第26話 願い
死に物狂いで、俺は足を動かしていた。負傷した左足を庇うことさえせず、無我夢中に。
「――ソラ……」
辿り着いた先には――ソラの頭部が、転がっていた。彼女は鉄華に飲み込まれる直前に、身に着けていた燃焼剣で、自らの首を斬り落としたのだ。
「そん…傷……率、九十四・六パーセ……ント…。起ど……う、ロスト……まで、カウント二……百……。思考…エイ…あい…、ロス……トまで………ひゃく…八…じゅう……」
ノイズ混じりに声を出す、柔らかな青の瞳のソラ。その瞳には、辛うじてまだ光を宿している。
ソラの頭部は爆発による炎にこそ巻き込まれなかったが、爆風によって激しく吹き飛ばされ、損傷は免れなかった。そもそも……身体から斬り離された時点で、彼女が起動していられるのが、もはや時間の問題であることは、素人の俺でもどうしようもなく理解できてしまうのだ。
「クソっ! なぜ……なぜなんだ!!」
嘆かずにはいられなかった。俺が犠牲にさえなっていれば、ソラがこんなことになることはなかったのだ。
爆弾さえ仕掛けられていなければ。ソラが兵器ロボットにさえ、作り変えられていなければ、こんなことには――。
「わたし…は……死ぬ…わけには……いきま……せん」
「ソラ……」
「わた…しは……枯れない…花……です……から」
「……枯れない花?」
「はい……私は……枯れない、花…………花を…咲かせる…おおきな…鉢植え…ですから………大切な…人たち、を、咲かせ…続ける……役割を…担って…いる、のです」
ソラの言葉を聞いて――俺の脳裏に、蘇る光景があった。
デート中に訪れた雑貨屋での、ソラ――あの時のソラは、土浦寧々の誕生花であるネリネの花をじっと見つめていた。大きめの鉢植えに咲いた、ネリネの花を。
――自分と……重ねていたんだな。
自分の中で、大輪の花を咲かせるマスター。あの時のソラは、俺の想像を超えてまばゆい金色の時を過ごしていたのだ。
――大きな、鉢植え……。
ロボットは、他の生物と違って、寿命がない。
老いを知らぬ、鉄の存在。
鉄華と同じ、花とは言えぬ、偽物の花。作り物の、枯れない花――。
土浦寧々がソラというロボットに『花は枯れて種となり、そして花を想う誰かのもとで、再び花を咲かせる』と話したのには、自分のことをいつまでも忘れないでほしいという、強い願いが込められていたのかもしれない。
永遠の命への可能性を秘めた、ロボットという存在に。
「マスター、は、いま……も、私の……心の…中で、咲き続けて…い、ます。キラキラ、と、かがや…いて……温かい、です。マスター、だけでは……なく、わたし…が、出会った……たくさんの、人たちの……花、が……わた…しの中で、咲い……ています。どの……花…も……とても、大切な、花…たち、です。ですから、私は……いなく…なる…わけには、い…かないの…です。わた…しの、中で、咲き…つづける……大切な、人たち…の、花…を……どうか……枯らさ……ないで……」
ソラの途切れ途切れの一言、一言が――俺の心臓に、深く突き刺さる。
ソラは言っていた。俺が死ぬのが怖いかと訊ねた時、死ぬわけにはいかない、と。
はっきりと、力強く。
――そういうこと……だったんだな。
ソラが死ぬわけにはいかないと言っていたのは――自分のためではなく、マスターのため、そして俺も含めた、彼女と今まで関わった人たちのためであったのだ。
いつまでも、大切な人たちのことを記憶に焼き付けて。いつまでも、生きた証を覚えておいて。
――なんて、優しいロボットなんだ……。
ロボットは壊れる時、何も思わないのだと思っていた。
死への恐怖も、生への願望も抱かないのだと、勝手にそう思っていた。
だが――このソラというAIロボットは、自分が死ぬその時まで、大切な誰かのことを想い続けているのだ。
人は死ぬ時、自らのために、死にたくないと思うのに。
それなのに、人よりも、ずっと温かい心を持って……。
「お前は……枯れない花なんかじゃない。俺たちと同じ……立派な一輪の花だ。……だから、たとえ、お前が深い眠りについても……必ず、また……花を咲かせるから。必ず……俺が……お前の種を、受け取るから」
「……ほんとう……です、か?」
「ああ、もちろん。お前の抱える花たちも、俺が必ず、また咲かせてみせる。だから…………ゆっくり、眠るといい。眠って……また、満開に咲いてくれ」
身体に力が入らない。顎が震えて、しゃくりが止まらない。ソラの額に咲くエナジーアイが、蛍の発光のように小休止を挟みながら点滅し、青紫色の光を失いつつある。残された時間は、もう僅かだ。
――涙が、込み上げてくる……。
だが、それでも――最期は、笑顔で送ってあげたい。
青い空の下で絶やさず咲かせ続けた、満開の花に――少しでも、近づけるように……。
「そう、です……か…………よかっ、た…………わたし、がんばり……ます…………マスターの、よう、な……キラ、キラ…した……花に、なれる、ように…がんば…り…ます。マスターの、ような……あた、たかい、花に……」
「……ああ。……頼むよ」
俺は必死で笑顔を作った。ソラの額に咲く、キキョウの花の輝きをお手本にして。
「まが…りさん、さいご…に、一つ…おねがい、し…ても、よろしい…で…しょう、か?」
「……なんだ? 言ってみろ」
「……キス、して……くだ、さい………」
「……ああ」
俺の言葉とともに、ソラが、俺にピントを合わせる二つのレンズを、ゆっくりと閉じる。
それを合図に、ソラの薄ピンク色の部分に、俺は口で触れた。
その感触は、柔らかくて――愛しい。
「あり…が………とう、ご…ざい……ま………す………わ………た…し……と…ても……と……て…も……………う…れ…し……い…………で…………す」
ソラが俺に向けた、初めての言葉――その想いの詰まった贈り物を最期に、キキョウの花は光るのをやめた。
花が、枯れた。




