第368章断崖を駆ける鋼角
ブルースの胸は、静かに、だが確かに高鳴っていた。
激戦になることは分かっていた。七、八万の大軍。しかも装備に優れたドワーフ軍。
だが――恐怖はない。
(これが、大軍を率いるということか)
これほどの規模の兵団戦を指揮するのは初めてだ。正直に言えば、まだ手探りの部分もある。だが、不思議と圧迫感は感じなかった。
数年間、フィルードの側で戦場を見続けてきた。
包囲戦、奇襲、撤退戦、焦土戦。
(大局を見る目は、もう養われている。俺は――もう新人じゃない)
ブルースは深く頷き、声を張った。
「偵察を継続しろ!全投石機と大型弩を両側の崖上へ配置せよ!」
兵が動く。
「今日は北上以来、最も強力な敵と対峙する日だ。だが任務は殲滅ではない。
時間を稼げ。可能な限りな。
陛下が南のドワーフの城を奪えば、この段階は我らの勝ちだ」
(俺たちは刃じゃない。楔だ。打ち込まれれば、敵は動けなくなる)
言い終えると、隣の人間将軍に低く囁いた。
「武器を持ち、督戦の準備をしろ。
今回は激しい。獣人の中に逃げる者が出ても不思議はない。
怯えて後退する者は、その場で斬れ。報告は不要だ」
将軍は迷いなく頷く。
(甘さは軍を殺す。ここは戦場だ)
◇
ドワーフ軍は一日休んだだけで、再び攻撃を開始した。
最前列に立たされたのは――犬頭族。
数万の犬頭族戦士が、長槍を握り、鉄片を嵌めた鎧を身に纏っている。
ドワーフの製作技術は世界一。鉄器を惜しげもなく配る。
(装備だけは一流だな。だが戦意は?)
ブルースは冷静に見下ろした。
「まだだ……もう少し引きつけろ」
犬頭族が二十メートル以内に迫る。
「撃て!」
次の瞬間、木寨の上から投槍が嵐のように降り注いだ。
四肢を貫かれ、犬頭族が次々と転倒する。悲鳴が峡谷に響く。
数百の死傷。
それだけで隊列は崩壊した。
犬頭族は一斉に逃走する。
後方のドワーフ将軍が怒号を上げるのが見えた。
(想定通り。戦意が低い兵に、上からの投槍は悪夢だ)
密集して頭上から降る死。
理屈ではなく、本能が逃げろと叫ぶ。
◇
次の手は早かった。
ドワーフは大型弓弩を担ぎ、犬頭族の後ろに続いて前進。
七、八十メートルで停止。
再び犬頭族を突撃させる。
ブルースはすぐ察した。
(抑え撃ちで投槍を封じる気か)
彼は手を挙げた。
「伝令!山頂へ!弓弩部隊に伝えろ!
ドワーフ弩兵を直射せよ!
どちらの弓弩が強いか、見せてやれ!」
伝令が駆ける。
犬頭族が十数メートルに迫った瞬間――
両側の尾根から、重い破空音。
標的は犬頭族ではない。
ドワーフの弩陣地。
ガロが持ち込んだ大型弩は数百基。さらにシャルトンによる改良。
牛角を利用した複合素材により、射程も威力も大幅に向上。
軽量化され、ほぼ一人で担げる。
(上から撃てば、全てが有利に働く)
弩矢が雨のように降る。
上から下への慣性。
貫甲矢頭。
ドワーフ弩兵が次々と倒れた。
彼らは射程を誤算していた。
一瞬で主導権が奪われる。
慌てて反撃するが、下から上では威力が出ない。射程も足りない。
こちらの損害は軽微。
一斉射撃が終わると、兵たちは冷静に絞盤を回し、再装填。
その間に犬頭族が再び木寨目前へ。
「投槍!」
再び雨。
先頭が刈り取られる。
混乱、悲鳴、崩壊。
遠方のドワーフ将軍も全てを見ていた。
(弩で抑え、犬頭族を突っ込ませるはずが……逆に弩を潰されたか)
山上からの射撃は止まらない。
五輪射撃。
ついにドワーフ軍は耐えきれず撤退を開始。
犬頭族は主人の後退を見て完全に崩壊。
四散する。
◇
ブルースは苦笑した。
「……投石車を使う前に逃げたか」
本気で叩けば、近づくことすらできなかっただろう。
(正面からでは来ないな。次は策を変える)
◇
ドワーフ幕舎。
将軍は険しい表情で戦場を見下ろす。
「早急に決着をつけねばならぬ。その後、南へ戻り王庭を支援する。
長く手薄にすれば、フィルードに食い破られる」
重苦しい空気。
その時、屈強なドワーフが進み出た。
「大将軍。
大角羊騎兵を投入すべきです。
この山岳では無類の機動力。山脊を駆け上がり、敵の弩陣地を破壊できます」
周囲が賛同する。
将軍は目を閉じる。
(損害は出る。だが時間がない)
両側の山脊は急峻。登れるとはいえ、石を落とされれば被害は甚大。
だが――他に手はない。
「……投入する」
◇
正午。
ブルースとガロが次策を話している最中、第三波が始まった。
また犬頭族。
同じ布陣。
だが、違うものが一つ。
一万を超える大角羊騎兵。
鋼の角を持つ巨羊が陣から飛び出す。
ブルースの視線が鋭くなる。
(本命はあれか)
騎兵は二手に分かれた。
五、六千ずつ。
遠方の低山から迂回し、両側の山脊を目指す。
(弩陣地を潰す気だな。悪くない判断だ)
だが。
ブルースは叫ぶ。
「伝令!
一万六千の直属軍団を両側山脊へ!
遠距離陣地を死守しろ!
絶対に突破させるな!」
(ここを抜かれれば均衡が崩れる。だが――)
彼は静かに笑った。
(俺が選んだ戦場だ。簡単に渡すと思うなよ)




