33 賭け(下)
賭け(上)より続き
部活が始まる前。
ゴミ捨てを終えて、弓道場へ戻る途中で、弓道着姿の榊先輩と会った。黒いジャージの上着を羽織っている。
「よう、鳴海。いつも早いな」
こんにちは、と叩きこまれた挨拶の習慣がすべり出る。
怪訝そうに榊先輩が眉を寄せた。
「……聞きたいことがあるなら聞くぞ」
答えるかは別だけど、と予防線を張るのは彼女らしい。
「あの人、何者なんですか」
前置きもなく訊ねても、榊先輩はすでに見当がついていたようで、あっさりと教えてくれた。
「世界民族風俗記念日研究部の部長」
その長ったらしい正式名称を、ほとんどの生徒は知らない。別の名で呼ぶ。
オカルト研究部。
「古谷先輩が……ですか」
「図書室の隣にある、第四教材室がやつの巣だよ。だから頻繁に図書室に出没する」
野生動物のように言わないでもらいたい。
「何か、言われたか」
榊先輩の勘は恐ろしい。小さな痛みが胸を走る。
「……いえ」
ふうん、と榊先輩が息をもらし、視線を学生会館へと投げた。建物伝いに、長身でくせっ毛の男子生徒がやって来る。
古谷先輩だ。
「よう、榊」
「ああ、変人」
榊先輩がさらりと返す。その明け透けな物言いに俺は驚いたが、本人は気にしていないようだ。にたにた笑いながら、わざとらしく肩をすくめる。
「ひどいな」
「奇人のほうが良かった?」
「貴てなる人のほうが良かった」
「寝言は寝て言え」
「所詮、この世は夢の如し」
はっ、と二人して鼻で笑った。
何だか怖い。
「それで、用事は何さ」
榊先輩が胸の前で腕を組む。何故か威圧感が増す。
「銀杏をもらいに来た」
古谷先輩が手の平を上にして、右手を出した。
「タダで?」
「せこいな。こういうところを見習ったら駄目だぞ、鳴海」
正論だが、古谷先輩に言われたくない。
「何かを手にするには、対価や代価が必要だと知っているくせに」
榊先輩が古谷先輩を睨む。ふーん、とつまらなそうに呟いて、古谷先輩は手を下ろす。
「知っているが、知っているだけだ」
「約束を守らないつもりか」
「契約更新ということさ」
ほぉ、と榊先輩の目に面白がる光が宿る。
「勝負しよう。僕が勝ったらタダで銀杏をくれ」
「私が勝ったら?」
「約束通り、対価を支払う」
「古谷」
榊先輩の声が、冷たい。
「そんな条件で乗ると思うか」
「どうだろうな。鳴海なら、乗るだろ?」
急に話を振られても困る。
「負けたら銀杏を渡さなければならないが、勝てば今まで通り。ほら、簡単なことだ」
「それは……まぁ」
ぺしん、と榊先輩に頭を叩かれた。
痛くはない。
痛くはないが、驚いた。
「馬鹿者。古谷が有利だと気付け」
「えっ」
「向こうの立場に立って考えてみろ。勝負に勝てばタダで銀杏が手に入る。負けても今まで通り。プラスとゼロだ。一方のこっちは、負けたらタダで銀杏を渡さなければならない。勝ったとしても今まで通り。マイナスとゼロだ。古谷のほうが、どう転んでも得をする」
古谷先輩がやれやれと言いたそうに首を横へ振った。目が合えば、悪びれもせず片目をつぶって見せた。腹が立つ。
「それに、まだ勝負の方法を決めていない。手の内がわからないのに、勝負する馬鹿がいるか」
ここにいます、と内心だけで呟く。
「冷静になれ」
「はい……」
見習いが口を挟んではいけない。身をもって学んだ。
「それで、方法はどうする? 弓で遠近でもやるか」
榊先輩が向き直る。
「それじゃ勝負にならないだろ。公平にサイコロの目で決めよう」
古谷先輩が制服のポケットからサイコロを二つ、何処かから黒い皿を一枚、手の平に収まる小さな籠を一つ取り出した。手品師か。
