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45 行進(下)


行進(上)より続き




 トンボが一匹、夕暮れ空を横切った。

 アキアカネだ。

 夏よりも、トーンダウンした蝉の声が響く。吹く風も、日が暮れれば涼しい。


 部活後の居残り練習は、俺と榊先輩と、松永と、珍しく田村。


 松永は、家でやっている花屋が定休日――水曜日なら、居残って練習する。

 田村は居残る場合は、射る矢数を決めていた。曰く。


「オレの性格上、絶対にだらだらやるから。それは、よくないだろ?」

 胸を張って言うことでも無いと思う。

 四人で一時間ほど射込む間に、辺りは薄闇になった。


「ぼちぼち、切り上げるか」

「そーっすね」

 榊先輩の言葉に、田村が頷く。弓道場内は榊先輩と松永に頼み、野外灯を点けて、田村と一緒に(あづち)へ向かった。


「なー、鳴海」

 ざっざっと土が鳴る。

 的を外し、竹箒で垜を掃き上げながら田村が声を掛けた。


「やだよ」

「まだ、何も言ってねーよ」

「グラウンドに兵隊の幽霊が出るか、確かめようって言うんだろ」

「ザッツ・ライト!」

 英語の『その通り』を日本語で発音して、田村が目を輝かせた。


「やだよ」

「なんだよ、ノリ悪いなー。鳴海の真面目―」

「お前のノリに乗っかって、よかった試しがない」

「そうだっけ?」

 とぼけやがってこの野郎と思うが、田村の場合、本当に忘れていることがある。


「ほら、さっさと片づけるぞ」

 垜を直し終え、竹箒を看的小屋(かんてきごや)に仕舞おうとしたら、すぽんと竹箒の穂が抜けた。


「マジか!」

 田村が爆笑。

「……マジだ」

 竹の小枝の束を拾えば、巻いてある針金が切れていた。もう使えそうにない。


「どうすんの?」

 笑いながら訊かれても、困る。

「捨てるしか、ないな」

 とりあえず、看的小屋の壁に立て掛けておく。新品の竹箒は、確か外の倉庫にあったはずだ。


 垜の片づけを終えて、弓道場へ戻る。

 射込んだ矢を矢箱に戻すのは田村に頼んだ。


「あー、結構長く使ったからなぁ。それは、しょうがない」

 一応、弓道場の玄関先で、榊先輩に壊れた竹箒を見せる。


「壊したじゃなくて、壊れただから、気にしなくていい。それは化けて出ないしな。新しい竹箒は、倉庫に二、三本あっただろ?」

「はい」

 さらりと怖いことを言われたが、聞き流す。


「じゃ、新品を出しておけば大丈夫。古いやつは、明日でもいいからゴミ置き場へ持って行け。可燃物だな」

「……忘れそうなんで、今から行ってきます」

 うわー、と田村が、矢を矢箱に戻しながら言った。


「ゴミ置き場に行くのか? 真っ暗じゃん。こわっ」

 ゴミ置き場に外灯はない。

 学生会館の裏手にあるので、他からの光も届かない。


「じゃあ、田村。ついて来てくれるのか?」

「今、手が離せない」

 田村が急にゆっくり、丁寧に、一本一本、矢を戻し始めた。


「ついでに、グラウンドに行ってもいいぞ」

「今は嫌だ。雪駄(せった)に袴じゃ、走れない」

「どうして、走る前提なんだ?」

「馬鹿野郎!」

 何故か田村に怒られた。


「もし、本当に出たら走って逃げるしかないだろ!」

 さっきまでの威勢はどこにいった。

「新しい竹箒は、オレが出しといてやる。行って来い、鳴海。健闘を祈る!」

「……お前、覚えていろよ」

 びしっと片手で敬礼した田村に、安っぽいセリフしか出てこない。


 壁際で弓を弓袋(ゆぶくろ)に入れていた松永が手を止める。

