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38 花の宴(四)


花の宴(三)より続き




 木々が途切れ、(ひら)けた場所に出た。


 一面の、春の野原。

 タンポポやアザミが咲いている。

 穏やかな春風が、そよそよと葉を揺らしている。見上げる空は青い。雲は一つもなく、すこんと底が抜けたような青。


 野原のあちこちには、多くのモノたちがいた。

 二本足で立つ狐、お酌して回る狸、烏帽子を被った(ひきがえる)に、角のある蛇、大きな盃で酒を飲む鬼。人外、怪異、魑魅魍魎。


「これは、これは。書記係の方々がお揃いで」

 藤色の直衣を纏った、老爺が声を掛けてきた。仙人のような長く白い髭が揺れる。


「藤の翁も、来ていたのか」

 榊先輩へ藤の翁が頷く。


「貴女様の舞を、楽しみにしておりましたぞ」

「うーん、今回はどうかな」

 榊先輩が首を傾げ、何故か俺を見た。

 ほっほっほ、と藤の翁が笑う。


「なるほど。次代様がいらっしゃいますからなぁ」

「そう」

 また後で伺います、と言い残し、藤の翁は去っていく。


「こちらに」

 野襤褸菊(のぼろぎく)に案内され、野原を進む。

 地面に直接座っていた兎たちが、さっと頭を下げる。うん、と榊先輩は小さく頷き、歩いて行く。鳥や、鹿や、鬼たちの集団も、同じように畏まる。

 ちょっと居たたまれない。


「と、当代」

「なに、そういうものだ。気にするな」

 俺のほうを振り向きもせず、彼女は言う。


「気になりますよ」

「小心者だなぁ」

 けらけらと笑われた。

「次代書記係なんだから、ふんぞり返っていればいい」

「無理です。性に合いません」

「真面目―」


 不思議や、怪異や、物怪と渡り合う書記係。

 ほどほどに、丁寧に扱われるのは嬉しいが、それ以上に申し訳なく思う。自分はただの高校生だ。間違っても、高貴な存在ではない。


 それなのに、野原で最も良い場所に席があった。


 畳が二枚、野に置かれていた。

 それだけでも驚くが、にやりと嗤った榊先輩の言葉に、もっと驚く。


「ただの畳じゃないぞ。高麗縁(こうらいべり)と言ってな、貴人(あてびと)専用だったりする。しかも縁が大紋――ちょっと前だったら、親王とか将軍が座る」

「俺は地べたでいいです」

「せっかく野襤褸菊が心砕いてくれたのに?」

 厚意を無下にするのか、と言外に責められる。


「……ありがとう、ございます」

 さっさと榊先輩は畳の上で胡坐をかく。仮にも女子なのだから、横座りとかにしてもらいたいが、口には出さない。いつでも何処でもぶれないのが、榊先輩だ。


 同じように、畳へ胡坐をかいて座る。持っていた一升瓶を傍らに置く。

 榊先輩がくるりと手首を回した。その右手に朱塗りの盃があった。


 弓道場で、鳩缶に片付けたはずの盃だ。


「……どういうことですか」

「まぁ、そういうことかな」

「意味がわかりませんよ」


 元は土産のサブレが詰まっていた黄色い缶。今は摩訶不思議と、理解がおよばない謎が、みっちりと詰まっている。


「細かいことは気にするな。今日は無礼講だ」

 渡された朱塗りの盃を受け取れば、野襤褸菊が瓶子(へいし)を差し出した。

「桜の滴でございます」

 朱塗りの盃が、透明な薄紅で満たされる。


「酒ではないよな?」

「酒ではございません」

 それならいい。

 口をつければ、ほんとりと桜の香りがした。淡い甘さが舌の上で転がり、するりと喉を通っていく。


「……美味い」

「ようございました」

 ほっとしたように、野襤褸菊が息をつく。


 榊先輩の横には、いつの間にか、着物の女性が控えていた。

 結わずに背中へ流した黒髪、伏し目がちの眼。黒の上着に憑いている、伏見さんだ。慣れた手つきで、榊先輩の盃に、瓶子の中身を注ぐ。


 わらわらと、狩衣を纏った狸たちが、素焼きの皿を持ってきた。

