第367章冷然たる覇者、戦端を開く
エレナは静かに頷いた。
目の前の若きケンタウロス獣皇よりも、隣に控える年配のケンタウロスの方がはるかに理性的だ――彼女は瞬時にそう見抜いていた。力に溺れる若者より、飢えを知る老兵の方が交渉は早い。
(感情ではなく、損得で動く相手を選ぶ。それだけで成功率は跳ね上がるわ)
彼女は素直に年配のケンタウロスへ向き直り、身振りで交渉を続けた。
提示した条件は明快だ。こちらが一万袋規模の根菜を提供する。
エレナは頭の中で素早く算盤を弾く。布袋一つにおよそ十ポンド入ると仮定すれば、一万袋で十数万ポンド。軍全体の備蓄から見れば痛手ではない。
(この程度で大軍を動かせるなら、安い投資よ)
だが、年配ケンタウロスの目は満たされていなかった。
さらに身振りを交わすうち、その要求は明白になる。
――百萬袋。
つまり一千万ポンド。
常識外れの数字だ。だがエレナは眉一つ動かさなかった。
(痛い?いいえ。これで彼らを矢面に立たせられるなら、むしろ得。戦争は食糧で勝つのよ)
フィルードも同じ判断を下すだろう。そう確信し、彼女は即座に頷いた。
その後も苦労しながら意思疎通を重ね、ようやく合意が成立する。
エレナがテントを出ると、ケンタウロス獣皇もすぐに後を追った。そして軍団の召集を始める。
数度の鋭い口笛。
次の瞬間、四方から無数の蹄音が響き、大量のケンタウロス戦士が駆け寄ってきた。
獣皇がガラガラと何かを叫ぶと、戦士たちは即座に四散する。
(統率は取れている……野蛮だが、軍としては使える)
エレナはすぐには去らず、わざと空へ舞い上がり、旋回しながら様子を観察した。
派遣された兵たちは大小の部族へ走り、やがて各部族から大量の戦士が現れる。皆、大きな荷物を背負い、ゆっくりと集結を始めた。
出征準備に間違いない。
それを確認し、エレナはようやく満足する。
(約束は守らせた。あとは陛下の一手次第)
彼女は迷いなくフィルードの大営へ飛び立った。
◇
その頃、フィルードはメイヴの報告を受けていた。
「陛下、この数日の観察によれば、ドワーフは国内から大量の戦士をこちらへ呼び寄せています。特に犬頭族の数は把握しきれません。
ブルース率いる奇襲軍団はマイク軍団長と合流済み。すでに二つの大規模運糧隊を壊滅させました。それぞれ約三万規模です。
さらに牛頭城の守備軍から二万のドワーフ兵が北へ集結中。我らの劫掠隊を狙っていると見られます」
フィルードは机を指で軽く叩き、目を閉じた。
(来たな。こちらの動きを読んでいる)
ゆっくりと口を開く。
「……どうやら大戦は避けられん」
声は冷静そのものだった。
「今すぐ最速でマイクの元へ行け。全て伝えろ。
その後は食糧を携え、ドワーフ辺境へ偵察に向かえ。ただし敵軍に近づきすぎるな。
奴らは今頃、大鳥を脅かす武器を完成させているはずだ。高度を上げろ。敵陣から一里以上離れろ。
近づけば、確実に落とされる」
命令は簡潔、迷いはない。
メイヴは静かに頷き、即座に去った。
続いてフィルードは伝令兵を呼ぶ。
「定獣城へ向かえ。狼青たちに伝えろ。
軍を編成し、こちらへ集結。速度最優先。三日以内だ」
伝令兵は深く一礼し、駆け去る。
その背を見送りながら、フィルードはわずかに目を細めた。
(今なら牛頭城を落とせる)
城壁はまだ低く、守備は三万。
ここを奪えば天然の要害を得る。以後の戦局は大きく傾く。
(攻めるか、待つか)
だが次の瞬間、彼の中で答えは固まる。
(両方だ。攻めながら、引き込む)
◇
命令が飛ぶと同時に、北域全体が騒然となった。
各地から兵が呼び集められ、北部大営へ殺到する。
情報を得たブルースとマイクも慎重になり、平原での挟撃を避けるため山脈地帯へ移動。峡谷に拠点を築き、奇襲の機会を待つ。
三日後。
牛頭城から派遣された二万のドワーフ軍が運糧隊と合流。
戦士四万、犬頭族農夫四万超。
一方ブルース側は直属四万強、騎兵を加えて五、六万。
装備は敵が優位。
(正面からでは分が悪い。だが地形が味方する)
それでもドワーフ王は即時決戦を避け、本土からの増援を待つ決断を下した。
数で圧倒してから叩き潰すつもりなのだ。
(慎重だな。だが、その慎重さが命取りになる)
◇
同日。
フィルードは南側大営で十二万の守備軍を集結させ、北へ進軍。
半日で牛頭城近郊へ到達した。
すでに城壁はかなり築かれている。高さは低いが、面積は広い。
「木材を集めろ。投石車を造れ」
即断。
狙いは明確。砲撃で城壁を崩し、突入して決戦。
(劫掠隊は危険だが、ここを放置すれば背後を刺される)
双方、状況は似ている。
あちらは地形の利。こちらは城壁の利。
そして数。
定獣城から集めた木工職人のおかげで、投石機は驚異的な速度で完成していく。一日で数十基。
さらに軍を分け、周囲から巨石を運ばせる。
やがて重型投石機が並び、数十ポンド級の巨石が唸りを上げて飛ぶ。
轟音。
城壁に亀裂。
守備側ドワーフ将軍は愕然とする。
(この威力……想定以上だ)
時間が経つほど投石機は増え、城壁の損傷は深刻化。
このままでは持たない。
◇
一方、ブルースとガロ。
急峻な峡谷に布陣。
谷口は百から二百メートルほど。木柵で封鎖。
奥には小川。辛うじて飲料水を確保。
要首城から食糧が継続的に送られ、大型弩や小型投石機も運び込まれている。
(ここなら十万来ようと止められる)
ブルースは冷静に地形を見渡していた。
その時。
両側尾根の斥候が駆け下りてくる。
「ブルース軍団長殿!大量のドワーフ軍が進軍中!推定七、八万以上!視界に収まりきりません!決戦の構えと思われます!」
報告を聞き、ブルースは静かに目を閉じた。
(来たか)
そして、薄く笑う。
(数で勝てると思うなよ。ここは俺が選んだ戦場だ)