「二つのサイコロを籠に入れて、よく振る。皿の上に籠ごと被せる。二つのサイコロの目が偶数か奇数かを当てる。簡単、公平だろ」
実際に古谷先輩がやって見せた。
二つのサイコロを入れた籠を振り、地面の上に置いた皿へ被せる。からん、とサイコロが転がる音がした。
「偶数と奇数かな」
籠をどかせば、サイコロの目は六と二。偶数と偶数だ。
残念、と古谷先輩が呟く。
「それって賭博じゃないんですか?」
そう訊ねれば、古谷先輩は心外そうに目を瞬かせた。
「別に金銭を賭けているわけじゃない。単なるお遊びだよ。どうだ、榊?」
「いいぞ。だけど、古谷。大切なことを忘れている」
「大切なこと?」
古谷先輩が首を傾げれば、榊先輩が鼻を鳴らした。
「この勝負で決まった契約の有効期間は一年間とする」
ちぇっ、と古谷先輩が肩をすくめた。
それで気付く。
古谷先輩は期間を定めていなかった。
つまり、今回限りではないということ。榊先輩が一年間と区切らなければ、契約は永遠に続く。
冷静に考えれば、単純なこと。
それでも、古谷先輩のペースに呑まれて考えが及ばなかった。
にたり、と詐欺師のように古谷先輩が笑う。
「わかった。それでいい」
そうして、俺にサイコロ一式を押しつけた。
「お前が振れ、鳴海」
「はっ?」
慌てて道具を返そうにも、古谷先輩は制服のポケットに両手を突っ込んで受け取りを拒んだ。
「そのほうが公平だろ」
そう言われれば、そうだが。
あまり巻き込まないでほしい。
「この際だ。とことん巻き込まれてみたらいい。何事も経験だよ」
「榊先輩まで……」
当代書記係にやれと言われたら、やるしかない。
サイコロを籠の中に入れる。
片手で籠の口を塞いで、よく振る。
「いきますよ」
古谷先輩がポケットに手を突っ込んだまま身を乗り出す。榊先輩は胸の前に腕を組んで、しゃがみ込む俺を見下ろしている。
「よっと」
地面の上に置いた皿へ籠を被せれば、からんと硬質な音がした。
「うーん。奇数と奇数かな」
古谷先輩が答える。
「お前は? 榊」
「両方奇数」
榊先輩がつまらなそうに言う。
籠をどかせば、黒い皿の上には三と一のサイコロ。
「なんだ。二人とも当たりか」
くくく、と古谷先輩が笑った。
「鳴海」
「はい」
ちらっと榊先輩が俺を見る。
「次」
「はい」
皿の上のサイコロを拾って、もう一度。
籠を皿へ被せれば、からんとサイコロが転がる音。
「今度は何だと思う?」
「つまらん挑発はいらんぞ、古谷。奇数と偶数」
「……やっぱり怖いな。僕も奇数と偶数」
籠をどかせば、五と二。
ぞわっと項が粟立つ。
榊先輩の勘は、何故か良く当たる。
それと同等レベルの古谷先輩。
「鳴海」
「はい」
榊先輩が眉をひそめた。
「気付けよ」
「はい?」
何に。
にたにたと古谷先輩は嗤っている。榊先輩がため息をつく。
「もう一回だ、鳴海。今度は皿の上じゃなくて、地面へ籠を被せろ」
「ちょっと待て。勝負の条件を崩すなんて卑怯じゃないか」
笑いを引っ込めた古谷先輩が抗議する。
「別に崩してはいないさ。種も仕掛けもない道具なら、転がすのは地面の上でもサイコロの目は変わらないはず。言い当てる私も古谷も条件は一緒だ。違うか」
ぴくりと古谷先輩の眉が跳ねた。
「それとも引き分けのまま、ここで勝負をやめる?」
「つまらない挑発はいらない」
「そうか。じゃ、続行で」
ほら早くしろ、と榊先輩に急かされる。サイコロを拾って、籠の中へ。
よく振り、今度は地面の上へ籠を被せる。
「同時に言おうか、古谷」
