42 夢路(上)
冊子を開く。
一年生の秋の頃だった。
「試合?」
テーブルの上に置いた要項に、姉ちゃんが気づく。
「出るの?」
高校の最寄り、八雲大社で行われる試合。
弓道部でも参加は希望制。出ても、出なくても自由だが。
「出たい。だから、相談する」
いろいろと心配事はある。まずは、その内のひとつ。親からの参加許可をもぎ取る。
キッチンから大皿を運ぶ。
今晩のメイン、鶏のから揚げをテーブルに置けば、ひょいと一つ、姉ちゃんが指で摘まんだ。
「んー、美味しい」
「つまみ食いしないで、手伝ってよ。サラダ運んで」
「はい、あーん」
口に唐揚げを押し込まれる。
かりかりの衣を噛めば、じゅわりと肉汁が溢れた。熱い。でも、美味い。揚げたてだ。
「えへへ。これで同罪」
へにゃり、と柔らかく笑う。何処までもマイペース。姉ちゃんには敵わない。
案の定、つまみ食いがバレて母親に怒られた。早く料理を並べろとのこと。
「はーい」
特段、堪えた様子もなく、姉ちゃんがキッチンに向かう。お盆を使わず、サラダの小皿を器用に四つ、手と手首を使って運ぶ。
「いつも思うけど。それ、どうやんの?」
炊飯器から、茶碗へ米をよそりつつ訊ねれば、んー、と間伸びた声が返ってきた。
「バイトのスキル。フロア担当だと、いつの間にか身に付くんだよー」
危なげなく、四つのサラダをテーブルに置く。
「ふうん」
「でも。さすがに、お茶碗は無理かなー」
棚からお盆を出して、姉ちゃんが俺の横に並ぶ。
「うちのカフェじゃ、お茶碗を単品で運ばないから」
米をよそった茶碗を、差し出されたお盆の上に置く。
「ランチに付いてなかったっけ?」
「付いているけど。全部セットで、お盆に載せて運ぶもん」
ふわふわの髪が、肩口の辺りで揺れる。花の香りがした。
「……シャンプー変えた?」
「うん。昨日から。気づくの遅い」
「わかんないよ。今度は、何?」
聞いておかないと、パシられたときに困る。
「エリーシャンの、フローラ・リックス。ローズピンク」
「何かの魔法?」
片仮名だらけだ。
「片浜ナミがCMやってるでしょ。ピンクとブルーがあって、ピンクのほう」
「わかるような、わかんないような……」
女子は謎だ。
姉ちゃんの茶碗を手に取れば、注文をつけられた。
「小盛りでお願い」
「どれぐらい?」
杓文字でひと掬い、米をよそれば、多いと言われた。
「その半分でいい」
「少なくね?」
卵一個ほどの量。信じられない。
「いーの。炭水化物の量を減らしてるの」
また、ダイエットか。
「あとで腹減って、お菓子を食べるに一票」
「おかずはちゃんと食べるから、大丈夫だもん」
食べる総量は減らさないのか。
「いーの。そういうものなの」
「姉ちゃん、ダイエットする必要ないと思うけどなぁ」
普通の体型だと思う。
そう口にすれば、肘で脇腹を小突かれた。
「わたしが気になるの!」
女子は謎だ。
ご飯を食べて、風呂に入って。適当にリビングでダラダラしてから、部屋に引き上げる。
試合参加の許可は下りた。
初心者なんだから怪我をしないこと、と条件付き。まぁ、当然だろう。
忘れない内に、試合の申込書をペン書きする。
参加費は、高校生まで無料。大学生からは五百円。高校生でよかったと心底思う。
ただし、試合の矢取りやら看的やら記録役、雑用は多く振られる。しょうがない。何事も経験だ。
いろいろな心配事。あとは、大部分を占めること。
試合は、座射で行われる。
普段の部活は立射だ。座射は数えられるほどしか、やったことがない。
ひとつひとつの動作は、覚えている。
試合は個人戦だが、立ちを組まれる。五人一組で弓を引く。立ちの中の順番で、行う動作のタイミングが微妙に違ってくる。
大前、二的、中、大後前、大後。
どの場所になっても、座射ができるようにならないと。
立ち順がわかるのは、当日。
蓋を開けてみなければ、わからない。
「大前は、自分のペースでさっさとやればいいんだけどなぁ。二的、中がわからん」
ベッドの上にごろりと横になって、座射のプリントを貼りつけたノートを広げる。資料はこれだけだ。
「甲矢を番えて、二的が立つ時は……えっと……」
大前が立ち、右手の拳を腰に当てた頃。
「立つ時、袴を踏むんだよなぁ」
動作の手順に追われて、気が回らない。行射にも影響が出そうだ。
表にまとめられた資料。言葉だけでは、イメージが掴みにくい。
「……田村と松永に、座射の練習付き合ってもらうか……」
二人が試合に出る出ないは置いておいて、どのみち秋の審査で座射をやるんだ。今から動作を覚えておけば、審査でも無駄に緊張することはない。
メッセージを送ろうと、机の上に手を伸ばせば、視界が半分になった。頭がぼうっとなる。瞼が重い。
眠い。
引きずり込まれるような、眠気。
すとんと意識が落ちる。
夢路(下)へ続く




