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第45話:怪しき招待

 数日が過ぎ、政庁舎は少しずつ役所としての体裁を整えつつあった。

 かつて戦火の爪痕を残していた壁は新しい木材で補強され、慌ただしく行き交う人々の足音が、街の息吹を刻んでいる。


 私は長椅子で天井に滲む古びた染みを数えるように眺めながら、何をするでもなく時間を潰していた。

 ここが私の定位置であり、私が私として在るための、静かな空白の時間だ。


 視線の向こうでは、ゲオルグさんが受付カウンターの奥に立ち、忙しなく動く職員たちに矢継ぎ早に指示を出している。その背中からは、かつて戦場で戦い抜いた時とはまた違う、街を守ろうとする指導者としての強い覚悟が滲んでいた。


「書類の分類は優先順位順だ。急ぎの案件はミリアの方へ回せ」


 力強い声がカウンター越しに響く。そのとき、入り口の重厚な扉が大きく開き、警備を終えたディランさんが足早に戻ってきた。硬質な革鎧の擦れる音が、事務的な空気に割って入る。


「代表、悪い。ちょっと確認したいことがある」


 ディランさんの声には、いつもの沈着冷静さとは異なる棘のようなものが混じっていた。

 指示を飛ばしていたゲオルグさんが、作業の手を止めて顔を上げる。その視線には、戦友の帰還に対する安心感と、同時に感じ取った異変への警戒が同居していた。

 カウンターの傍らにいたミリアさんも、持っていた羽ペンを置き、足を止めてディランさんの方を向く。彼女の瞳が、静かに事の重大さを測ろうとしていた。


「どうした、衛兵の配置の件か?」


「いや、入り口に妙な一行が来ている。王国の使者を名乗っているんだが……」


 ディランさんの言葉が、政庁舎の空気を変えた。

 王国――その単語が出た瞬間、カウンター周辺の温度が急激に下がったかのように空気が凍りついた。

 互いの命を奪い合っていた敵対者が、数日後には何食わぬ顔で、恭しく門を叩いてくる。


 あまりの唐突さと、その裏にある底知れぬ悪意の匂いに、ゲオルグさんやミリアさん、そして私さえも、一様に眉をひそめた。誰もがその名前を口に出すことさえ忌々しく感じていることが、張り詰めた沈黙から痛いほど伝わってくる。


「ほう、王国の。……で、何の用事だって?」


 ゲオルグさんが忌々しげに鼻を鳴らし、腕を組む。その問いかけに、ディランさんは溜息をつきながら首を横に振った。


「さあな。詳しくは代表に会ってからとしか答えてくれないんだよ。あちらも随分と腰が低いが、その分、何を考えているのか読めなくてな」


 ディランさんの言葉に、ゲオルグさんは大きく肩をすくめた。心底面倒くさいと言わんばかりの表情で、カウンターの端を指で叩く。


「……仕方ねぇな。わざわざ招き入れる義理もねぇが、追い返して後で難癖をつけられてもたまらん。ここに連れて来い」


「分かった。すぐ戻る」


 ディランさんは短く頷くと、再び踵を返して入り口の扉へと向かった。扉が閉まるまでのわずかな間、外の風が室内に流れ込み、冷えた空気をかき混ぜていく。


 その背中を見送ったゲオルグさんは、小さく舌打ちをしてからミリアさんの方を振り返った。


「ミリア、悪いが……ここは任せる」


そう言ってゲオルグさんは、元々酒場だったスペースへと歩み寄った。かつての賑わいを失ったその一角で、彼は私の座っている長椅子の近くにどっかと腰を下ろした。


「アイン。お前には悪いがここを借りるぞ」


 私はわざとらしくやれやれと言った感じで小さく頷く。彼の背中はどこか重苦しく、政庁舎の代表としての重圧がその肩にのしかかっているのが、傍目にもよくわかった。私は天井の染みから視線を外し、隣で深いため息をついたゲオルグさんへと目を向ける。


「……面倒くさいことが起きてそうですねぇ」


 私が問いかけると、彼は荒っぽい手つきで乱れた髪を掻き上げた。


「あぁ、嫌な予感しかしない。こういう時の使者なんてのは、大抵ろくでもない土産を持ってくるもんだからな」


 返ってきたのは、戦場でいくつもの修羅場を潜り抜けてきた男特有の、冷ややかな直感だった。私はまた天井の染みに視線を戻す。今この瞬間、この街を包み込もうとしている不穏な空気が、肌を刺すような感覚として伝わってきた。