 素朴な皿の上には、さくらんぼ、木の実、焼いた川魚、筍の煮物のようなもの、乾した果物、などなどが乗っていた。量が多い。


「ありがとう」

 一番体の大きい狸がぺこんと頭を下げた。来たときと同じように、わらわらと帰っていく。


 春の野を見渡せば、やんや、やんやと、賑やかしい。

 飲めや食えや。

 舞えや歌えや。

 ざわざわと、声や鳴き声や酔っぱらった歌が入り混じり、楽しげだ。


「誰ぞ、余興を」

「誰ぞ、盛り上げんか」

「では、わたくしめが」

 青い狩衣を着た白兎が、ぴょこんと踊り出た。よう、よう、と囃し立てる声が響く。


 白兎が扇を手に、舞い始めた。

 春野の中でぴょんぴょん飛び跳ね、開いた扇をくるくる動かす。

 よき、よき、と周囲から喝采が湧く。


 白兎がぺこりと頭を下げれば、今度は牙を生やした鬼女が立ち上がった。ちゃんとした烏帽子に白拍子の衣服。長い袖を振って舞う。くるり、くるりと軽やかに回る。

 さすが、さすが、と周囲から称賛が零れる。


 白拍子の鬼女の動きに合わせて、狩衣を纏う鶏が唄いはじめた。


  春の野に 集えよ集え 花の宴


 くるり、くるり。白拍子の鬼女が白い袖を振る。


  春の野に 飲めや歌え 花の宴


 鶏の声がよく通る。ざあっと風が吹けば、百花の甘い香りが漂う。


  春の野に (めぐ)れや廻れ 花の宴


 凛、と空気が変わった。

 鶏が黙る。白拍子の鬼女が地に膝をつく。

 ぴんと張り詰めた雰囲気に、心臓が飛び跳ねる。


「来る」

 榊先輩が小さく呟いた。

「何がですか」

 答えてもらう前に、ふっと牛車が現れた。何もなかった場所に、唐突に現れた。


 古典の教科書で見た、牛車。

 けれども、()いているのは牛ではない。


 牛ほどの大きさの、黄色いひよこ。


 しずしずと、ひよこに牽かれた牛車が野原を進み、やがて止まった。御簾は下ろされたままで、乗っているものの姿は見えない。

 それでも、居並ぶものたちがどよめいた。


「春の御方だ」

「春の御方だ」

 衣服と居住まいを正し、一斉に牛車へと頭を下げる。慌ててそれに倣う。横目で見れば、榊先輩も座ったまま礼をしていた。

 春の御方とは、誰なのだろう。


「佐保姫だよ」

 顔を上げた榊先輩が言う。

 内心で首を傾げれば、彼女は小さく笑った。

「春を司る女神さ」

「なっ」


 いつか。

 そういう存在に出会ってしまうと、覚悟はしていたが。

 神様だから、もっと神々しく、派手に登場するものだと思っていた。雷と共に降臨するとか。


「なかには、そういう派手好きもいる。まぁ、いろいろだ」

 謙虚な気持ちで居れば問題ない、と榊先輩が付け加える。目上の存在に対し、その姿勢は正しい。

 が。

 神様とは、距離が近くないのだろうか。


「なぁに。在るように、在ればいい」

 そう言って、榊先輩が牛車へ向けて盃を掲げた。口に運び、こくりと中身を飲み干す。


「そういうものですか?」

「そういうものだよ」


 居並ぶものたちが、榊先輩と同じように盃を掲げ、ごくごくと空にする。そのような作法があるのかと、周りに倣って盃を掲げる。飲み干す。


 やんや、やんやと、賑やかしさが戻った。

 飲めや食えや。

 舞えや歌えや。


 姿かたちは皆違うが、一様に笑顔。

 草も鳥も獣も。

 老いも若きも。

 神も人も。

 すべてが野に集まり、春を楽しんでいる。


 野に咲く花が、風に揺れている。甘い花の香が大気に溶けている。

 ほろほろと、白い光が天から降ってくる。


「次代よ」

「はい」

 榊先輩が盃を置いた。にやりと嗤う。

「舞え」

「は――?」

 言葉の意味が理解できない。


「いやいやいや。何を言い出すんですか」

「後で余興をしてもらう、と弓道場で予告したぞ」

 言われた気がするが。


「無理です。やったことないです」

「本当か? 見たことはあるだろ」

「今、この場が初めてですよ」

 白兎と、鬼女の舞。


「そっちじゃなくて、昔取った杵柄(きねづか)