凛と冴えた、榊先輩の漆黒の眼差し。
「……わかった。鳴海、合図を頼む」
一呼吸置いて。せーの、と俺が声を出せば。
「偶数と奇数」
「二と六」
重なった古谷先輩と榊先輩の声に、違和感。
「随分と強気だな」
偶数と奇数、と答えた古谷先輩が睨む。
「よく言うよ。これぐらいで勝てると思ったのか」
二と六、具体的な数字を挙げた榊先輩が嗤った。
二人の答えが、初めて分かれた。
「鳴海」
「はい」
榊先輩と目が合う。
「気付けって」
「何にですか」
「初歩だぞ」
「いや、何がですか」
にたにたと、古谷先輩はやりとりを傍観している。
「まぁ、開けてみろよ。鳴海」
「はぁ……?」
古谷先輩に促され、籠をどかす。
地面に転がったサイコロの目は――二と六。
「この化物め」
「褒め言葉のセンスないな、お前」
はっ、と二人して鼻で笑い飛ばした。だから怖い。いろいろと怖い。
「ま、潔く負けを認めよう。対価として、これら一式をくれてやろう。だから銀杏をくれ」
全然、まったく、潔くない。上から目線は何なんだ。
「いいぞ」
あっさり榊先輩は承諾した。思わず立ち上がる。
「いいんですか!」
「いいんだよ。授業料だと思えば」
榊先輩は、羽織ったジャージのポケットから紙包みを取り出した。
「ほら」
古谷先輩に差し出す。紙包みに古谷先輩の左手が届く――その前に、ひょいと榊先輩は引っ込めた。古谷先輩がむっとした表情を浮かべる。
「おい。つまらない挑発はやめろ」
にやり、と榊先輩が唇の端を吊り上げた。
「右のポッケー」
歌うように、からかうように。それでいて、確信めいた声。
一瞬だけ体を強張らせた古谷先輩だったが、ため息をついて、右のポケットから手を出した。
その手に、小さなリモコンが握られている。
「いつから気付いていた?」
「最初から。手を隠すのは、手品師と詐欺師の基本。相手の手が見えなかったら、イカサマを疑えってね」
はいよく出来ましたー、と冗談めかして榊先輩がリモコンを受け取る。
頑張って作ったんだけどなー、とぼやきつつ古谷先輩は銀杏の紙包みを手に取る。
その光景に、頭痛がする。
「鳴海」
「はい」
榊先輩が目を眇めた。
「気付けよ」
「……すみません」
「良い授業だったろ?」
古谷先輩がにたにた嗤う。
「これなー、リモコンのスイッチを入れると、皿が磁気を帯びるんだ。後はサイコロの奇数目と偶数目に、それぞれ極が違う磁石を取り付けて――」
「すみません。講釈はその辺りで勘弁してください。虚しくなるんで」
「良い授業だったろ、雛鳥」
返す言葉がない。
「じゃ、また遊ぼうな」
「二度と御免です」
真面目ー、とにたにた嗤いを残して、古谷先輩は踵を返した。〈紫苑の森〉から去っていく。
「何が公平だ……」
どっと疲れた。駆け引きと小細工のオンパレード。
「お前、あの詐欺師にからかわれたんだよ」
「俺をからかっても、何の得にもなりません」
「まぁ、嫌がらせだな。私に対しての」
気にするな、と榊先輩がサイコロを拾って振った。からん、と皿の上に二つが転がる。
サイコロの目は、両方とも一だった。
「榊先輩」
「うん?」
「古谷先輩と、仲悪いんですか」
「うーん。お互いに、積極的に得意ではないって感じ。毒も鋏も使いようだし」
微妙に言い回しが違っているが、言い得て妙だと思った。
「使えるものは、使えるとしたら使い倒す主義ですか」
そう、と榊先輩が頷く。
「でも、さっさとくたばって怨霊にでもならないかな。そうしたら問答無用に討ち祓ってやるのに」
盛大に藪蛇の予感がしたので、黙っていることにした。
『賭け』




