かぼすとピアノ
四人が粗方食事を済ませて落ち着いた頃だった。湯呑みを置いた亜月が、徐に口を開いた。
「比呂君は何も聞いてこないけど、うちについて聞きたいことは何もないのかな?」
そう問われ、比呂ははたと動きを止めた。
聞きたいことがないわけではないが、それよりも目の前の子兎や子狐に懐かれたり離れられたり、目の前の雑事に流されていたら、今に至ってしまったのだ。
お化け的なものが来るホテル――というが、比呂にとっては一泊しただけのちょっと変わっているが面白いホテルであり、それ以上深い情報は必要でなかった。かと言って何も聞かないほど興味がないわけでもない。
「……そうだ。亜月さんは昨日『見えるようになるとは思わなかった』って言いましたよね? それってどういう意味ですか?」
ああ、と亜月は頷く。
「実はね、勇魚と北斗は夜から急に現れたわけじゃなくて、ずっと私たちと一緒にいたんだ。君が目覚めたら報せてくれるように、部屋に居てもらってたんだよ」
見えるようになったという口ぶりから予想はしていたが、まさかそんなに最初から居たとは思わなかった。
「ベッドの準備だってしたのよ」
「……何から何まで、ありがとうございます」
「その後、ロビーの花影に色が見えるって言っていたから、そういう素質のある子なのかな、とは思っていた。でも二人が見えてないなら、敢えて言うこともないなと」
「ロビーの花影って、あの透明なガラスから差し込む、色のついた影のことですか?」
そう、と亜月は頷く。
「あのガラスは妖怪に作られたものらしくてね。妖怪とか幽霊、あと私みたいなのには、ガラス自体に色が付いているのが見える。そして、『見える』素質のある人間には、影にだけ色が付いて見えるらしい。比呂君は今までそういった不思議なものが見えたことは?」
「まさか、亡くなったじいちゃんですら見たことないです」
比呂が慌てて否定すると、亜月が卓の上で肘を立てて指を組み、顎を載せて考えるように首を傾げる。横にいる勇魚が同じポーズをした。
「……じゃあ、よほど君は、ここに縁があったのかな。波長が合うと言うか」
「それにしたって、なんで急に見えるようになったの? 私達が目の前で飛び跳ねても、全く気付いてなかったのよ?」
勇魚に言われて、亜月は反対側に首を倒す。
「ここに長くいたことで、見る力が高まったとか? 何かこの世あらざるものを取り込んだとか」
この世あらざるって何だと内心震え上がりながら、見えるようになった直前に食べていたものを思い出す。
「かぼすうどん」
「やだなぁ、変なものは入れてないよ」
比呂は笑って目を細める相手の顔をじっと見る。ややあって、予想外の所から声が聞こえた。
「……かぼす」
「ん?」
先の一件以来、一度も比呂の方を見ることなく、半ば固まりながらご飯を食べ切った北斗の呟きだった。それに対して、勇魚がアッと声を上げる。
「そういえば、あのかぼすはどっかの早摘みだって、あんまり見たことないカワウソが売りに来たわね。あれ、ひょっとして妖霊界で育てられたやつだったんじゃない?」
――ヨウレイカイ、妖霊界。
これまた耳慣れぬ言葉が出てきて、比呂は頭の中で漢字を当てはめる。その上カワウソがかぼすを売りに来たらしい。比呂は天を仰ぐ。
――嗚呼、世界って広いなぁ。こんなに広かったら、叔父が見つからないのも仕方なく思えてくる。
「そんな……確かに、早摘みにしても早いなとは、思ったけど」
「あんまり、知らないカワウソから物を買わない方がいいんじゃない?」
「カワウソの顔の見分けがつかないよ。名乗ってくれないかな」
呑気に二人はカワウソの人(獣?)相について議論しだしたけれど、比呂にはそれより気になることがあった。
「あの、ちょっといいすか?」
そっと挙手した比呂に、北斗含めて全員の視線が集まる。北斗がやっとこちらを見てくれて少しだけ嬉しかった。
「あのかぼすを食べた人間は、みんな不思議なものが見えるようになるってことですか。それってだいぶまずくないですか?」
精一杯深刻そうな表情をした比呂を、亜月は一蹴する。
「それはないだろうね。君が見えるようになったのは、元々素質があったからだと思うよ。君はあれを食べる前から、花影に色が付いて見えていただろ?」
「そういえば」
「すこーしだけ見える素質のあった君が、偶然私の目の前で倒れていて、偶然泊まることになって、偶然妖霊界産の最後のかぼすを食べて見えるようになった。やっぱりご縁があったんだね」
力業で何となく良い話にまとめようとしている亜月の笑顔を見て、比呂の顔は少し引き攣る。そんな馬鹿なと思いながらも、楽しかったから良いかとも思う。
「あ! もしかして、あのおもちゃのピアノは、自動演奏じゃなくて、北斗が弾いていたのか?」
晴れやかに手を叩きながら、やっとスッキリした気持ちになる。急に声をかけられた北斗は、赤くなりながら口を開けたり閉じたりしている。代わりに亜月が応えた。
「なんで北斗だと思ったんだい?」
「え? だって勇魚がずっと黙ってピアノを弾いてるところは想像が……」
できない、と言おうとして、亜月が笑っていることに気づく。Tシャツの袖を北斗が小さく引っ張っていた。
「弾いてたの、勇魚」
「えっ」
驚きに慌てて勇魚を見ると、彼女は頬をパンパンに膨らませてこちらを睨んでいた。耳が小刻みに揺れている。仰け反らんばかりに大きく息を吸うと、比呂を指さした。
「本っ当にっ! 鈍くて見る目がなくてセンスがなくて紛らわしくて失礼なやつ!」




