第三話 一番はお前だよ
8月25日から、トラックが毎日来るようになった。
玄関で受け取って、地下室で数えて、壕の中の棚に振りわける。一日の終わりには、指先が納品票の複写紙で青くなっていた。
ろうそく30箱、ソーラーランタン20台、モバイルバッテリー20台。
電池式のラジオが2台に、乾電池が120本。マッチとライターと着火剤は、湿気ない缶に入れて棚の上段へ。
米、60kg。小麦粉、乾麺、カップ麺、缶詰、乾物、お菓子。
いちばん重かったのは水だった。
500mLのペットボトルが24本入った箱を、200箱。
「これ、全部地下ですか」
配送のお兄さんが、台車の取っ手にもたれて汗を拭いた。
「はい、土間の上にお願いします。何回かに分けてもらって大丈夫です」
「何かあるんですか、この家」
「地下が涼しいので、ちょっと多めに」
答えになっていないのは、自分でもわかっていた。お兄さんは「はあ」とだけ言って、次の箱を台車に乗せた。
「じゃ、こちら受領のサインお願いします。今日の分で、水は半分です」
「残りも、明日お願いします」
床は事前に業者さんに見てもらって、重さを分けて置いても大丈夫だと言われている。それでも、箱の山が増えるたびに、私は土間の端に立って、ひびが入っていないか覗きこんだ。
ダウン、帽子、マフラー、防水手袋、防寒長靴、ゴーグル。
除雪スコップを3本に、斧と鋸。梯子と、ロープを2本。
赤い布を2枚。手芸店の棚で、いちばん目に痛い色を選んだ。
常備薬は8箱。解熱剤も風邪薬も、箱と説明書は開けずにしまう。
白茶は2kg。缶を二つに分けて、一つは封を切らないまま、棚の奥へ置いた。
キャットフードは30kg。猫砂も、物置の一角が埋まるほど。
空いた段ボールを潰していると、おこげが寄ってきて、箱のまわりをぐるぐる回りはじめた。
私の手元で揺れる梱包バンドの端に、前足を伸ばしてくる。
「だめ。これは食べるやつじゃない」
バンドを丸めて、引き出しの奥にしまった。おこげは空振りした前足を、何事もなかった顔で舐めている。
46品目。全部の数字を表に書きこむと、ノートが一冊、ほとんど埋まった。
*
壕の入口側に、生活の場所を作った。
新しいベッド、ソファ、ローテーブル、本棚。全部、通販で選んだ新品だ。
搬入のたびに、作業員さんは一階の居間を通る。両親のソファと食卓が、どうしても通路の邪魔になる。
「このテーブル、ちょっとだけ寄せてもいいですか。角が当たりそうで」
「すみません、そのままでお願いします。台所のほうから回ってもらえますか」
「あ、はい。了解です」
遠回りになる廊下を、ベッドのフレームが斜めになって通っていった。
食卓の上の老眼鏡も、ソファの膝掛けも、そのまま。台所の壁のカレンダーは、三年前の8月をめくらずにいる。
出かけているだけ。そう思っていられるあいだは、この家はまだ、三人の家だ。
羽毛布団を4枚、毛布を6枚。ベッドの脇の衣装ケースに収める。
真夏のあいだは、たぶん一度も開けない。
*
28日の午後、家の前で怒鳴り声がした。
「おい、誰の車だ、これ」
外に出ると、隣の家の門の前に、白髪の男の人が立っていた。配送のトラックが、ちょうど隣の車庫の出口を塞いでいる。
江波さんだ。私が生まれる前から、隣に住んでいる。
「小夜ちゃん、その車、どけてくれ。こっちが出られない」
「すみません、江波さん。すぐ動かしてもらいます」
「病院の予約があるんだ。毎日毎日、何をそんなに運びこんでる」
「すみません。家の中を、少し直していて」
運転手さんが慌てて飛び乗り、トラックが前に出る。
江波さんはそれ以上何も言わずに、車庫へ戻っていった。
昔から、こういう人だ。うちの柿の枝が塀を一本越えただけで、玄関まで言いに来た。
搬入が全部終わったのは、31日の夕方だった。
スマホの天気予報は、浦篠市、最高気温35度。晴れ。
雪まで、あと一週間。
*
その夜、ソファでタブレットを開いた。
マンションのリビングを映す、見守りカメラのアプリ。前の人生ではおこげの怪我の理由を知りたくて付けたものを、今回は、出ていく前に自分で角度を合わせておいた。
慎也は、カメラがあることを知っている。猫を見るためのものだと思っているだけだ。
画面のソファに、二人が並んでいた。
瑠璃は慎也の肩に頭をのせて、缶チューハイを揺らしている。テーブルには、宅配ピザの箱。
瑠璃が片手でスマホを打つ。少しして、私のスマホが震えた。
『小夜ちゃん、実家どう? 慎也から聞いたよ、新居の話。おめでとう。今度お祝いしよ』
決まってから、と言ったはずの話を、慎也はその日のうちに流していたらしい。
『ありがとう。まだ全然だよ』
返信を読んだ瑠璃が、画面を慎也に見せて、二人で顔を寄せて笑った。
私は、慎也に電話をかけた。
画面の中で、慎也がスマホの表示を見て、瑠璃に人差し指を立てる。
「もしもし、小夜?」
「うん。なんか、声が聞きたくなっちゃって」
「なんだよ、かわいいこと言うじゃん」
「ねえ。私のこと、好き?」
「当たり前だろ。俺の一番はお前だよ」
言いながら、慎也は瑠璃の頬に唇を押しつけた。
瑠璃が声を殺して、肩を震わせて笑う。慎也も、口を押さえて笑っている。
「今の音、何?」
「お前にしたんだよ。電話越しに、チュッて」
「ふうん。……なんか、豚にキスしてる音に聞こえた」
瑠璃の顔から、笑いが抜けた。
慎也が慌てて、彼女の口の前で手のひらを振る。
「バカだな。自分のこと豚なんて言うなよ」
「私のことじゃないよ」
「は?」
「あ、そうだ。最近、瑠璃に会った?」
画面の中の二人が、同時に固まった。
「……会ってないけど。なんで」
「ならいいんだけど。瑠璃、またお兄さんの借金で困ってるみたいでさ。あちこちでお金借りてるって聞いたの」
「へえ」
「それでね、この前、駅の裏で、瑠璃っぽい人を見たんだ。背の低い、太ったおじさんと腕組んで、ホテルに入っていった」
慎也の手が、瑠璃の髪の上で止まった。
「見間違いだと思うんだけどね。瑠璃、そういうことする子じゃないし。慎也も、あんまり気にしないで」
「……ああ。だな」
「じゃ、おやすみ。愛してる」
通話を切っても、画面の中の慎也はスマホを耳に当てたままだった。
瑠璃の兄の借金は、本当だ。大学のころ、泣きながら打ち明けられて、私は今日まで、誰にも言わなかった。
駅の裏のホテルは、今、私が作った。
瑠璃が何か言いかける。慎也が、その手首をつかんだ。
「駅の裏って、どこのホテルだよ」
「は? 信じるの? あの子の話」
「兄貴の借金、俺は聞いてないぞ」
「言う必要ないでしょ。関係ないじゃん」
「関係ないかどうかは、俺が決める」
瑠璃が手を振りほどく。ピザの箱が、テーブルから床に落ちた。
慎也はそれを拾いもせずに、瑠璃のスマホに手を伸ばした。




