第17話 『二人で舞う夜』
そーっと、そーっと。
宙に浮いているから足音なんてないけれど、ことさら慎重に、抜き足差し足忍び足(空中バージョン)。
色々なところは崩れているけれど、なお荘厳なお城。むしろ崩れているからこそ時代の流れという重みを感じさせる威容。
その正面、きらきらと輝く黄金の粒子が閉じ込められた、1枚の漆黒の宝石で造られた大扉をそーっと押し開く。
想像よりもはるかに軽い感触に思わずつんのめりそうになりながら、なんとか反対の扉の陰に身を隠して、こっそり中を覗き見。
「誰か、いますかー」
灯りの落とされた城内は薄暗がりに包まれているけれど、そこかしこの崩落跡から差し込む月明かりが幻想的に要所要所を照らしてる。まっすぐに伸びる深紅のカーペット。その先の左右には、緩やかな曲線を描きながら、バルコニー状になった中二階へと続く階段。
浮島の端まで行けるようにはなっても、1時間の活動限界だと探索するには不十分なので、まずは近場から攻める事にしました。その結果が、ここ、大本命ともいうべきお城!
「誰もいないなら、入っちゃいますよー」
またあの黒い騎士みたいなのが、扉の陰に潜んでいたりしないよね?
うん……大丈夫そう。
少しだけ警戒を解いて、すーっと中へ。月光差し込むホールの中心へ。
「あひゃぁわあぁっぁ……!? あっ、あふ……あぅ……んんぅ」
ちょ、ちょっと嫌だ私。な、なな、なんて色っぽい声を上げてるの。
初めの絶叫から一転、首筋を這い回る生暖かくも心地よい感触に腰砕けになって空中でぺたんこ座りになっちゃった。
「や、やぁ、なに……なんなのぉ」
ぴちょ、ぺちゃ、首筋をハムハムと柔らかく甘噛みして、ぺろぺろ。
力の入らない身体を上半身だけ無理やりひねって、こしょこしょとほっぺたをくすぐる柔らかい感触も我慢して振り向けば。
「ふぇ、あ、あなた……あの黒い影みたいだった女の子!?」
白い月明かりを逆光気味に背負い、一生懸命背伸びをして私の首筋を唇で甘噛みしていたのは犬耳犬尻尾の女の子でした。
けれど、その様子は昨日まで知っていた姿とは全然違う。
薄っすらと透かし見えていた、無表情気味のクールなお顔。
漆黒のストレートロングヘアが、抜けるように白い頬を縁取っています。つぶらな黒い瞳に、ちょこんと垂れたお耳。そして、ふさふさの尻尾。
肩の開いた黒いワンピースドレスには、繊細な銀細工の装飾。ほっそりとした脚は黒いサイハイソックスに包まれて、足元にはアンバランスなほどがっしりとしたロングブーツ。
まるで、夜の色をそのまま纏った、小さな犬獣人のお姫様。
お顔はほとんど無表情……それなのに。
お耳と尻尾だけは、嬉しそうに動きっぱなしなのです!
……♪ 私が気がついたのが嬉しいのか、無言なのは変わらず、けれど尻尾はくるんくるんと回り始め、お耳もゆっさゆっさと楽し気に上下してる。つぶらな黒い瞳がまっすぐに私を見つめて……よじよじ。
「ふぇ、あ、危ないよ!?」
扉の前に座り込んだまま浮かんだ私のお膝の上に、向かい合わせになるようによじ登って、ぎゅー。
私の豊かなお胸に顔をうずめて、しっかりと抱き着いちゃった。
なぁに、この状況~。
エリシアさんとも違う、私よりもさらに背の低い、小動物系な人肌の温もりに胸の奥がポカポカ。
やっと私の身体に力が戻ってきた頃。
「はひゃ!?」
今度は真正面から、私の首元にお顔を寄せて、くんくん。
こ、こしょばゆいからやめてぇ~。
なんていう余裕も無く、軽く顔を上気させる私を前に、今度は両手をにぎにぎ。
ちっちゃ可愛い、思ったよりも体温の高い手で、私の両手を上下にゆったりとゆすり始めます。
「なぁに、何をしてほしいの?」
私が不思議そうに見つめていると、やっとぴょん、と膝の上から黒い石畳へと降りて、今度は無表情故の大人っぽさをうかがわせる、それでも幼気な美貌でじっと私を見上げてくる。
かと思えば、ゆらり、ゆらり。ゆっくりとブーツの靴底で音も無くお城の床を踏みしめ、身体を回し、舞わせ。
「あ……踊ってほしいの?」
ちょっと考え込むように、一瞬止まる動き。
両手を広げて、ゆらりゆらり、再び回り出す少女の身体。
