止まった。
まるで、人生の目標を再び見つけたかのようだった。
「……本当か?」
「その自由市場ってのは、そんなにすごいのか?」
レーガンは微笑んだ。
「ええ。本当です」
「おそらく陛下は全員に土地を分配するでしょう」
「ですが――」
「最初に動くあなたたち勲爵は、最初の開拓者になります」
彼はゆっくり言った。
「少し努力すれば、この町で一番裕福な層になることも夢ではありません」
大黒石はしばらく黙り込んだ。
すべてを理解したわけではない。
だが一つだけは、はっきり分かった。
奴隷が売られる。
そして衛隊を作れる。
その未来だけで十分だった。
「……それが本当なら」
彼は拳を握った。
「帰ったら、あの古株どもに話してやる」
レーガンは内心で安堵した。
(これで流れは作れた)
二人は笑いながら営地へ戻った。
大黒石はかつて軍団の十夫長を務めていた男だ。
老兵たちの中では威信が高い。
彼が先に動いたことで、他の古参たちも次々と折れた。
やがて彼らは次々とクルミの花領主のもとへ向かい、伴侶を選び――
一人につき二人ずつ連れて帰った。
こうして負傷老兵たちの生活は、ようやく軌道に乗り始めた。
まだ大地は凍っていない。
レーガンの提案で、老兵たちは妻たちを連れて土地の開墾を始めた。
五エーカーの土地をできるだけ耕す。
そして黒麦などの作物を試しに植える。
もし自分で耕せない場合は、守備軍団の農奴を雇えばいい。
収穫後に分け合う契約だ。
レーガンはその様子を見ながら思った。
(俺はやはり天才だな)
また一つ、儲けの道を見つけた気がした。
数日が過ぎた。
クルミの花領主もついに軍を集結させ、領内のゴブリン掃討作戦の準備を整えた。
レーガンも兵を派遣し、共同作戦に参加することを決めた。
今回の作戦で、クルミの花領主は部落戦士八百名を動員した。
数百名だけを残し、ほぼ全兵力を投入している。
そのため周囲の村々から、若い男をすべてかき集めた。
一方、守備軍団側は――
レーガンが五十名を残し、残り百五十名を率いて出征した。
この数日、食糧は十分だった。
訓練も一度も止めていない。
その結果、守備軍団の陣形はますます洗練され、戦力は目に見えて向上していた。
百五十名の部隊は整然とした足取りで木柵を出た。
数十名は鉄張りレザーアーマー。
百名以上は上質なレザーアーマー。
すべての兵士が精鉄製の長槍を担いでいる。
ミノタウロスたちは盾と鈍器を持っていた。
以前は領内に鍛冶師が不足し、購入ルートもなかったため、武器はバラバラだった。
唯一統一されているのは長槍だけだ。
槍頭の製造が比較的簡単だからである。
ミノタウロスの中には狼牙棒を持つ者。
両刃斧を持つ精鋭。
さらには片手剣を装備する者までいる。
主力武器の不足がはっきり表れていた。
それでも――
この集団の放つ気迫は、明らかに普通ではなかった。
クルミの花領主はすでに部落の外で待っていた。
レーガンが軍を率いて近づいてくるのを見ると、すぐに迎えに出る。
だが。
やがて彼は目を見開いた。
向こうから来る部隊は整然と行進していた。
中央に長槍兵。
両翼に盾と両手武器を持つミノタウロス。
全体が一つの塊のように動いている。
無駄がない。
外見だけでも、誰が見ても戦闘力を疑うことはない。
クルミの花領主は、思わずよだれを垂らした。
(なんて軍だ……)
(俺にも、こんな部隊があれば……)
彼は思わず後ろを振り返った。
そこには自分の戦士たちがいた。
隊列は乱れ。
互いに大声で喋り。
武器は乞食の持ち物のようにみすぼらしい。
中には木槍を持っている者までいる。
その光景を見て、クルミの花領主の胸に深い無力感が広がった。
(差が……大きすぎる)
(もしこの連中が密集陣形を組んだら……)
彼は唾を飲み込んだ。
(俺たちが突撃しても――)
(突破できるかどうかさえ、怪しい……)




