23 忘れ路(わすれじ)二
ーー忘れ路 一より続き。
「鳴海。鳩缶から裁縫袋を出してくれ」
「裁縫袋……どんなものですか」
「赤い布地で千鳥柄の、手の平サイズ。紐で巻いてある」
記憶を手繰るが、見たことはない。
「そんなもの、ありましたっけ」
「あるさ。探せ」
黄色い缶の前に座って、中を探す。
土産のサブレーが詰まっていた缶には、今は雑多なものが秩序と質量を無視して入っている。
切れ弦や、弓の握り革、懐紙、小筆、紙片、硯、墨、短い鉛筆、手鏡、筆粉の小瓶、風切羽根、紅い組紐、団扇、古い栞、などなど。
中を漁るが、裁縫袋は見つからない。
ちらっと榊先輩の顔を窺えば、にやにや笑っていた。そういうことか。
「呼ばないと駄目なやつですか」
「さぁねぇ」
面白がっている。何でもかんでも面白がる、榊先輩の悪い癖だ。後輩で遊ばないでもらいたい。
「次代の書記係なら、できるだろ」
そう言われれば、やるしかない。
黄色い缶の蓋を閉じて、ひと呼吸置く。赤い布地の、千鳥柄の裁縫袋をなるべく正確にイメージする。
そのまま、缶の蓋を手で叩いた。
ぽん、と軽い音がする。ひしめいていた中身が消えたようだ。
両手で蓋を開ければ、缶の底には――何もなかった。
「げっ」
慌てて蓋を閉める。ばくばくと心臓が脈打つ。
「どうした、鳴海。早くしろ」
俺の焦りを見透かした上で、榊先輩がプレッシャーを掛けてくる。
「ちょ、ちょっと待ってください」
「早く。あと一回で呼び出せ」
黒い神弓の影を抱くようにして、榊先輩が腕を組む。仁王立ちで偉そうだ。一学年上の先輩で、書記係の師匠だから偉いわけだが。
「今日はやけに厳しいですね……」
「厳しくない。そろそろ鳩缶に慣れてもいい頃だ」
弓道具から文房具、怪しいものから神々しいものまで、雑多に詰め込まれた黄色い鳩缶。それ自体が立派な妖しいもの。
「ほら、早く」
榊先輩に急かされ、もう一度、鳩缶へ向く。蓋に描かれた鳩を見ながら、呼び出す裁縫袋を脳裏に思い描く。赤い布地の、千鳥柄の裁縫袋。
「……ん?」
何か、忘れているような気がする。
「赤い布地で千鳥柄の裁縫袋……手の平サイズで……」
口に出せば、榊先輩が嗤った気配がした。
「……紐で巻いてある」
ことり、と何かが缶の中へ落ちた。
恐る恐る蓋を開けてみれば、小さな裁縫袋がひとつだけ入っていた。榊先輩が頷く。
「まぁ、雛鷹にしては及第点」
「精進します」
「何だ、褒めてやったのに。嬉しそうじゃないな」
「一言多い気がしたので」
被害妄想だと自分でも思うが、素直に喜べない。
所詮、まだ雛鳥だ。
「榊先輩なら、一発で呼び出せますよね」
「甘いな。私が呼ぶ前に、蓋を開ければもう居るぞ」
やっぱり敵わない。
ふん、と榊先輩が鼻を鳴らした。
「まぁ鳴海も……一年後か、十年後には、良いセンになるかな」
「勘ですか」
榊先輩の勘は、何故かよく当たる。
「さぁな」
裁縫袋を榊先輩に渡す。榊先輩は影弓を抱えたまま、器用に裁縫袋の紐を解く。針を一本取り出した。
何か縫うのかと見ていたら、榊先輩は針の先を、自分の左の人差し指へ突き刺した。
「なっ……に、してるんですか!」
赫い滴が、ぷくりと指の腹の上に生まれる。
針を戻した裁縫袋を榊先輩が俺へと突き返す。
「片付けていいぞ」
受け取った裁縫袋を鳩缶へ戻し、代わりに救急セットを壁際の棚から取り出す。
榊先輩が右手に持った懐紙へ、血で何かを書きつけた。右腕を伸ばし、弓手で持つ影弓の本弭を懐紙に当てる。するすると、懐紙が影弓を飲み込んでいく。
ゆっくりと時間をかけ、影弓は懐紙へ跡形もなく封じられた。
手の中に残った懐紙を、榊先輩が折り畳む。白い、小さなお守り袋ができる。拝むように両手を合わせ、榊先輩がふっと息を吹きかけた。
「うん、完成」
開いた彼女の手の中には、紫苑色のお守り袋があった。
「……何、やったんですか」
理解できる次元を優に飛び越えて、頭痛がする。