「鳴海。そういえば、男子部室に懐中電灯があったぞ。持って行け」

 にやり、と榊先輩が唇を吊り上げた。嗤うだけで、何も言わない。だから怖い。

「いやっ……、あれは」

 榊先輩は嗤っている。


 肝試し用のもので、しかも世界民族風俗記念日研究部――通称、オカルト研究部の変人が作った特別製らしいので。


「たぶん、俺と相性が悪いから……、いい。なくて平気。慣れた道だから」

「そうか?」

 怪訝そうに、とは言っても、表情はあまり変わらない松永が、首を傾げた。止まっていた手を動かし、弓袋の紐を結ぶ。


「じゃあ、ちょっと行ってきます」

「何かあったら叫べよ、鳴海」

 田村が手を振る。

「お前、そう言うならついて来いよ」

「着替えるまで待ってくれる?」

「やだよ」


 右手に竹の柄、左手に枝の束を持って、暗闇の中、斜面に埋め込まれただけの石階段を上る。慣れた道というのは本当で、足元が見えなくても、もう袴の裾を踏むことはない。


 〈紫苑の森〉に建てられた弓道場は、何故か校舎や他の建物より低い土地にある。

 高校自体が、丘を削って造られたらしいので、単に場所がなかっただけかもしれない。


 闇に目が慣れて、薄ぼんやりと周囲の様子がわかる。

 学生会館の壁に沿って、点々と、地面に何かが刺さっていた。部活が始まる前には何もなかったはず。


 暗闇の中、近づいてみれば、笹の枝だった。


 五メートルほど、一定の間隔で地面に笹の枝が刺さっている。誰かのイタズラだろうか。暗くてよく見えないが、グラウンドのほうまで続いている。


 グラウンドは、完全に闇に沈んでいた。

 使っている部活は、活動を終えたのだろう。野外灯は消され、生徒の声もしない。


 トタン屋根のコンクリート打ちっぱなしの一区画が見えた。

 ブロック塀で囲まれた、燃えるゴミ置き場のネットを手探りで掴む。何故か、ここにも一本、笹の枝が地面に突き刺さっている。


 動物除けのネットが、なかなかめくれなかった。

 ネットは野良猫やカラスや狸やネズミや鹿やリスにゴミを荒らされないようにするためのものだが、今日に限って厳重に掛けてあり、端が見つからない。


 手間取っていたら、急に冷たい風が足元を吹き抜けた。

 ざわっと腕が粟立つ。一瞬にして、空気が変わったのがわかった。


 ザッザッザッザッ


 遠く、微かに、土を踏む音が聞こえる。


 ザッザッザッザッ


 一定のリズムで進む、足音。


 ザッザッザッザッ


 それも、ひとつではない。

 規則正しく、同時に音は重なる。


 ザッザッザッザッ


 いくつもの軍靴が、地面を踏み締める。


 ザッザッザッザッ


 グラウンドの端が、ぼんやりと緑色に光った。ぐねぐねと緑の光は動き、やがて明確な形になった。


 長銃を肩に掛け、ヘルメットを目深に被った兵隊たち。


「……マジかよ」

 五列横隊になって、真っ直ぐにゴミ置き場へ行進して来る。


 ザッザッザッザッ


 古びたヘルメットのせいで、兵隊の顔は見えない。

 不意に、違和感を覚えた。


 ザッザッザッザッ


 軍服に黒いシミはなく、片腕がない者や、足が千切れかけということもない。


 ザッザッザッザッ


 緑色の燐光を放ち、兵隊が近づいて来る――その速度が速い。

 ザッザッザッザッ、という足音と、隊列の動きがずれている。

違和感の正体。


 歩く速度では考えられない。

 霧が広がるように、あっと言う間に目の前まで兵隊たちが迫った。


 四メートル……、三メートル。

 逃げられない。


 二メートル……、一メートル。

 体が動く。