 数分もしないうちに、ディランさんが使者を連れて戻ってきた。

 あちらは三人。先頭に立つ男は、政庁舎の空気にそぐわないほど、白く清潔な法衣を纏っている。


 ゲオルグさんは腰を下ろしたまま、だらりと足を投げ出し、正面に立つ男たちを射抜くような鋭い視線で値踏みした。


「……随分と余裕だな。つい先日、殺し合いをした相手方とは思えないほどだ」


「それは辺境伯が勝手に……と言ってもあなた方には関係のないことでしょうな。ひとまず、代表殿のご無事を確認できて安堵いたしました」


 使者の男が浮かべるのは、感情を完全に削ぎ落とした、能面のような笑みだ。

 あの冷たい視線の奥で何を計算しているのか、私には天井の染みよりも薄気味悪く見えた。


 隣では、ゲオルグさんが組み替える腕が硬い音を立てる。服の下で強張った筋肉が、獣のように獲物を威嚇しているのが肌で分かった。


「前置きはいい。本題を言え。わざわざ俺に会わせろだと? 何をしに来た」


 ゲオルグさんの低く唸るような声が、室内の静寂を切り裂く。


「……王国としては、これ以上の無益な流血は望んでおりません」


 使者の声は、まるで用意された台本を読み上げるように淀みがない。

 ゲオルグさんは鼻の奥で小さく鳴らした。その笑いは、相手を嘲笑う以上に冷たい。


「……で? 結論は何だ。遠回しな言い方は性に合わねぇんだよ」


「失礼。……そのため王都にて、緊急の和平会議を開かせていただきたく存じます」


 畳みかけるような使者の言葉に、ゲオルグさんは組んでいた腕を解き、背もたれに深く体重を預けた。視線の先で、彼の口元に昏い皮肉が浮かぶ。


「その席には、ぜひハーストの代表であるゲオルグ殿に、直接ご足労いただきたいのですが……」


 言い終えた使者の顔を射抜くように、ゲオルグさんが乾いた笑いを漏らした。

 それは、戦場で死線を越えた者だけが持つ、殺意を伴った笑い声だ。


「わざわざこちらから、喉元に刃を突き立てられに行くってか? そりゃあいい。随分と景気の良い招待状だな」


「誤解です。我々は心からの誠意を持って――」


 使者が紡ぐ耳触りのいい言葉は、最後まで紡がれることはなかった。

 ゲオルグさんは鼻を鳴らし、組んだ腕を組んだまま、冷ややかな視線を突き刺す。その無言の圧力は、相手の言い訳を物理的に押し潰すほどに重い。彼は呆れたように肩をすくめ、視線だけを私の方へと向けた。


「誠意ねぇ。……アイン、お前はどう思う?」


 突然、ゲオルグさんが私に視線を寄越した。私は面倒くさそうに天井の染みから視線を落とし、彼と使者たちの間に漂う、湿り気を含んだ薄ら寒い空気を眺めた。

 王国という巨大な毒が、この政庁舎に静かに染み込もうとしている。


「残念ですが、誠意じゃおなかは膨らみませんねぇ」


 私はわざとらしく、肩をすくめた。

 その言葉は、彼らの取り繕った空気を薄く切り裂く――はずだった。だが、使者の男は表情を崩すこともなく、ただ細めた瞳で私を見据える。その静寂は、こちらの皮肉を暖簾に腕押しで受け流すような、不気味なほどの余裕に満ちていた。


 ゲオルグさんは片方の口端を吊り上げ、床に投げ出していた足を組み替える。その際に床を鳴らした重いブーツの音が、この狭い空間ではやけに大きく響いた。


「聞いたか、使者さんよ。うちの女神様は、あんたの寝言よりはよっぽど腹の足しになる意見をくれるんだとよ」


 彼はそう言って、使者たちを値踏みするように視線を巡らせる。その瞳に宿る冷徹な光は、交渉のテーブルに並べられた招待状など、紙屑同然だと語っていた。


「……代表殿、我々はあくまで平穏を望んでおります。その疑念、王都にて直接晴らしていただきたい。それが我々王国の、唯一の願いです」


 使者の声は、どこまでも平坦だ。それが逆に、彼らが持ち込んできた案件の裏にある「何か」の重さを、肌の表面にじわりと伝えてくる。私は天井の染みへ再び視線を戻しながら、このやり取りが一体どこへ着地するのか、冷めた眼差しで推し量った。


ゲオルグさんは大きく息を吐き出すと、椅子から立ち上がった。その動作一つで、室内の空気が一気に張り詰める。彼は使者の前まで歩み寄ると、見下ろすようにして言った。


「平穏か。……望むのは自由だが、その代償が命だってんなら、俺たちには少しばかり高すぎる買い物だ」


 使者の男は、最後まで微笑みを崩さない。その仮面のような表情を見た瞬間、確信した。この会話は最初から成立していない。彼らは返事を聞きに来たのではない。ただ、我々を「招待」したという事実を、儀式として執行しに来ただけなのだ。


「……お返事は、会議の当日までお待ちしております」


 使者はそう言い残し、礼儀正しく踵を返した。彼らの背中が扉の向こうに消え、再び静寂が訪れる。扉の隙間から吹き込んだ風が、部屋に溜まった澱みを少しだけかき回した。

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