表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/72

11 怖いもの(下)


 ーー怖いもの(上)より続き


 バタン、と女子部室のドアの音がした。


 とたとた、と壁越しに物音がする。

 榊先輩が着替えているようだ。

 北原先輩が単語帳をカバンに仕舞った。俺も慌てて帰り支度を整える。コートを羽織る。


 二人で男子部室を出た。闇夜に白い息の花が咲く。

 部室の鍵を壁に掛けていると、榊先輩がやって来た。道場内の電気が眩しいのか、目を細めている。突き出された女子部室の鍵を受け取って、同じ鍵掛けに返す。ちりん、と鍵に付けられた鈴が鳴る。


「待たせて……悪かった」

「いえ、大丈夫です」


 北原先輩が三人の名札をひっくり返す。

 部員全員の名札が墨側――帰宅の表示になっているのを確認して、弓道場の鍵を掛けた。


 しん、と辺りは静まり返っている。外灯は道場横、水場に一か所あるだけ。その他は見事に真っ暗闇だった。


「さむい」

 榊先輩が歩きながらマフラーを撒き直している。前を見ないと危ないですよ、と声を掛ける間もなく、足元の石に躓いた。


「あ」

 危ない。

 俺が伸ばした腕は空を切る。

 転ぶ。


「おい」

 北原先輩が榊先輩の腕を掴んで支えた。

「あー……、ごめん」

「ちゃんと歩け」


 はーい、と返事だけは良い。

 北原先輩が手を放すと、榊先輩は立ち止まってマフラーを撒き直した。満足したのか、北原先輩の横に並び歩き出す。


「石階段のとこだけ……外灯を設置して……くんないかな」

 よいしょ、よいしょと声を出しながら、石階段を榊先輩が昇る。狭いので、俺は後ろから続く。


 急な斜面に、無理矢理石を埋め込んで作ったような石階段は、一段一段が高い。昇るのがしんどい上に、外灯がないので真っ暗だ。不確かに見える石の輪郭へ足を乗せる。これが雨の夜だと悲惨だ。つるりと滑る。


 榊先輩が足を踏み外した。


「えっ!」

 前のめりに倒れる――前に、北原先輩が抱きとめていた。


「お前、半分寝てるだろ」

「……ばれた?」

 力無く榊先輩が笑った。暗い中でもなんとなく見える。榊先輩の瞼が半分下りている。


「大丈夫ですか?」

 抱えられるようにして階段を昇りきった榊先輩に声を掛ける。

「平気、平気ー」

 声だけは元気。たが、ひどく眠たそうだ。ふらふらしながら、歩き出す。


 幸い、校舎の横の小道は平坦だ。外灯はないが、それでもテニスコートの脇を通るので見晴らしが良い。駅周辺の街灯りが届くので、夜でも弓道場よりは歩きやすい。


 榊先輩を真ん中にして、並んで正門まで向かう。北原先輩が右手テニスコート側。俺は左手校舎側。


「今朝の霧のせいか」

 ぽつりと呟いた北原先輩に、榊先輩は声で頷いた。

「……そう」

 おい、と北原先輩に促されたので、朝練の顛末を話した。霧に閉じ込められたこと。


「それだけか?」

「えっ? ええ、はい。お蔭で俺も今日ずっと眠かったです。霧に気力を奪われたからだって。寝れば治るって、榊先輩が言ってました」


 かくん、と前につんのめった彼女を北原先輩が支える。盛大にため息をついた。

「それだけじゃないだろ」

 それだけじゃない?


