39 花の宴(五)
花の宴(四)から続き
来い来い、と榊先輩に手招きされる。
傍に戻れば、狩衣を着て烏帽子を被った、小学生ほどの大きさの栗鼠が待っていた。
その栗鼠が言う。
「畏れ多くも、佐保姫様のお言葉を伝える。有り難く、聞くが良い」
ふんぞり返って、とても偉そうだ。
どういうことかと、榊先輩を見れば、胡坐をかいた彼女は、にやりと嗤っていた。他人事のように、面白がっている。
立っていても失礼だと思い、左手に舞草刀を持ったまま、地面に片膝をつく。膝をついても、立っている栗鼠と目線の高さは同じだった。
「次代よ。見事な剣舞だった。褒美として、その舞草刀を取らす」
「はっ?」
思わず変な声が出た。
栗鼠は気に食わなかったようで、じとりと俺を睨む。
「何ぞ、不服か」
「いや、待ってくれ。こんな大層なものを貰っても困る」
「何故、困るのだ。名誉なことぞ」
「銃刀法違反――じゃなくて、舞草刀を貰っても、扱い切れない」
剣の道を外れた俺には、不相応だ。
怪訝そうに、栗鼠は円らな目を瞬かせた。
「使わずとも、良いではないか。持っているだけで、守護してくれる神刀ぞ」
とんでもないことを、栗鼠は宣う。
「……神刀?」
「応。佐保姫様に捧げられた舞草刀よ。佐保姫様のお傍に在れば、その神気が憑くのは当然のこと」
マジか。
なお不相応だ。扱いづらい。
「よもや、突き返すなどと考えておらぬだろうな」
ずい、と栗鼠が顔を近付ける。ひくひくと髭を動かす。
「……有り難く、頂戴、いたします」
「うむ」
声を絞り出せば、栗鼠は鷹揚に頷いた。
その後ろで、榊先輩が俯き、手で口元を押さえていた。肩が震えている。無言の大爆笑だ。他人事だと思って。
栗鼠が去った後、やっと榊先輩は笑いを納めた。目尻に滲んだ涙を、指で拭っている。
「これ、どうしたらいいんですか」
「影に仕舞えば?」
首を傾げれば、榊先輩が指差した。
地面の上に、俺の黒い影が在る。
「そんなこと、できるんですか」
「できるさ。お前は影が深いから」
以前にも言われた気がする。
「ものは試し。有り難し」
影に刀を入れてみろ、と榊先輩が言う。どうにも騙されているような気もするが、往々にして、彼女の言うことは真実なので、その通りにやってみる。
左手の舞草刀を、影の中に立ててみれば。
するすると、何の抵抗もなく、影に飲み込まれていく。
「マジか」
「マジマジ」
茶化すように、榊先輩が応える。
柄から手を離す。とぷん、と舞草刀は影に仕舞われた。
「……これ、取り出せるんですか」
「もちろん。念じながら、手を突っ込んでみな」
舞草刀、と内心で呼びかけつつ、影に触れる。
手に固い感触。
影から、舞草刀の柄が現れた。そのまま引き抜けば、黒い鞘に納まった状態で出てくる。
「便利だろ」
にやりと榊先輩が嗤っている。
「そういう問題じゃありません」
せめて、使う場面が来ないことを祈ろう。
「存在を忘れておく、ってのも有りだな。そうすれば、本当に必要な時以外は出てこない」
頷いて、再び舞草刀を仕舞った。
榊先輩が唇を吊り上げる。どん、と菊水の詰まった一升瓶を、俺の前に置く。
「何はともあれ。返礼だ。佐保姫のところへ、注ぎに行って来い」
「俺如きが行っていいんですか?」
礼は尽くしたい。が、どうしても気後れしてしまう。
「無礼講さ」
神様は適応外な気がする。
「最初から別格の縁を結んでいて、よく言うよ」
ひやりと、胸が冷える。
「……最初からって、いつからですか」
佐保姫の前で舞う前から? 会ったときから? それとも、もっと前?
それに、別格の縁って何だ。
言葉に滲む気配から、なんとなく、佐保姫のことではない気がする。
「惜しい」
「勝手に思考を読まないでください。……って、何がですか」
「うん?」
にやりと、榊先輩が嗤う。
「さぁねぇ」
確信を持ってはぐらかされた。もういろいろと、許容量オーバーだ。
「あれこれ考え過ぎだ。いいから、早く行って来い」
一升瓶を押し付けられ、手で追い払われる。ひどい、理不尽。
「性悪だからな」
そうして、根に持っている。
敵わない。
菊水の一升瓶を持って、ゆるゆると足を運ぶ。
牛車の近くに行けば、花の香りが濃くなった。さっきの栗鼠がこちらに気づく。一旦、地面に片膝をついて、お伺いを立てる。
「春の御方に、慈童の菊水をお持ちしました」
「応。流石は次代。よいぞ、よいぞ。花の宴は無礼講といえども、他は怖気づいて来ん」
栗鼠が、折敷という盆に台がついたもの――三宝を持ってきた。台の三方に宝珠形の穴が空いているから、三宝。
その上に、小さな白い盃が、ちょこんと載っている。
菊水を小さな白い盃へ注ぐ。
すぐにいっぱいになるかと思いきや、意外や意外。白い盃は、なかなか満杯にはならない。十五秒も注ぎ続けて、ようやく盃が満たされた。
「よいぞ、よいぞ」
栗鼠から三宝を渡される。菊水の一升瓶は、烏帽子を被った鼠へ託した。
栗鼠の手招きに、牛車の御簾へと歩み寄る。繋がれていたひよこは外され、牛車の傍でカタバミの花を啄ばんでいた。
「姫様。紫苑の、記し手の、次代が参りました」
栗鼠が声を掛ける。僅かに巻き上がった御簾の隙間から、色とりどりの衣の裾が揺れる。
盃が載った三宝を差し出せば、しゅるりと衣擦れが鳴った。
白く、細い指が僅かに衣から覗き、盃を手に取る。
すっと御簾の奥に引っ込み、しばらくして、空の盃が三宝の上へ戻された。
ちりちりと、鈴が囁くような音が聴こえる。
「姫様が礼を申されておる」
栗鼠の言葉に、慌てて頭を下げる。しりしりと、影の中で舞草刀が鳴く。
三宝を栗鼠へ返し、佐保姫の牛車から、元の座へと戻る。
「よう。お帰り」
榊先輩が盃を掲げる。その彼女の前、地面に敷いた茣蓙の上に、藤の翁が座っていた。満たされた盃を持っている。
「次代も、どうかな。慈童の菊水に負けず劣らずの、藤の寒露ですぞ」
「いただきます」
とんとん、と榊先輩が手の平で畳を叩いた。そこへ座れということらしい。先輩に逆らう気は無いので、大人しく従う。藤の翁より数センチ座が高いので、盛大に気後れする。
「なに。無礼講さ」
「なに。無礼講ですぞ」
榊先輩と藤の翁、二人揃って言う。
「そういうものですか」
「そうさ。そういうものさ」
目を細めて、榊先輩は盃に口をつける。
畳に置いた自分の盃を手に取れば、野襤褸菊が竹筒を傾けた。ふんわりと藤の香りが大気に溶ける。
風が渡り、さやさやと野の草花が揺れる。
風の来し方を見やれば、果てのない青空が広がっていた。
ほろほろと、春の陽が降っている。
『花の宴』
(※作中の水は酒類ではありません)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
「花の宴」は完結しますが、連載は続きます。
次話もお付き合いくだされば、幸いです。




