表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/72

15 にじ(下)


 ーーにじ(中)から続き


 

 気がつけば、垜小屋が見える場所に立っていた。


 周囲を見渡して、矢道でないことを確認する。うっかり射殺されたら笑えない。


 振り返ると、二股に分かれた榊の大木があった。


「よう。おかえり」

 凛とした声が降る。

 見上げれば、地面から二メートルほど。緩く曲がった幹の上に榊先輩がいた。幹に背をあずけて、俺を見下ろしている。


「……そんなところで、何やってんですか」

 袴に雪駄で登ったのか。登ったんだな。

「鳴海こそ。そんなところで、何をやっている」

 すべてを見透かした上で、それでも問うてくる。


「二字を書くものは見つかったのか」

「……いいえ」

 お前なぁ、と榊先輩に呆れられた。


「無自覚もそこまでくると天然記念物だぞ。その手に持っているものは何さ」

 言われて初めて気がついた。右手に常緑の葉がある小枝を持っていた。

 榊だ。


 ――あの子も自分に書いたよ。

 先輩の言葉が脳裏に甦る。


「榊先輩は、これに二字を書いたんですね」

 冴えた漆黒の眼差しが、静かに見下ろしている。沈黙は肯定。

「決めました。俺も――」


 ざっ、と榊の大木の葉が揺れた。葉擦れの音が、さやさやと鳴る。風が天へと渡る。風の行く先を見届けて、榊先輩が呟く。

「――聞き届けた」

 目を細めた、淡い微笑み。きゅっと心臓が締め付けられる。


「よっと」

 何を思ったのか、榊先輩が幹から飛び降りた。

「ちょっ、えっ、はぁあっ?」

 結った黒髪が尾のように靡く。ばさり、と袴の裾が鳴る。榊先輩は膝を曲げて、危なげなく地面に着地した。嘘だろ。


「どんな身体能力してんですか……」

 ふふん、と何故か勝ち誇ったかのように、榊先輩が鼻で笑う。

「こんなもん、コツだコツ。着地の衝撃さえ逃がすことができれば、二階からだって平気だぞ」

「やめてください。絶対にやらないでください」

 ばくばくと心臓が驚き狂っている。えー、と榊先輩は不服そうだ。


「本当、マジ、何なんですか……」

 意味がわからない。言うこと、やること、自由奔放すぎる。

「何って、先輩。当代書記係。お前のお師匠様だぞ」

 思わず天を仰いだ。

「あー……そうですね。そうなりますね」

「そうだろう」


 にやっと榊先輩が笑った。腕を組んで偉そうだ。偉いのか。――ああ、天高くに真っ直ぐな虹が出ている、と頭の片隅で呟いてみる。現実逃避。


「あ、本当だ」

 太陽を避けるように手を翳して、榊先輩が空を見上げた。


 風が蒼穹に描いたのか、横に長く真っ直ぐ伸びる虹。

 上から赤、橙、黄、緑、青、藍、紫にちゃんと分かれている。


「環水平アークだな」

「何ですか、それ」

「水平虹とも呼ぶ。ほら、太陽と同じ方向に出ているだろ。光学現象だから、乱暴に言うと虹と同じ」


「どうしてそんなこと、知ってるんですか」

「知っていた方が面白いだろう」

 まぁ、確かに。そう言えば、榊先輩は理系クラスだ。


「知ってたか? 虹は七色じゃないんだぞ」

「七色じゃない?」

 榊先輩が頷く。

「古くは五色、南の方だと二色だったりする。外国だと、八色なんて国もあるな」

「そうなんですか?」

 てっきり七色と、決まっているものだと思っていた。


「そもそも、個人によって見える色に幅が在るし、男女で色彩を見分ける感覚が違う。男性より女性の方が、色を多く見分けることができるという研究結果もある」


 こうやって同じ虹を見上げていても、俺と榊先輩とでは見ている色が違うのか。

 同じものでも、違く見える。

 それは、何となく、悲しいような気がする。


「別に、どう見えようとも関係ない。在るものが、在るように在ればいい」

 唐突に背中を片手で強く叩かれた。不意打ちでよろめく。

「何だ、胴造りがなってないなぁ」

 けらけらと榊先輩が笑う。

「うるさいです」

 軽やかな風が頬を撫でる。

 そのまま雨戸が開け放たれた弓道場内に吹き込み、神棚の紙垂(しで)を揺らした。


 俺を置いて、さっさと弓道場へ行ってしまう榊先輩の背中を追う。玄関で追いつき、一緒に道場へ上がる。


「これ、どうしたらいいですか?」

 手にした榊の小枝を示すと、榊先輩が手招きした。畳の上に文机が出ていた。その上には硯と筆が置かれている。


