第46話:冒険者たちの矜持
扉が閉まり、使者たちの足音が完全に遠のいた後も、政庁舎には重苦しい静寂が居座っていた。
ゲオルグさんは腰を下ろした長椅子で腕を組み、彫像のように動かない。その背中に漂う重圧は、言葉を交わさずとも戦時への回帰を告げていた。
私は相変わらず天井の染みを眺めていたが、視線の端では、ディランさんが入り口の扉を鋭く見据え、ミリアさんは持っていた羽ペンを力なく机に置いている。
窓の外からは街の生活音が聞こえてくるが、この部屋の中だけは、王国から持ち込まれた得体のしれない毒のような気配によって空気が澱んでいた。
ゲオルグさんは、すぐに主要なメンバーを招集し、緊急の会議を始めた。
招集を受けた面々は、どこか険しい顔つきでテーブルを囲む。かつて酒場だったこの一角には、和平という名の毒を飲み干すべきか否かを決めるための、緊迫した円陣が形作られた。
「全員、例の使者を見てどう思った。率直に言え」
ゲオルグさんは視線を上げぬまま、低く問いかける。
私は視線を落とし、彼らの間でそれぞれの覚悟と疑念がぶつかり合う瞬間を、静かに見つめた。
「まぁ、十中八九何かあるだろうな」
最初に口を開いたのはガルボさんだった。普段、串焼き屋として人々に愛想を振りまいている面影は跡形もない。彼は腕を組み、獲物を品定めするような鋭い眼差しでゲオルグさんを捉えた。
「ここにいる全員そう思ってるさ、それくらいお前もわかってるだろ?」
ガルボさんの言葉に、円陣の空気がわずかに震えた。
彼が口にしたのは、全員が感じながらも口に出すのを躊躇っていた、毒を含んだ核心だ。
レインさんが小さく鼻を鳴らす。いつもは柔和な笑みを湛えている彼女も、今は険しい形相で床の一点を射抜くように見つめていた。
「えぇ。何かある、どころか……あちらは私たちが断るという選択肢を最初から想定していないようだったわ。あの言葉の裏には、拒否した時点で開戦の口実を与える、という脅迫にも似た布石が透けて見えていたもの」
レインさんの冷静な分析に、ミリアさんが深く頷く。彼女の瞳は決然とゲオルグさんを見据えていた。
「そうですね。もし、あの招待を無下にしたなら……王国はこれ幸いと『和平を拒んだ蛮族』という汚名を着せ、大義名分を掲げて攻め込んでくるでしょう」
壁一枚向こうでは、街の人々が懸命に明日の暮らしを立て直そうとしている。しかし、この部屋にいる面々の視線は、既にその先にある戦場を見据えていた。
「はぁ~……ったく、やってらんねぇな」
ゲオルグさんはようやくゆっくりと顔を上げ、円陣を組む仲間たちへと視線を巡らせる。その眼光は、戦火に燻された鋼のように鋭く、そしてどこまでも冷徹だった。
「……死なばもろとも、か。王国は、俺たちがどれだけ狡猾に振る舞えるか、その腹を読もうとしてるらしい」
ゲオルグさんの言葉には、仲間たちを危険な天秤にかけざるを得ない苛立ちと、それでも彼らと共にあり続けるという重い覚悟が混ざっていた。
「よし、決めた。……俺は、行くぜ?」
その断言に、部屋の空気が一気に張り詰めた。
ゲオルグさんは腰を下ろした長椅子からゆっくりと立ち上がる。その動作ひとつひとつに、決定的な一歩を踏み出す重みが宿っていた。
「待ってくれ、代表」
静寂を割ったのは、それまで沈黙を守っていたディランさんの声だった。彼は鋭い眼光を崩さぬまま、ゲオルグさんの前に一歩踏み出す。
「罠だと分かっていて飛び込む気かよ。王国の狙いは明白だ。我々が……特にアンタが姿を消せば、この街の均衡は瞬く間に崩れる。最悪の場合、アンタ一人を失って終わる話じゃない」
