第386章文明の火を灯す敵――俺の戦場は観察から始まる
まさに――
人を見れば死にたくなる。品を見れば捨てたくなる。
そんな言葉がぴったりの光景だった。
クルミの花領主は、レーガンの軍を眺めながら胸の奥に重たい感情が渦巻いているのを感じていた。
整然と並ぶ兵士。
揃った装備。
統制の取れた動き。
それに対して自分の部族戦士は――
騒がしく、武器も装備もバラバラ。
まるで流民の群れだ。
しかも。
レーガンは戦馬に乗っている。
その事実が、さらに彼の神経を逆撫でした。
(……くそ)
(中規模部落の領主である俺が……)
(戦馬一頭すら持っていないとは)
胸の奥から情けなさが込み上げてくる。
(なんてみっともないんだ……)
一方、レーガンはその視線を感じ取っていた。
(ああ……)
(完全に心が折れている顔だ)
このまま放置すれば、無駄に関係がこじれる。
レーガンは静かに馬から降りた。
そして笑顔を作る。
「クルミの花領主」
「もう出発できますか?」
クルミの花は少し不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「……うん」
それだけだった。
(やれやれ)
(完全に拗ねているな)
レーガンは内心で軽く苦笑した。
やがて軍は出発した。
二つの軍勢は並んで進む。
しかしその姿は――
あまりにも対照的だった。
一方はざわざわと騒ぎながら歩く部族戦士。
もう一方は静まり返った守備軍団。
命令一つで動く規律。
(まるで難民と正規軍だな)
レーガンは冷静に観察していた。
少し進んだところで、彼は提案する。
「クルミの花領主」
「まずはあなたの部落周辺と、我が町周辺のゴブリンを掃討しましょう」
「その後――」
「榆の樹林地帯を掃討」
「最後に、管轄区域の要所を順番に潰していく」
「この計画でどうでしょう?」
クルミの花は相変わらず、レーガンの手にある手綱を見つめていた。
そして気のない声で言う。
「……うん」
(完全に馬に目が行ってるな)
レーガンはすぐ理解した。
だから何も言わず、手綱を差し出す。
「クルミの花領主」
軽く笑う。
「あなたは超凡者です」
「視力も私より優れているでしょう」
「馬に乗って周囲を偵察してもらえませんか?」
「ゴブリンの集落を見つけたら――」
「そのまま突撃して殲滅しましょう」
その瞬間。
クルミの花の顔がぱっと明るくなった。
「任せろ!」
「見てろよ!」
ほとんど奪い取るように手綱を掴み、
次の瞬間には馬を走らせていた。
まるで兎のような勢いで飛び出していく。
(……単純だな)
レーガンは静かに笑った。
数分後。
クルミの花は戻ってきた。
息を弾ませながら報告する。
「レーガン守備官!」
「前方右の山林にゴブリンがいる!」
「かなり多い!」
彼は手で山を指した。
「馬で近づきすぎるのは危険だと思って戻ったが……」
「数百はいる」
「成獣だけでも百以上だ」
「まずあの部族を潰そう」
レーガンは頷く。
「了解」
すぐに命令を出した。
軍は展開し、
山全体を包囲する。
逃げ道を完全に塞ぐ。
クルミの花は部下の数が多い。
しかも――
(俺の前で何か見せたいんだろうな)
彼は腕を大きく振り上げた。
「若者ども!!」
怒鳴る。
「この緑皮どもを皆殺しにしろ!!」
「一匹も逃がすな!!」
そして笑った。
「逃がした奴は今夜の飯抜きだ!」
「よくやった奴には羊スープを一杯やるぞ!」
その瞬間。
ジャッカルマン戦士たちが
一斉に山へ突撃した。
奇声を上げながら走る。
山の上ではゴブリンたちが
四つん這いで寝転がっていた。
中には樹皮を齧っている者もいる。
実にのんびりした光景だ。
だが。
ざわめきに気づいた瞬間――
外側のゴブリンが目を覚ました。
そして見た。
大量のジャッカルマンが突進してくる。
武器を振り回しながら。
次の瞬間。
甲高い悲鳴。
それが山全体へ広がる。
一瞬で大パニック。
組織的な抵抗など存在しない。
ゴブリンたちはただ狂ったように逃げ回った。
完全な一方的虐殺だった。
レーガンは守備軍団を率いて、
ゆっくりと山を登る。
周囲はすでに戦場。
いくつかのジャッカルマンは
それなりに戦い方を理解している。
長槍で外側から突き刺す者。
あるいは――
そのまま飛びかかり、殴り合いに持ち込む者。
だがレーガンの目には、
それは戦争には見えなかった。
(……ただの喧嘩だな)
(街の裏路地レベルだ)
しばらく眺めていたが、
すぐに飽きた。
約二十分後。
戦闘終了。
すべてのゴブリンが殺された。
ジャッカルマンたちは
奇声を上げて勝利を祝っている。
(まあ……こんなものだ)
軍はさらに進んだ。
二つ、三つとゴブリン集落を潰す。
四つ目の集落に近づいたとき。
退屈していたレーガンの目が、
少しだけ鋭くなった。
(……ん?)