意味がわからなすぎる。
「ちょっとな」
ちょっとどころではない。
腹の底からため息が出る。
「とりあえず、指。手当てしましょう」
「いらない。舐めとけば治る」
「治りません」
えー、と榊先輩が不服そうに眉を寄せた。
「別にこれぐらい、何でもないのに」
「何でもなくないです」
榊先輩が紫苑色のお守りを何処かへ仕舞う。ひらひらと振る手には跡形もない。
「あ、しまった。跳ねた」
ぱたた、と小さな赫が床板に滴る。
「垂れるほどの、結構な出血じゃないですか!」
何やっているんだこの人は。
救急セットを床に置き、中から消毒液と滅菌ガーゼを探す。途端に榊先輩が顔をしかめた。
「平気だって。心配性だな、鳴海は」
「そういう問題じゃありません。血が出ているんですよ。痛くないんですか」
「平気、平気」
何言っているんだこの人は。
ふつ、と何かが切れた音がした。
堪忍袋の緒かもしれない。
「じゃあ、いいです」
「お、諦めたか」
そう言った榊先輩が目を見張る。
逃げ出すその前に、彼女の左腕を手で捕まえた。
「代わりに傷、もらいますね」
「おいっ」
振り払おうとしても、そうはいかない。
刺し傷に自分の左の人差し指を擦りつけ、遷れと命じる。途端に肉を貫く、鋭い痛みが閃いた。榊先輩の傷が消え、代わりに自分の指から血が滴る。
「……しっかり痛いんですけど。どれだけ刺したんですか」
非難めかして言うと、噛みつくような目で睨まれた。
「うるさい」
榊先輩が左手首をくるりと回し、俺の手から逃れる。
「鳩尾に膝蹴り喰らわすぞ」
「待ってください何ですかその理不尽は」
本当にやりかねないので、慌てて距離を取った。床板に自分の赫が散る。
「あー」
自業自得だが、掃除の範囲が増えてしまった。
傷を舐めて、血がこれ以上飛ぶのを防ぐ。口の中に広がる鉄錆の味。
救急セットから絆創膏を出し、指に巻く。
「おいこら鳴海。一応聞くが、消毒は?」
榊先輩が左腕を手でさする。手加減はしたが、痛かったようだ。心の中で謝る。
「俺はいいんです。これぐらい、舐めておけば治りますよ」
「さっきと言っていることが違うぞ」
「それはそれ。これはこれです」
「……生意気になったな」
お蔭さまでと言ってやると、榊先輩はそっぽを向いた。その横顔を見るに、本当に怒らせてはいないようなので、放っておく。
指の傷はづくづくと痛いが、利き手でもないし、弓手の人差し指なら行射、弓を引く一連の動きには影響しない。弓を支える手の内にも関係ない――だから榊先輩は、左の人差し指を選んだのか。
雨戸が開け放たれた射位から風が吹き込む。
じっと、榊先輩が外を見つめている。
視線を辿れば、二十八メートル先、的を掛ける垜小屋の屋根に鷹が留まっていた。その鋭い目が榊先輩へ向く。
「来たか」
小さな呟き。
「鷹、ですか?」
垜小屋の屋根に留まるのは珍しい。遠目でも、堂々とした佇まいに成鳥だとわかる。鷹は翼を広げ、〈紫苑の森〉へ飛び去った。
「鳴海」
「はい」
「今日は〈紫苑の森〉に入るな」
「はい?」
耳を疑う。
意地悪でも意趣返しでも何でもなく、淡々と榊先輩は命じる。凛と冴えた、漆黒の眼差し。
「入るなよ」
今まで、一度もそんなこと言わなかったのに。
「どうしてですか」
「どうしてもだ」
「意味がわかりません。そう言うのなら、理由を教えてください」
「忘れ路だ」
――余計にわからない。
「理由、言ったからな。来るなよ」
話は済んだとばかりに、榊先輩は靴箱から雪駄を持ち出した。道場の縁で雪駄を履き、矢道へ下りる。
「過程をすっ飛ばすの、やめてくれませんか」
「慣れたんじゃないのか」
榊先輩は、さっさと歩いて垜小屋、〈紫苑の森〉のほうに行ってしまう。その背中へ声を張り上げる。
「これは無理ですよ! 繋げられません」
「それなら、それでいい」
榊先輩は、振り返らなかった。
ーー忘れ路 三へ続く。