黒く長い、艶やかな髪が月明かりで照らされて天使の輪っかみたいな輝きに彩られる。
「もしかして……これを使って舞ってほしいのかな」
ちらっと青いバーを視れば、まだMPは9割以上。
舞の動きに耐えられるかわからないけれど、魔装自体を呼び出す事は可能。
初めてこの子がはっきりと姿を見せてくれて、こんなに一生懸命アピールしてくれているのだから、応えなくちゃね。
この子が誰なのか、何を求めているのか、まだわからないことばかりだけれど。
少なくとも、私と一緒に踊りたいっていうのなら。
「ふふっ。喜んで、お付き合いしますよ?」
だって、私も誰かと一緒に踊ってみたかったのだもの。
取り出しましたるは罅に覆われ、それでいてなお美しい黒白1対の舞扇。
勢いよく動かせばあっという間に崩壊してしまう、破損した『双月の誓い』の銘を冠した武具。
あの日、幻月花の花園で舞った時を思い出し、緩やかに歌を口ずさみ始めれば、静かに流れていた弦楽器のBGMがにわかに曲調を変える。
《月が流した涙の子の舞に誘われて。忘却の夜が、失われたもうひとつの舞を思い出します》
弦楽器の澄んだ音色に、もうひとつ、深く柔らかなチェロの低音が重なる。
ひとつ、またひとつ。静けさの中から目を覚ますように、旋律が重なっていく。
なんて粋な伴奏かしら。
崩れた天井から差し込む白い月明かり。深紅の絨毯を敷き詰めた、ほかに人影のない、優美さと荒廃の哀しみがないまぜとなったお城のエントランスホール。
その静寂を満たす音色に身を委ねて――。
ゆぅるり、ゆぅらり、幽玄な月明かりの下を、シンプルな白いワンピースドレスを靡かせて、白銀の髪を舞わせて。
ゆぅらり、ゆらり。透ける宝石の扇を両手に、私が舞う。
ふと、曲のテンポが少しだけ速くなる。
ゆるゆる、ゆらり、ゆるりるら。
気配に隣を見れば、私の周りを巡るように黒い少女が拙くも楽し気に、音も声も無く、くるくるくるり、踊り舞う。
互いの周りを巡る、2人の舞い。
ふふっ。なんだか、可愛い。
私の舞に合わせようとしているのかしら。けれど、少しだけ拍子がずれてしまうみたい。
それなら、私の方から合わせてみましょう。
ひらり、ゆらり。扇に添えて差し伸べた指先で円を描けば、零れ落ちる白い燐光がその軌跡をなぞる。
くるり、ふわり。小さな女の子は、その後を追いかけるように舞い踊る。
目が合った……気がすると、無表情なままに見上げる少女のふさふさ尻尾が、嬉しそうに揺れて。
……ふふっ。
あの夜、ひとりで舞った時だって胸がいっぱいになるほど楽しかった。
けれど、今は。
私の隣に、この子がいる。
……誰かと一緒に踊るって、こんなにも嬉しいことだったのね。
初めはばらばらだった二人の動きが、ゆっくり、少しずつ重なっていく。
《地に閉ざされ眠る、忘れられた祈りが共鳴し、白き光と黒き影がひとつの調べを紡ぎ始めます》
白銀の髪と、漆黒の長い髪。
純白のドレスと、黒いドレス。
互いの周りを巡り、追いかけ、時に並んで。
二人の舞いが、ひとつの円を描き始めました。
《白き月の雫は、孤独な影を拒まず。黒き夜の欠片は、差し伸べられた温もりに応えました》
開いたままの魔力視の視界に、不思議な魔力の流れが浮かび上がる。
二重の螺旋を描くように、舞いの軌跡に合わせて互いに絡みあい、空と浮島の大地を繋ぐように……。
純白の燐光を放つ私の『月華』の魔力と、この子から漏れだすかつての『黒い靄』に似た黒い魔力。
二色の螺旋が白い月と黒い宝石のような大地を結ぶ。
――ぎゅっ。
背中に、柔らかな温もり。
振り向かなくてもわかります。小さなわんこな女の子が、私の背中にぎゅっと抱き着いているの。
「……ふふっ。楽しかった?」
お返事はないけれど。
尻尾の毛先が、私の腰のあたりをくすぐるように揺れました。
……それから、ふわり。
まるで夜の闇へ溶け込むように、その温もりが遠ざかって。
振り向いた時には、もう誰もいませんでした。
「……また、遊ぼうね」
そう小さく呟いた時。静かに、私の視界へメッセージが浮かび上がったのです。
《月が流した涙の子は、名も知らぬ影の手を取りました。これより、途切れていた誓いに、新たな絆が刻まれます》




