62 灯る魚(ともるうお)上
冊子を開く。
一年生の、雨の翌日だった。
放課後の校舎は、ざわめきと解放感にあふれている。
廊下を歩く。まだ教室に残る生徒たちの話し声が聞こえる。
窓硝子の向こう。二階からグランドを見下ろすと、陸上部の女子が三人、整備に使うトンボを運んでいた。
その中に船橋がいる。
陸上部ということを初めて知った。いつも一緒にいる、伊勢宮の姿はない。
と、思っていたら、図書室の前でばったり出くわした。
「あ……、鳴海くん」
「よう」
困惑したように、伊勢宮が首を傾げる。
「今日は……放課後当番じゃ、ないよね?」
「うん。ちょっと、隣に用事」
第四教材室のドアに世界民族風俗記念日研究部と、達筆な墨で書かれた木製の看板が付けられていた。
ほとんどの生徒は、その長ったらしい名前を知らない。別の名で呼ぶ。
オカルト研究部。
「ウチに用事……何か、相談事?」
「うん?」
一瞬、聞き間違えたかと思った。
「古谷先輩はもういると思う」
違った。
「伊勢宮って、世界民族風俗記念日研究部なの?」
「あっ、嬉しい。よく正式名称を知ってたね」
喜ばれてしまったが、何のことはない。
「いや……、看板出てるし」
伊勢宮の前で、オカルト研究部と呼ぶのが後ろめたかったせいでもある。
「略称って、何かないのか」
「せみ研って呼ばれてたみたい。世界民族、以下省略」
それもそれで、間違った印象を与えそうな気がする。
「昆虫好きが来そうだな」
「ミンミンゼミとか、アブラゼミとか?」
「そうそれ」
くすりと伊勢宮が笑う。
「表の略称は、『せみ研』だけど。ずっと昔から、オカルト研究部って呼ばれているの。わたしはどっちでも構わないよ」
構うのは俺だけか。
「もしかして、用事って、それのこと?」
伊勢宮が指差す。俺が持つ、黒い雨傘に視線が注がれる。
「うん。押し付けられたから返そうと思って」
「古谷先輩に?」
頷けば、伊勢宮が顔を曇らせた。
「……その、何かあった? 大丈夫だった?」
「まぁ。お蔭さまで」
笑って誤魔化せば、ごめんなさい、と謝られた。
「いやっ、伊勢宮が謝ることじゃないだろ。びびったけど、何ともなかったし」
「古谷先輩って悪戯好きだから……。癖のあるモノを人に貸したりして、その人の反応を愉しんでいるっていうか……。ごめんなさい」
後輩に代わりに謝られる先輩って、どうなんだ。
「からかわれるのは、慣れてるし。傘を貸してくれて、助かったのは事実だから、大丈夫」
気落ちする伊勢宮の姿に居たたまれない。
「そう……? 本当に大丈夫?」
「うん」
頷けば、ほっとしたように伊勢宮が息をついた。
「何かあったら、言ってね。何とか……できるかもしれないから」
「わかった。そうなったら相談するよ」
「約束だよ」
そう言って、伊勢宮は図書室に入っていった。