 彼女が目を細める。


「剣舞のほう」

 ひやり、と胸の内が、一瞬だけ冷たくなった。


「……見たことは、ありますが。昔のことですよ」

「二年前を、昔と言うんじゃない」


 剣道のとある大会で。

 試合を始める前に、無事と成功を祈願して、上位者による真剣の剣舞があった。行うのは珍しかったから、覚えている。


「私は毎回舞っているから、今日はお前の番だ」

 ほら行け、と榊先輩は無遠慮に促す。


「いやいやいや。無理ですよ」

「野襤褸菊」

 俺を無視して、榊先輩が手を叩いた。

 野襤褸菊が従者のように、恭しく刀を捧げ持って来る。黒い鞘に収まった、一振りの太刀。


舞草(もくさ)の刀でございます」

「……どうして、そんなものがあるんだ」


 日本刀の形は平安時代に完成したと言われている。直刀だったのが、湾刀へ。その形の元となったのが、舞草刀。


「春の御方に、捧げられたものでございます」

 ひよこの牛車を見れば、御簾が十五センチばかり、巻き上げられていた。衣の端が見える。黄色、黄緑、萌黄、緑、青。色とりどりの十二単。


「私が言わずとも、指名は来ていたぞ」

 つ、と榊先輩が唇の端を吊り上げた。チェシャ猫に似た嗤い。明らかに面白がっている。


「……無理ですよ。舞ったこと、ありません」

「しょうがないなぁ」

 呆れたように言う榊先輩に、小さな希望の予感がした。無理ですと、取りなしてくれるのか。


「この当代が唄ってやろう。だから、舞え」

 希望は見事に裏切られた。


「断れないんですか!」

「断れないよ。お前は書記係だろう」

 ぐうの音も出ない。強制だ。地位権力の横暴だ。パワーハラスメントだ。


「人の(ことわり)が、鬼や神や諸々に通じると思うなよ」

 歪みなき正論。心臓が痛い。


「なぁに、お前ならできる。お前だからできる」

 当代書記係で、一学年上の先輩様にそう言われてしまっては、腹をくくるしかない。

「言っておきますが。本当に、見様見真似ですよ」

 うん、と彼女が頷く。

「大丈夫。ちゃんと身の内に在るから」

 意味がわからない。


 それでも、冴えた漆黒の眼差しに見つめられれば、なんとかなるような気がしてきた。


 野襤褸菊が持つ、舞草刀を手にする。鉄の、ずしりとした重み。佐保姫に捧げられた舞草刀は、黒い鞘に治まっていても、確かな鋭気を放っていた。


 竹刀とは訳が違う。

 重みも、長さも。存在感も。


「ご武運を」

 野襤褸菊に祈られ、思わず苦笑する。戦いに行くわけでもないし、何か違う気がする。

 少しだけ気が軽くなり、舞草刀を手にしたまま立ち上がる。ざわり、と明確に空気が揺らいだ。


 榊先輩が柏手を打つ。

 手が打ち鳴らされる度に、大気が鎮まっていく。野の中央に進み出れば、息を詰めた幾つもの視線が突き刺さる。柏手が鳴る。


 佐保姫の牛車の前。立ち止まり、目を閉じる。(しん)、と身の内が整う。

 緊張はしない。

 知らない内に、とっくに、通り越していたようだ。

 ゆっくりと息を吸い、吐き出す。

 

 柏手が鳴る。

 すう、と微かに榊先輩が息を吸った。


  みさかきの つかさよりて もうしうたもふ


 榊先輩が節をつけて唄う。その声が、遠く、近く、響き渡る。

 少し、瞼を持ち上げれば、ほろほろと、春の白い陽が降っていた。

 頭の中が、霞の掛かったように、ぼんやりとなる。それでも思考の片隅は、ひどく冴え渡っている。


  はるかなる むかいてはたく ゆるりとて


 横にした舞草刀を胸の前で持つ。ゆっくりと、呼吸に合わせて抜く。

 春光に、銀の刃がきらりと閃いた。

 鞘を払い、刀身を縦に立てる――正眼。鞘を持った左手は腰の位置に。


  るりふるる たまのねなつを ゆきてかく


 踏み出しと共に、舞草刀を右へ薙ぐ。ひゅっ、と空気が鳴いた。


  のにありし かざしのひれの はしのとを


 唄う声に合わせ、刀を振るえば、春の陽がその白さを増す。

 ほろほろと、天から絶え間なく降り注ぐ。


  ひして まへば よはのしら


 榊先輩が唄っている、言葉の意味はわからない。初めて耳にする。

 それでも、不思議と、気持ちが落ち着く。

 朗々と、彼女の声が大気を渡る。


  にらぎ ことのは かぎりなし


 いつからか、舞草刀の重みが手に馴染んでいた。

 振っていても、重くはない。

 むしろ、軽くなっていく。


  はるさびて ゆゆぐふねの ゆきさきの


 左へ、右へ。

 前に、後に。

 振るえば振るうほど、刀は体の一部のように感じられる。


  ながふつき たててまわね しみずわき

  のらしのは ながりよそで われみつき


 記憶をなぞる。剣舞。体は動く。

 一際大きく、断ち切るように、刀を振るえば。


  えんのをし むすびてむすぶ たちのちるらん


 唄い終わり。

 終焉を迎える。

 緩やかに、刀身を鞘へ治めた。


 しん、と天地が無音となる。

 それも一瞬のことで、はたはたと手を打つ音が聴こえた。

 牛車の御簾の奥で、佐保姫が手を打ち鳴らしている。


「次代」

 榊先輩の声に振り向けば、にんまりと彼女が笑った。

「よくやった」






※注.酒及びアルコール類ではなく、水です。


花の宴(五)へ続く

次で、この話は完結します。




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