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21 径庭(けいてい)

 

 冊子に記す。

 部室で二人きりの時。

 北原先輩から、こんな話を聞いた。




 小学校に入学する前だったと思う。

 季節は春だったか、夏だったか。寒くもなく、暑くもない。そんな季節の途中だった。


 その日も、いつものように榊と北山に行って遊んでいた。

 北山はそんなに大きい山じゃない。

 それでも、駆けずり回っているだけで飽きなかった。


 花とか、虫とか、鳥とか、狐とか、綺麗な小石とか。見たり、聞いたり、捕まえたり、拾ったり。小さな神社があって、毎日通っていた。


 その頃から、榊は変わっていた。

 じっと空を見つめていたり、誰もいないのに話し掛けていたり。浮世離れしているというか、こいつ、おれがちゃんと見ていないと駄目だなと思った。




「小さい頃から保護者ですか」

 俺が冗談で言うと、部室の壁に背を預けて座る北原先輩は大真面目に頷いた。


「保護者だったな。だから、榊の行くところ、全部おれも行ったさ。迷子になったことはなかったが、夕方になっても二人して帰って来ないって何度も大人たちに捜索された」


「怒られました?」

「それはもう、こっぴどく。まぁ、本家の祖母だけは叱らずに話を聞いてくれたが。それに榊を止めないで、一緒に行くおれも悪い。だから、あいつと絶対に帰って来ようって約束したな」


 小さく笑う、眼鏡越しの北原先輩の目元が柔らかい。




 あの時も、榊と一緒に光る路を辿ったんだ。

 ――光る路がある。

 榊がそう呟いた。


 おれには見えなくて、何処にあるのか聞いたら、神社の裏手を指差した。面白いくらい目を輝かせて、行こう、と榊が言った。


 言った途端に走り出すものだから、慌てて背中を追った。

 好奇心旺盛というか、興味あるものに突っ走る性質は、昔も今も変わらない。


 おれには光る路が見えないから、榊の後ろをずっと走っていた。そうすると、榊の足跡が白く光っていたんだ。

 草が生える地面を踏むたびに、ぱっと白い光の粉が飛ぶ。地面にくっきりと白い光の靴跡が浮かび上がる。

 振り返ると、おれの足跡もそうなっていた。


 足跡が白く光って残る。

 転々と、真っ直ぐに、光っている。

 神社は木々に隠れて見えなくなっていて、気づいたら頭上は枝葉が覆い、薄暗くなっていた。

 榊は走る足を緩めない。


 ――どこまで、いくんだ。

 ――わかんない。でも、ずっと、つづいてる。

 振り返った榊は笑っていた。


 ――いるよ。このさきに。

 ――なにが。

 ――なんだろ。こわいかんじはしないから、たぶん、なにか。

 

 榊はまた、前を向く。

 導かれるように、真っ直ぐ走る。

 伸ばし途中の髪がなびく。結っていなかったから、邪魔じゃないのか、とか考えていたら、それに気づいた。


 ずっと真っ直ぐ走っている。

 変だ。


 北山の森の中で、真っ直ぐ走ることなんて普通はできない。


 木や、深い草叢や、岩や、地面の起伏があるはずなのに。舗装された道を行くように、一直線に榊とおれは走っている。


 薄暗い森の先に目を凝らしたら、木が動いていた。

 ずずずず、と左右にずれて、行く手を譲ってくれている。腰ぐらいの高さがある岩が、ごろごろ転がっている。ススキみたいな雑草、名前もわからない草叢が、ざわざわ蠢いている。