 疑問符が頭の中で大量生産された。

 おい、と北原先輩が問い質す。


「……さぁ、ねぇ」

 はぐらかされた。冴えた光を宿す漆黒の目が、今はぼんやりとしている。


「寝るなよ。自分で歩いて家まで帰れ」

「……わかってるー。目、見て言って」

 左手で眼鏡を外した北原先輩が屈み込み、同じように言葉を繰り返す。お互いの顔が近い。


「……聞き届けたぁ」

 今すぐ倒れ込んで寝そうだが、それでも喋ることで若干覚醒したのか、榊先輩の足取りがふらつかなくなった。


「距離感……」

「何だ、鳴海?」

 ひょい、と北原先輩が顔を上げた。

「いえっ、何でもないです! 眼鏡外すの、珍しいなって思って! ほら、北原先輩の目って珍しい色だ、か、ら……?」

 思い浮かんだことを口にして、違和感に気づく。


「何色だ」

 鋼のような北原先輩の声。

 すぅっと気温が下がった気がした。


 ただでさえ夜で寒いのに、更に。白い息の花が咲く。凍える。かちかちと歯の根が鳴る。思わず立ち止まる。


 北原先輩が足を止め、僅かに届く街灯りを背にして俺を見た。


「何色に見えた」

 北原先輩が問う。眼鏡越しではない、その瞳の色は。


「……今は、暗いから、黒ですけど。さっき部室で。光の加減かもしれないですが、黄色っぽい琥珀色のように、見えました」

 あの時か、と北原先輩は納得したようだった。身に覚えあるのか。


 榊先輩が北原先輩のコートの袖を手で引く。

 途端に、ふっと冷気が遠ざかる。

 北原先輩が長く息をついた。


「光の加減ってことにしておけ」

「はいっ」


 ばくばくと心臓が怯え狂っているが、北原先輩がそういうなら、そういうことだ。迂闊に藪へ手を突っ込んだらいけない。部長命令は絶対だ。


 くいくいっと、再び榊先輩が北原先輩のコートの袖を引っ張る。

「何だ?」

 ぼそぼそと呟く榊先輩の口元へ、北原先輩が屈んで耳を寄せる。その眉間が険しくなった。


「鳴海」

「はい」

 嫌な予感がする。

「榊曰く、迷ったらしい」

「はぁ?」

 迷うも何も、校舎沿いの一本道だ。迷いようがない。


「ずっと校舎とテニスコートの間を歩いていましたよね?」

「その校舎もテニスコートも、こんなに広かったか?」

 だらだら喋りながら歩いても、五分程度で正門に着くはずだ。

 五分は五分前に過ぎていた。


 恐る恐る、後ろを振り返る。

 夜に沈む〈紫苑の森〉が見える。前を向く。真っ直ぐに伸びた小道が闇の中へ続いている。


「ちょ、ちょっと歩いてみませんか?」

「ああ」

 正門の方向へ足を進める。榊先輩もこっくりこっくり舟を漕ぎながら、北原先輩の袖を握ってついて来る。ゆっくり歩いていたとしても、そろそろ昇降口ぐらいには辿り着いてもいいだろう。