この集落は場所が違う。
深い谷間。
領地の北西――
辺境地帯だ。
周囲は山脈に囲まれている。
(ここは人の手がほとんど入っていない)
環境を見る限り――
このゴブリンたちは
長くここに住んでいる。
本物の原住民だ。
だが、それ以上に驚いたのは――
山の上から煙が上がっていることだった。
(……火?)
レーガンの目が光る。
つまり。
このゴブリン部族は
火の使用を知っている。
(これは面白い)
火は文明の大きな分岐点だ。
人類が火を操るようになってから、
近代文明まで数万年。
レーガンは隣のクルミの花に言った。
「この部族……少し面白いですね」
「いきなり皆殺しはやめましょう」
「まず質を見たい」
「意外な発見があるかもしれません」
クルミの花は眉をひそめた。
「ただの獣みたいなゴブリンだろ?」
「何が意外なんだ」
肩をすくめる。
「まだ周囲に集落が山ほどある」
「さっさと片付けようぜ」
レーガンは首を振った。
「煙を見ませんでしたか?」
「火を使っています」
「今まで見たゴブリンとは違う」
「もしかすると――」
「知能の高い個体がいるかもしれません」
クルミの花も煙を見る。
「……確かにあるな」
少し考えた。
「俺の昔の部落の近くにもゴブリンはいたが……」
「火を起こす奴なんて見たことない」
「確かに気になる」
レーガンは頷いた。
「では慎重に行きましょう」
「あなたは部族戦士を長隊列にしてください」
「ゆっくり包囲します」
「抵抗しないゴブリンは捕虜」
「抵抗したら即殺」
そして付け加えた。
「突撃は禁止です」
「あなたの部下は興奮すると制御不能でしょう」
クルミの花は顔を赤くした。
図星だった。
彼の戦士たちは――
強敵には逃げる。
弱敵には群がる。
本当に恥ずかしい習性だ。
「分かった」
「頭の回る奴を先頭に置く」
「お前たちも一方向を頼む」
谷を指差す。
「ここは袋小路だ」
「ゆっくり締めれば逃げ場はない」
レーガンは頷いた。
軍は静かに動き出す。
谷へ入った瞬間――
ゴブリンの警報が響いた。
奇妙な咆哮。
すぐに森から
大量のゴブリンが現れる。
だが――
(……賢い)
レーガンの目が細くなる。
突撃してこない。
彼らは谷の奥へ逃げていく。
しかも。
動きが速い。
他のゴブリンのような
飢えた虚弱さがない。
さらに驚いたのは――
一部のゴブリンが
簡易レザーアーマーを着ていたことだ。
粗雑だが、防御力はある。
(面白い)
(これは普通の群れじゃない)
レーガンの興味は一気に高まった。
「前進」
静かに命令する。
軍はゆっくり押し進む。
谷は次第に狭くなり――
やがて山の麓へ到達した。
ここは完全な袋小路だ。
背後は巨大な山。
ゴブリンたちは
ついに逃げ場を失った。