 榊と俺が走り抜ければ、白い光の足跡が残る。

 その光が薄く消えかかると、木や、岩や、草たちはまたもとの位置に戻った。




「どうした、鳴海。考え込んで」

「あ、いえ。……同じようなことを〈紫苑の森〉で経験しまして」

「ああ、成程。〈紫苑の森〉も強いからな。森に呼ばれれば、いろいろなものが気を利かせて、道を開けてくれるんだろ」


「お客さん扱いですか」

「されているうちは良いんだが。ちょっとでも機嫌を損ねると、後が怖い。だから別に普通の扱いで構わないのに。勝手に祭り上げられても困る」

「あー、それ、わかります」




 とっくに時間感覚はなくなっていた。

 走り始めて、しばらく。全力疾走しているわけでもないから、息はそんなに上がっていないが、それでも疲れてきた。


 ――なぁ、まだつづいているのか。

 ――うん。もうすこし。


 森の奥へ奥へと走って行く。

 榊に見える光る路はおれには見えないから、ずっと地面が続いているだけだった。地面に白く光る、榊の足跡を追っていた。


 そうして、いつからか。

 気がつけば、左右を緑の壁に囲まれていた。


 生垣みたいな、葉が茂った緑の壁がずっと先まで続いている。後ろを振り返っても、同じ景色だった。転々と、真っ直ぐに、二人分の足跡が残っている。

 北山の森の中に、こんな場所はない。


 ――あと、ちょっと。

 榊の声に前を向く。前方が霧で霞み、ぼんやりと明るい。

 ――なにがいるんだ。

 ――わかんない。でも、いる。


 霧の中に入った。

 目の前が見えなくなる、と思っていたら、あっさりと其処に辿り着いた。


 緑の壁に囲まれた、広いドームのような場所だった。


 薄く霧が漂っているが、それでも視界を遮るほどではない。しん、と静まり返っていて、音が一切なかった。


 ぞくり、と背筋に悪寒が走った。

 怖くはない。恐ろしくはない。ただ、何か、自分たちが居るべき世と違うと直感した。


 前に立つ、榊の隣に並んだ。榊は何かを探しているようで、きょろきょろと辺りを見回していた。


 ――なにか、いるのか。

 ――うん。くる。きている。

 榊が顔を上げた。

 ――あ、ほら。きた。


 嬉しそうに笑顔で指を差す。

 榊の指を目で辿ると、緑のドームの天井に白く光る霧が集まっていた。ふわりふわり、ぼやぼや、ゆらゆら、揺れていた。そのうち、だんだんと白く光る霧は濃く、形を成してくる。


 突然、耳鳴りがした。

 それまで経験したことのないような、ひどい耳鳴り。キィン、と硬質な高音。思わず両手で耳を塞いだ。耳が痛い。


 榊を見ると、だらんと両腕を垂らして、蠢く霧を見上げている。笑顔が、一切の表情が消えていた。


 ぞくっとした。

 人形のように榊は動かない。魂を抜かれたように、ただ突っ立っている。何かを見ている。


 ――おい!


 肩を掴んで揺さぶる。反応がない。天井にいる白く光る霧を見つめているだけだった。


 唐突に耳鳴りが止んだ。

 次の瞬間、一気に空気の重量が増した。圧迫感に息が詰まる。口の中が乾き切っているのに、冷や汗は吹き出る。がくがくと足が震える。

 大きなものがくる。


 何が起きているのかわからなかったが、それだけはわかった。直感。やばい、やばいと、頭の片隅でもう一人のおれが叫んでいた。


 天井から、白く光る霧の塊が降りてきた。

 音もなく、圧倒的な白が迫って来る。


 それは絶対的なもの。

 遥か高みに(おわ)すもの。

 見てはいけないもの。

 恐ろしいという感情を通り越して、ただ単純に、敵わないと思った。

 そして同時に、腹が立った。




「何でおれには見えないんだって、ぶち切れた」

 その様子が容易に思い浮かぶ。口から乾いた笑い声が滑り出た。


 意外に短気な北原先輩。大体いつも某部活の部長と喧嘩ばかりしている。安い挑発でも、簡単に買っている。良く言えば負けず嫌い。悪く言えば――止めよう。


「それで、どうなったんですか。霧は俺も経験しましたけど、下手すると……下手できないですよね」

「目が出てきた」

「目?」

 話の流れからするに、植物の芽ではないだろう。人差し指で自分の目を示せば、北原先輩が頷いた。


「エジプトのホルスの目のようなやつ。白い光の霧の中にひとつだけ、金色の目が浮いていた」




 金色の目が見下ろしている。

 瞬きもせずに、じっと見つめている。体の震えは収まっていた。ふつふつと、腹の底が煮えくり返っている。やっと見えた。やっと出てきた。


 背中に榊を隠す。

 本家の祖母が言っていたことを思い出した。怪異を見る目を持つ子は、〈向こう〉に引きずり込まれやすいと。神隠しに遭うと。


 ――むかえにきたんだか、しらないけど、こいつはやらない。おれの約束のほうが、さきだ。


 金色の目が見つめている。

 榊を見ているんだと思っていたら、違った。


 少しずつ天井から降りてきて、おれの顔と同じ高さで止まる。高い位置にある時はわからなかったが、金色の目は巨大で、馬ほどもあった。


 殴ってやろうかとも考えたが、別に危害を加える様子もない。じっと見つめているだけ。それなら、こちらから手を出す理由もない。でも、睨みつけてやった。


 金色の目。


 嫌な感じもしないし、良い感じもしない。ただ、威圧感がある。体を押さえつけられるような、空気の重さ。


 それがまた見下されているようで、おれなんか在っても無くても関係ないと告げられているようで、ひどく腹立たしかった。


 ――ようがないなら、かえるぞ。


 視線を外さないまま言うと、金色の目が震えた。

 笑ったようだった。


 ぶわっと、急に白く光る霧に包まれた。

 金色の目から、金粉のような光が零れる。霧に混じって顔に吹きつける。体を包む。


 ――なにすんだ!