「なるほど。これは迷ったな」

 北原先輩が足を止めた。

 歩いたはずなのに、風景がまったく変わらない。

 道の丁度真ん中から、動いていなかった。


「狸の仕業とか」

 何時ぞや、化かされたことがある。坂の途中、同じように前へ進めなかった。

「おれが居るから、それはない」

 そう断言できる理由を知りたい。


 眼鏡を掛けないまま、北原先輩が辺りを歩き回る。

 右手を真っ直ぐ前に突き出して、校舎へ近づく。当然のように右手が校舎の壁に触れる。

 反転して、今度はテニスコートへと近づく。背丈より高い金網にかしゃん、と触れる。その北原先輩の後を、コートの袖を握った榊先輩がちょこちょこついて回る。


「榊先輩、完全に寝てませんか?」

「だから迷った」

 意味がわかりません。


 そこに居ろと命令して、北原先輩が正門方面へ進む。ぞわっと総毛立った。北原先輩と榊先輩の足は動いているが、前に進んでいない。


「なるほど。囲われてはいないみたいだな」

 ふん、と北原先輩が鼻を鳴らす。


「囲われて……?」

「別の話だ。気にするな」

「いや、気になりますよ。何の前振りですか」

「気が向いたら、追々話してやる」

「本当ですか。約束ですよ」

「ああ」

 北原先輩が右手を軽く握る。


「どうやって、ここから抜け出しますか?」

 北原先輩が舌打ちした。

 珍しい。と、同時に。

 あ、やばい。

 直感が警鐘を鳴らす。


「原因が不明だから、穏便にいきたいところだったが」

 その冷たく鋭利な気迫に心臓が飛び上がる。

 やばい。


「うちの書記係たちが疲れているのに、帰り道を邪魔するとは良い度胸だ」

 はっ、と口元を歪めて北原先輩が嗤った。鋭い犬歯が覗く。その瞳が烔々(けいけい)と、黄色みがかった琥珀色の光を宿している。闇に沈む小道を睨む。


 これは、やばい。


 かたかたと、寒さではない何かで体が震えだした。増していく重圧に息が吸えない。怖いが、ただ恐怖ではない。やばいと思うのは変わらないが、紙一重で違う感覚。

 ぐねり、と前方の闇が揺れた。動いた。慄いた。


「鳴海」

「はいっ」

「目を瞑れ。耳を塞げ」


 言われた通りに体が反応した。瞼をきつく閉じて、両手で耳を塞ぐ。体に掛る威圧に耐え切れず、その場にしゃがみ込む。


 怖いもの。

 絶対的なもの。

 遥か高みに(おわ)すもの。

 畏れ多くも見てはいけないもの。


「――ろ」

 北原先輩が何か言ったようだった。

 ざあっ、と闇が問答無用に払われていく気配がした。

 脳裏に閃いたこの感情の名前は。

 ――畏怖だ。




「おい」

「はいっ」

 肩を叩かれた。

 眼鏡を掛けた北原先輩が目の前に立っていた。


「帰るぞ」

 しゃがみ込んだ俺を見下ろす目は黒。よく見れば濃い茶色だった。

「置いてくぞ」


 北原先輩がさっさと歩き出す。その後をコートの袖を握った榊先輩がちょこちょこついて行く。舟を漕いでいる。完全に寝てる。


 慌てて立ち上がると、節々が悲鳴を上げた。痛い。痛いが、ぐずぐずしていると北原先輩に本当に置いて行かれそうなので、体を引きずるようにして後を追った。


「……北原先輩」

「何だ」

「今の動いたやつ、何だったんですか」

「さぁな。わからん」

 惚けているようには見えない。本当にわからないようだ。


「何て、言ったんですか」

「さぁな」

 これはわざとだ。知らないふりをしている。勘が告げている。

俺の気のせいでなければ。

 北原先輩は、消えろと命令した。


「……もし、万が一、俺にも言葉が聞こえていたら、どうなったんですか?」

「ここに居るなら、命令が届かなかった証拠だ。おれは鳴海を見てないし、鳴海もおれを見なかっただろ。あの時」

 あの時。


 他と隔絶した色。黄色がかった琥珀。

 ぞわ、と背筋が凍る。

 怖いもの。

 絶対的なもの。

 遥か高みに(おわ)すもの。

 畏れ多くも見てはいけないもの。


「おい」

 いつの間にか、正門に辿り着いていた。大通りに沿って、外灯が煌々と点いている。明るい。右手、坂を下れば駅。北原先輩と榊先輩の家の方向は左手、坂を上る。


「気をつけて帰れよ」

「は、はい」

 俯いて頷く。北原先輩が薄く笑った気配がした。

「こわいか?」

 静かな声だった。


「……はい」

 すみません、と頭を下げる。どうしても、目を合わせられない。


「正直だな、お前は」

「すみません」

 助けてくれたのに。

「すみません」

 圧倒的な何かが、身をすくませる。

「すみません」

 悔しい。自分の無力が悔しい。怖いと思ってしまう自分に腹が立つ。不甲斐なさに、情けなさに、拳を握る。


「悪かったな」

 どうして北原先輩が謝るのか。


「おれのせいで、こわい思いをさせた」

「それはっ、違います」

 思わず顔を上げる。

 眼鏡越しの、静かな濃茶色と目が合った。


「景眼、というそうだ。借りものだが」

 北原先輩が指で目を示す。

「誰から……」

 いや、違う。


「何から、借りたんですか」

「さぁな。話すと長くなる。また今度にしよう」

「約束ですよ」

「ああ」


 こっくりこっくり舟を漕ぐ、完全に寝ている榊先輩をつれて、北原先輩は坂道を上る。等間隔に並ぶ外灯が、歩道に丸い光の円を描いている。二人の姿が光の円に入り、闇に入る。また光に入り、闇に入る。その背中が見えなくなるまで、ずっと見送っていた。


 怖いもの。

 絶対的なもの。

 遥か高みに(おわ)すもの。

 畏れ多くも見てはいけないもの。


 でも、それは妖しく、かなしく、惹きつけられるもの。


『怖いもの』




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 紫苑の森自体が妖しい場所ですが、そこに北原先輩と榊先輩が来たのは、意図を理解した上で来たのか、呼ばれたのか。どちらでしょうね? あと、鳴海くんのおばあちゃん。気になります。 [一言] …
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