第5話 空箱にみる パッケージが担う役割の変遷+α
昔は 瓶とスチール缶が 保管と運搬という 流通2大課題を満たす最適解だった。
流通網が完成し、「消費」が 「人間が生きていくために必要とする物」を満たすためのものから、「欲望を満たすもの」、さらに「購買者の欲望を喚起して売りつけて稼ぐためのターゲット」と変質するにつれて、パッケージが担う役割が変化した。
早い話が、生産企業の利潤拡大のためには、流通に関する経費を削減したい、だから、ガラス瓶やスチール缶よりは 軽い「袋」や「アルミ缶」が良い。
しかし 袋入りにして 中身の品質が劣化したり、商品イメージが下がっては困る。
だから 袋を構成する素材を研究して、品質劣化を防ぐための工夫した新素材(アルミ成分でコーティングしたもの等)や、パッケージに華やかな あるいは目立つ印刷をする技術、そして 袋の中身や印刷インク・包装材の臭いにも気を配り、通気性にも気を配り 様々な研究を重ね 技術を開発して、「袋」文化・技術を高度化させた。
そして 瓶入りに代わる 石油由来の容器もいろいろと開発し・・
アルミ缶は 中の品質を守り軽量でなおかつ表面にはいろいろな印刷をして・・
印刷といっても 今や 刷り込むのではなく、インクを吹き付けたりする技術革新が行われているのだが、缶ビールのように毎月各社こぞって 新パッケージの商品を競いあう時代となった。
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その一方で 消費者の側からは、紙箱の時代は 各種クラフトでリユースできた。
でも 石鹸の箱のように リユースに向かいない「丈夫な箱」もある。
捨てるのはもったいないが 家庭で保管しても使い道のない空箱が増えるのは困る!
みたいな わがまま「エコ」要求が発生!。
そこでまず、石鹸の箱が 袋入り販売となった。
しかし 袋入りだと 家族持ちが1か月ほどで使いきるとはいへ、 容器としては 使いにくい(耐用性に難あり)とクレームがでて、 今では 箱入りと袋入りが並行販売されている。
つまり 箱入りを使い切ったあとは、その空箱にすっぽりと収まる袋入りを購入して
空箱の中に 新規購入した洗剤を袋ごと入れて使い、
何か月かして(つまり 何袋も空箱に入れなおして使って)、空箱の外面が汚れてきたら、また 新たに 紙箱入りの洗剤を買って、そしてまた袋入りを買って・・を繰り返してね、と。
これなどは、「空箱がたまるのはもったいない」という消費者のわがままエコ心理と
空箱よりは袋詰めの方が運送中の重量軽減につながるという、運搬担当者の労働環境改善?につながる エコ改革かもしれない。
彼女 個人としては、
(森林資源の保全(紙の消費を抑える)と 石油資源の保全(袋を生産するために消費される石油・運送に消費される石油資源)のバランスを考えると、どこがどう エコになっているのか よくわからん。
ようわ 気分の問題では?という気がしないのでもないけど・・。
単純に 紙箱を 紙として再利用すればいいだけのような気もするけど
紙箱に 印刷インクがついていると 再資源化するコストが高くつくとかいうのなら・・・??
とまあ エコってなに? 真の意味で消費を抑えるもっとストレートな切り口が必要では?)
と いつも思っているが
そう言う考え方は 「技術革新こそが 産業創造・人々の職業選択の自由を増し 所得拡大に役立つ社会的発展なのだ」という幻想はびこる社会では 全く通用しないことはわかっている。
平たく言えば
「『何かを変えれば 誰かがもうかる』そこにうまく寄生するのが荒稼ぎの秘訣」と考える人間が 国会・議員活動・マスごみと紐づいている限り、そしてそれこそが民主主義というイデオロギーのパワーなのだという現実がある限り
本質的なエコなんて なりたたないだろうと 思っている。
が 官僚が そういう悲観的社会観を持っていては務まらない。
あくまでも 権益に固執する保守派に属するか
「より良き未来を作っていこう」という幻想的改革派の流れに乗っからなければ
仕事にならないのが 官僚の世界なのである。
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しかしまた 「現実が見える」からこそ それに逆らいたいけど云々と思うのが、若者。
そういう 若手官僚たちが 集まって起案した「新 リユース戦略:広報活動によるイメージアップ(案)」 が 次話