 叫んで手で霧を払うと、何もかもがなくなっていた。


 金色の目も、白く光る霧も、緑のドームも消えていた。

 北山の森の中で、榊と一緒に立っていた。頭上には木の葉が茂り、暗い。腰まである草叢、落ち葉や枝に覆われた地面。

 光る路が伸びていた。


 真っ直ぐではないが、曲がりくねりながら、それでも白くはっきりと光っている。榊が見ていた道はこれか、と思った。振り返って榊に訊ねると、ぼんやりとした顔で頷いた。


 ――また、あてられたのか。

 ――うん。ねむたい。

 榊が手で目を擦る。いつもの様子に戻って安心した。


 ――ここでねるなよ。かえろう。

 ――みち、わかるの。

 ――みえる。

 あぁ、と榊が小さく笑った。


 ――きんいろ、もらったんだね。


 何のことだかわからなかったが、榊がこっくりこっくり舟を漕ぎ始めたから、手を引いて歩きだした。さすがに森の中で寝落ちされたら、おれにはどうしようもできない。

 白く光る路を辿って、北山の森の中を進んだ。




「家に着いたのは、例のごとく夜中でな。大人たちが探し回っていて、もう少しで警察に届けるところだったらしい。家に着くなり榊は熟睡しやがったから、おれ一人で叱られるはめになった」

「ご愁傷様です」

 貧乏くじは、いつでも引く人が決まっている。


「本家の大人までおれたちを探してくれて、迷惑を掛けたからな。その日中に謝りに行った。北山の森で迷ったと説明したら、祖父から一ヶ月立ち入り禁止の命令をくらった。ちょっと痛かったな」

「榊先輩と遊ぶな、とか言われなかったんですか」

「言われたさ」

 それは、そうだろう。


 ふっと北原先輩が唇を歪めた。

「もう二度と関わるな、縁を切れとまで言われた。だから撤回させた」

「ど、どうやってですか」

 北原先輩が眼鏡を外した。黄色がかった琥珀色の目が現れる。


 座ったまま、びくりと体が震えた。

 北原先輩の目は、普段は濃い茶色だが、今は違う。他と隔絶した絶対的な色。纏う雰囲気も変わる。ぴりりと肌が痺れる威圧。


「承知できなかったから、睨みつけて嫌だと言った。後にも先にも、祖父に逆らったのはその時だけだ。今も健在な本家の当主だし、昔から堅物だし。一度決めたことはひっくり返さない人だが、何故か前言撤回した」

「……目のちから、ですか」

 北原先輩が首肯する。


「祖父の前から辞した後、祖母の部屋に呼ばれた。祖母も不思議なものが見える人だったから、榊のことを気に掛けてくれていた。だから祖母には、隠さずに話した。金色の目のことも。そうしたら、教えてくれた。――金色の目は景帝(けいてい)の目で、見たものを従わせる。景眼(けいがん)と呼ばれていることを」


 北原先輩が眼鏡を掛け直す。

 ふっと部室の空気が和らいだ。北原先輩の目が濃い茶色に戻る。


「あの、景帝って何ですか」

「知らん」

 いやいやいや、嘘でしょう。


「本当だ。たぶん、怪異じゃない」

「怪異じゃない?」


「祖母曰く、さらに上のものらしい。どのみち人の(ことわり)の向こう側だ。おれの領分から外れている。必要な時に使えれば、どうでも良い」

 脳裏に、榊先輩のにやにや笑いが蘇る。


「使えるものは、使えるのなら使い倒す主義ですか」

「例え使えなくとも、使えるようにして使い倒す」


 胸の内に広がる謎の敗北感は何だろう。

 幼馴染こわい。二人で似過ぎだ。


 微かに、北原先輩が息をついた。

「……ずっと嫌だったんだ」

 ぽつりと呟く。


「あいつと同じものが見えない。一緒に居るのに、おれだけ仲間外れみたいな疎外感があって、嫌だった」

 小さな痛みが胸を刺す。


 仲間外れ。

 疎外感。

 人の輪から弾かれて、途方に暮れる。


 それは、榊先輩も感じていたものではないのだろうか。


 見えないものが、見える。

 見たいものが、見えない。


「怖くなかったんですか」

 唐突に得た、ちから。見たものを従わせる、ちから。それは、人の世から大きく外れている。


「祖母は本当に心配してくれた。あまりに強いものだから、封じる術はないと。おれ次第だと。まあ、自分のものだという感覚はなかったから、むやみに使うつもりもない。借りているだけだ」

 それに、と北原先輩は肩をすくめる。


「気の長いヤツだ。おれの寿命なんて、ヤツにとって一瞬のことだし、貸しててくれるさ。気まぐれでもあるから、与えたことを忘れているかもしれん。どうせ、その時が来たら、問答無用に消えてなくなる。それまで持っていても良いだろう。……返そうにも、返せないしな。呼んでも探しても、出て来やしない」


 今でも、あの緑のドームが何処だったのか、わからないそうだ。


径庭(けいてい)


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― 新着の感想 ―
[良い点] 最後に同音異義語で、くすり。(*´Д`*) [一言] 鳴海くん、この先輩たちに勝とうとしてはいけないし、勝ってもいけないと思う。 北原先輩の秘密が分かりましたね。さすが、北原先輩。
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