「あ、名札も持ってこい」

 言われた通りに、壁に掛った自分の名札を取る。文机に置き、板張りの床に正座する。文机を挟んで榊先輩と向かい合った。


「俺の名札って、榊先輩が書いたんですよね。書記係だから」

「うん? ああ、そう」

 畳の上に正座し、硯で墨を()りながら榊先輩が頷いた。ふわり、と落ち着く墨の匂いが漂う。


「ん? 何で知ってる」

「先輩に聞きました。三年生の」

 〈紫苑の森〉で会った彼女のことを話す。柔和な声の、凪いだような穏やかなひと。


「――あのひとに会ったのか」

 ひどく驚いたように、榊先輩が目を瞬かせた。

「よく鬼に喰い殺されなかったな」

「えっ」

 体が凍りつく。頭が言葉の処理を放棄する。


「……何て、言いました?」

「よく鬼に喰い殺されなかったな」

 墨を磨る手を止めず、真っ直ぐに俺を見て、榊先輩は繰り返した。


「鬼って、鬼ですか?」

 角や牙が生えた異形のもの。金棒を持って、虎の皮を身に着けたもの?


「鬼は鬼でも、鳴海がいま想像しているものより、全然、まったく、かなり格が違う。神様って呼ばれるほう。あとで辞書引いとけ」

「……はい」

 〈紫苑の森〉には鬼神までいるのか。最早、何でも在りだ。


「よし、いいだろう」

 硯の海に、闇色の黒が生まれた。榊先輩が筆――使い込まれた古い小筆――の先を磨った墨に浸す。じわり、と穂先が黒く染まる。


「ほら」

 小筆を手渡された。


「どの葉でもいいから、名を記せ」

 榊先輩に言われ、小枝の一番大きくて書きやすそうな葉に名を書いた。漢字二文字が、黒々てらりと光る。


「これ、どうするんですか?」

「まぁ見てろ」

 榊先輩が受け取った小筆を硯に置く。

 文机にある俺の朱文字の名札を、指でとんとんっと軽く叩く。ひっくり返して、また裏の朱文字側も同じように指で叩く。


「ん?」

 違和感を覚えた。

 どうして、両面とも朱文字なのか。


 榊先輩と目が合う。にやりと彼女は嗤った。

「〈こっち〉にも〈向こう〉にも、在るように成ったんだ」

「はぁっ?」

 意味がわからない。


 榊先輩は、榊の小枝を手に持つと、そのまま葉の先から名札に入れた。名札は(つか)えることなく、するすると榊の小枝を呑み込んでいく。


「うん。完了」

 ほい、と榊先輩が机上の名札を投げてよこした。慌てて受け取る。ひっくり返すも、いつもの名札と変わりなかった。片方が朱文字、片方が墨の黒。


「榊の小枝はどこにいったんですか」

「どこでもない狭間へ。繋ぎ止める〈結び〉に成った」

 わかるような、わからないような。


「どういうことですか」

「そういうことだよ」

「意味がわかりませんよ」

 そうして、ふと疑問に思う。


「名札の両面が朱文字――在るになるなら、両面が不在にもなるんですか?」

「ほう……」

 面白がるように、榊先輩が目を眇めた。


 冴えた漆黒の眼差し。

 宿る鋭利な光が、何故か冷たい。真っ直ぐに見つめられ、心臓が飛び跳ねる。ぶるり、と体が震える。背筋が凍る。

「普通の部員はならない。そうなるのは、書記係のみ」


 ――この先は、聞かない方が良い。

 頭の中で警鐘が鳴る。

「そうですか……」 


 でも、気になることがある。

 それを知りたい。

 やめておけ、と身の内で何かが囁いた。常識というヤツかもしれない。人の領域から外れるからやめておけ、と忠告してくれる。


 でも、知りたい。

 頭の中の警鐘は鳴っている。

 やめておけ。

 でも、知りたい。

 やめておけ。

 でも、知りたい。


 漆黒の冴えた眼差しは、ただ静かだ。拒んでも、迎え入れてもいない。


 知らなくても、障りないことなのだろう。

 知っていても、障りないことなのだろう。

 虹の色の数のように。

 ――けれども、知りたい。


 冴えた眼差しを見返す。

「どんな時になるんですか」

 ふっと、榊先輩が唇の端を歪めた。


「鬼籍に()った時」


『にじ』





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] あーあーあ。( ゜д゜)、 鳴海くん、ようこそ! 野襤褸菊!藤の翁!最初ぶり! 三年生の先輩は、鳴海くんのおばあちゃんかと予想してました。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