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氷点下の終末が来ると知っていたので、私を凍死させた恋人と親友の分の布団は全部捨てておいた  作者: 空の異変


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7/10

第七話 家だよ

夕方までに、ベランダへは三度出た。


通気口の笠を払って、戻って、ストーブの前で手を温めて、また出る。


三度目に出たとき、家の横に積もった雪は、二階の窓の下枠に届きそうになっていた。地面からなら、4mはある。


壕に戻ってスマホを見ると、マンションの住民LINEグループが動いていた。


大家の桑野(くわの)さんが、ゴミ出しの日と回覧板の代わりに作ったグループだ。あの部屋を借りたとき、桑野さんに誘われて入った。


『水が出ません。うちだけですか』


『うちもです。断水みたいです』


『トイレどうしよう……』


『桑野です。水道局に問い合わせていますが、まだ電話がつながりません。分かり次第、こちらでお知らせします』


私は、前から作っておいた備蓄のチェックリストを、画像にして貼った。


『6階の宇佐美です。役に立つかわからないけど、置いておきます』


『□窓とドアをしっかり閉める □飲み水の残りを確かめる □食べ物は日数で割る □布団・毛布・上着を一部屋に集める □スマホの充電を節約する』


『この雪、いつ止むかわかりません。食べ物と布団は、大事にしてください』


少しして、返信がつきはじめた。


『ありがとうございます。お風呂に水、溜めとけばよかった……』


『カセットボンベ、残り2本でした。大事に使います』


『毛布、押し入れから全部出して、居間に集めました』


『うちは子どもが小さいので、本当に助かります』


画面を閉じた。


前の9月7日、あの外廊下で、誰もドアを開けなかった。


恨んではいない。あの夜は、みんな自分の部屋のドアを守るので精一杯だった。


壕の棚には、水の箱が、天井近くまで積んである。


    *


タブレットを開くと、マンションのリビングは、昼より暗く見えた。


エアコンはまだ動いている。それでも、二人は肌掛けにくるまったまま、ソファの両端に離れて座っていた。


瑠璃は、泊まりに来たときの着替えを、Tシャツの上に全部重ねて着ていた。あの人の足には、靴下が二枚ずつ。


テーブルの上には、空になった炭酸水のペットボトルが並んでいる。缶ビールは、もう一本も残っていないらしい。


あの人が、瑠璃のスマホを指さした。


「住所聞けって言ってんだろ」


「聞いてるよ。既読にもならないんだってば」


「もっと聞けよ。雪が止んだら、あいつのとこ行くんだよ。金も、布団も、全部取り返す」


「あんたが自分で聞けば? あの子、あんたの電話には出ないでしょ。嫌われてんだから」


あの人の手が、瑠璃の頬を打った。


瑠璃は頬を押さえて、しばらく動かなかった。それから黙って、スマホを打ちはじめる。


『小夜ちゃん、ほんとに大丈夫? あたし心配で。今、どこにいるの?』


私は、壕の照明を落とした。


父のストーブの扉を開けると、炎の色が、天板のポットと、小皿に載せた羊羹を照らしだす。


そこだけを、スマホで撮った。窓も壁も、何も写らない角度で。


写真を送る。それから、音声メッセージを一つ。


「すごい雪だね。うちに薪ストーブがあって助かった。なかったら、凍えてたかも」


送信して、照明を戻した。


タブレットの中で、瑠璃のスマホが鳴る。画面を見た瑠璃の手が、そこで止まった。


「……何これ」


あの人が覗きこむ。瑠璃は画面を、あの人の顔に突きつけた。


「なんであの女が暖炉の前にいるの、なんであの女に食べ物があるの」


「知るかよ」


「知るかよじゃないよ。あたしたち、夏布団だよ。ご飯もないんだよ。なのに、なんであの子だけ、お茶飲んで、お菓子食べてんの」


「だから住所聞けって」


「聞いてるでしょ!」


瑠璃はスマホを握りしめたまま、ソファの端で動かなくなった。


    *


夕飯は、鍋にした。


解凍しておいた鶏ももを、一口大に切る。じゃがいもと人参、ごぼう、こんにゃく。


じゃがいもだけ、先に油で炒めた。表面にうっすら焼き色がついたら、一度皿に取りだす。


煮崩れしないんだよ、こうすると。


父はそう言って、肉じゃがでも煮物でも、いつも最初にじゃがいもを炒めていた。母が横から「また油っこくして」と言うのまで、毎回同じだった。


調理兼用ストーブの天板で、鶏を炒める。醤油と、みりんと、お酒。


水を張って蓋をすると、壕の中に甘じょっぱい匂いが満ちていった。30分。


じゃがいもを戻して、もう10分。


菜箸で一つ刺してみる。角が立ったまま、中まですっと通った。


炊いておいたご飯は、国産の銘柄米だ。普段の私なら、値札を見てそっと棚に戻すやつ。


鍋をローテーブルに運ぶ。コルクの鍋敷きには、前からある丸い焦げ跡が一つ残っていた。


ソファの下から出てきたおこげが、私の膝に、ごつんと頭をぶつける。


「これはだめ。おこげのは、そっち」


彼女は不満そうに尻尾を一振りして、自分の皿のほうへ歩いていった。


湯気の立つ鍋と、ご飯の茶碗を並べて撮る。


『見るだけでも、どうぞ』


送ってから、鶏を一切れ口に入れた。


父の味より、少しだけ甘い。みりんが多かった。


タブレットの中で、瑠璃が声を上げて泣きだした。


喉を開いて、子どもが泣くときの泣き方で。あの人は耳を手でふさいで、ソファの反対側へ移った。


    *


20時を過ぎて、あの人がスマホを顔の前に持ちあげた。


「もう警察だ。警察呼ぶ」


スピーカーにしたまま、番号を押す。呼び出し音が、静かなリビングに響いた。


「はい、110番です。事件ですか、事故ですか」


「凍え死にそうなんです、来てください。食べ物も、布団もなくて」


「お怪我をされている方はいますか。お名前と、住所を教えてください」


あの人が、マンションの住所を言う。キーボードを叩く音が、少しだけ聞こえた。


「通報は受け付けました。道路が塞がれていて、今は向かえません」


「は? じゃあ、いつ来るんですか」


「除雪の状況によります。屋内で、できるだけ体温を保ってください。体調が急に悪くなったら、もう一度ご連絡ください」


「いや、だから、体温を保つものが何も」


通話は、そこで終わった。


あの人はスマホを見下ろしたまま、眉間に深い皺を寄せていた。


壕のラジオが、今夜の市内の気温を−50度と伝えている。


瑠璃のスマホが、また光った。


『ねえ、小夜ちゃん。住所教えて。どこの家? お願い』


私は、短く返した。


『家だよ』


それ以上は、何も書かなかった。


カメラの中で、瑠璃が画面を見つめている。


「……家って」


「金のことだろ。あいつ、金を返せって言いたいんだよ。だから居場所を隠してんだ」


「違うよ」


瑠璃が、首を振った。


「あの写真、あたしに送ってきたんだよ。慎也じゃなくて、あたしに。ご飯の写真も、あたしに」


「だから何だよ」


「……あの子、何か知ってるんじゃないの」


「何かって何だよ」


瑠璃はあの人の顔を見て、それから、目を逸らした。


「ねえ、これ、どういう意味なの」

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