 反射的に、左手の枝束は捨てた。

 右足を一歩前へ。真正面に竹の柄を構えた。左手で竹の端を握り、右手は拳ひとつ分上の位置を握った。息は深く。重心は丹田に。


「動くなよ」


 心臓が止まるかと思った。

 右を見れば、榊先輩が立っていた。


 黒い上着を羽織っていたから、夜闇と同化して気づかなかった――。

 そんなわけがない。

 音も、気配も、予感も。何もなかった。


「裏道、抜け道、回り道。それはそうと、動くなよ」

 俺を見ずに、榊先輩が言った。


 ザッザッザッザッ


 軍靴の音と、兵隊たちの動きが一致する。

 端の一列が動かなくなった。その場で足踏みを繰り返す。その列を基準として、他の四列は曲った。直角に、曲った。


 ザッザッザッザッ


 足音が遠ざかっていく。何十人もの兵隊たちが去って行く。

 緑色の燐光を放ちながら、兵隊は学生会館の壁に沿って進む。


 ザッザッザッザッ


 ふっと、兵隊の姿が消えた。

 しん、と静寂が戻る。

 風が吹く。澄んだ夜気が、さわさわと木々の葉を揺らす。


「もう、いいぞ」

 榊先輩の声に、はっとなる。

 竹の柄を持った腕を下ろせば、額にびっしょりと汗をかいていた。


「なん……だったんですか、あれ」

「うん? あの有名な幽霊。お前だって知っているだろ」

 ――グラウンドを行進する兵隊の幽霊。


「知ってますけど! ここはゴミ置き場ですよ。どうして、兵隊の幽霊が行進して来るんですか!」

 榊先輩が、地面の笹の枝を手に取った。


「曲げられたんだよ」

「……どういうことですか」

「こういうことだよ」

 笹の枝を見せる。意味がわからない。


「行進するルートを。あいつに」

 彼女が睨むその先、学生会館の壁際に人影がある。


「なんだ。バレてたか」

 聞き覚えのある、バリトンの声。長身の影が、ふらりと近づいて来る。


「見逃してやろうと思っていたが、巻き込むんだったら話は別」

 ぽい、と榊先輩が笹の枝を地面に捨てた。

「仕込みが甘いぞ、古谷(ふるや)

 暗闇でも、古谷先輩が肩をすくめるのがわかった。


「僕のせいじゃない。タイミングよく、飛び込んで来た鳴海が悪い」

「俺のせいですか!」

 にたりと、古谷先輩が嗤う。

「そうだとも。これぐらい、対処できるようにならないと。なぁ、次代書記係」

 歌うように、なぶるように。神経をざらつかせる、古谷先輩の声。


「それとも――」

「古谷」

 刃のような鋭い声で、榊先輩が遮った。


「ここで射殺されたいのか?」

 ぞくっと背筋が凍った。

 恐ろしく研ぎ澄まされた威圧に、初めて感じた殺気に、心臓が飛び跳ねる。


 古谷先輩が、ゆっくりと両手を上げた。

「……退散するよ」


 ふん、と榊先輩が鼻を鳴らす。古谷先輩は踵を返し、学生会館のほうへ歩いて行く。

 ざっざっ、と足音が遠ざかる。

 夜闇に紛れて、その姿は完全に見えなくなった。


「……榊先輩」

「なんだ」

 気負わない普段の声音に、体の強張(こわば)りが解ける。


「俺、あの人、苦手です……」

 ばんっ、と急に背中を叩かれた。

 痛い。驚きと痛みで声が出ない。するりと竹の柄が右手から滑り落ち、地面に転がった。


「奇遇だな」

 にやり、と榊先輩が嗤う。

「私もさ」

 そう言って、闇に沈む学生会館、その向こう。遠くを見る。

 彼女の視線につられ、ふと思った。


 あの軍靴を履いた兵隊たちは、どこへ行くのだろうか。


『行進』




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