ディランさんの言葉は正論だった。だが、ゲオルグさんは不敵な笑みを口端に浮かべるだけで、その反論を制するように大きく手を振る。
「罠? ああ、間違いなくそうだろうな。向こうも毒を盛る気満々だ」
ゲオルグさんはテーブルに置かれた地図を指先でなぞった。その指先には、一抹の迷いも恐怖もなかった。
「だが、構わない。罠だろうと何だろうと、こちらから首を突っ込んでやる。奴らの思惑ごと食らいつくしてやるのさ」
ゲオルグさんの視線は、ガルボさんへと向く。
「ってことで、暫くお前が代表の代行な?」
「……あ?」
ガルボさんが短く唸り、腕を組んだまま顔をしかめた。
「おいおい、冗談だろ。俺は串を焼いてりゃそれでいいんだよ。代表なんてガラじゃないし、何より面倒事はごめんだ。よりによってなんで俺なんだよ。ミリアにでもやらせりゃいいだろ!」
ガルボさんの苦情はもっともだった。彼は街の住民からも信頼されているが、政治や統治といった複雑な権謀術数とは対極にいる男だ。しかし、ゲオルグさんはどこ吹く風といった様子で、ガルボさんの肩をポンと軽く叩いた。
「まぁ、いいじゃないか。お前なら余計な色気を出さずに、俺の決めた方針を死守してくれるだろうし、何よりお前の焼く串焼きの匂いが漂ってりゃ、街の連中も少しは落ち着くだろ」
ゲオルグさんは、拒絶を許さない温かさと、信頼を込めた響きでそう告げる。
「俺が戻るまで、頼んだぜ。……この街の胃袋と心臓、両方守れるのはお前しかいないんだからな」
ガルボさんは苛立ちを露わにしながらも、深いため息をついて肩をすくめた。その瞳の奥には、彼なりの覚悟が灯り始めている。
「待ってくれ代表! 行くというなら、せめて護衛として俺も連れて行ってくれ」
声を張り上げたのはディランさんだった 。
その叫びに、部屋の空気が張り詰めた。彼はゲオルグさんの前に立ちはだかり、その双眸には、揺るぎない覚悟と、ゲオルグさんを守り抜くという強い使命感が宿っていた。
「罠だと分かっていて一人で行かせるわけにはいかない。せめてもの盾として、俺とレイン、それから数名が同行する!」
ディランさんの主張に合わせるように、レインさんもまた、静かながらも確固たる意志を宿した瞳でゲオルグさんを見つめ、無言のうちに「自分も行く」という意思を表明している。
周囲の面々もまた、その言葉に深く頷き、ゲオルグさんをたった一人で死地へ向かわせることへの抵抗感を露わにする。
ゲオルグさんは眉をひそめ、呆れたように、しかしどこか嬉しそうに首を振った。
「お前たち……本当に馬鹿な連中だな」
ゲオルグさんはふっと笑みをこぼすと、観念したように肩をすくめた。
「分かった。連れていく。……だが、勘違いするなよ。これは護衛という名目だが、実際には俺の背中を見張る監視役になってもらうからな。俺が交渉で少しでも弱腰を見せたら、背中を蹴り飛ばしてくれ」
ゲオルグさんはディランさんたちの肩に順番に手を置くと、その視線を再び引き締める。
「いいか、これは『交渉』だ。だが、もし向こうが力での『交渉』を望むのなら……その間違った選択を後悔させてやろう」
冷徹なまでの判断を下したはずのゲオルグさんが、最後に少しだけ表情を和らげた。
「……じゃ、決まりだな。出発は明朝だ。死にに行くつもりはないが、別れは済ませておけ」
ゲオルグさんはそう言い放つと、まるで何事もなかったかのように政務室へと入っていった。その背中には、先ほどまでの捨て石としての重苦しい覚悟とは違う、仲間と共に戦うという冒険者特有の熱が宿っていた。




