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これからのこと

 本日の捜査会議は解散となり、比呂はヤマメに誓った通り、七輪の焼き網をたわしで磨く。もうこの流しの前に立つのも三度目だ。

 亜月の方は昼ほど汚れていなかったのか、早々にガス台周りの掃除を終え、比呂が洗った皿を拭いている。食堂の方では勇魚と北斗が床の掃除を始めたらしく、椅子を上げる音が響いていた。


 ガシガシと金たわしを動かしながら、比呂は考える。


 今日決まったこと。

 一、御用聞きの川瀬氏に情報をもらう。これは川瀬氏がいつ来るのかわからないので、来次第の対応となる。

 二、かぼすカワウソが来たら人気絵師のことを聞く。これも来次第の対応。

 三、山を駆け回って「たぬ山源八」を探し、叔父が最初に妖霊界に落ちた場所を聞く

 以上。


 これはどうしたものか。比呂にできることが何もない。ただ期待して待つしかない。

 源八の件に至っては、はくろの三人に余計な手間をかける以外のなにものでもない。かと言って比呂が単身山を駆けずり回っても、また天音町青年団が出動する騒ぎになるのが関の山だ。


 捜索隊の出動を考えたところで、浜岸のお宿や青年団の人々のことを思い出す。

「そういえば俺、あと少しで捜索隊が出るところでした」

「えっ!?」

 帰り道のオカルト体験の記憶が強すぎてついつい忘れていたが、山を下りてからあったことを話す。浜岸の女将さんにものすごく心配させてしまったこと、青年団が集まっていて山に捜索に入ろうとしていたこと。全てを聞いた亜月はバツの悪そうな顔をした。

「町の皆さんには悪いことをしちゃったなぁ。せめて昨晩、浜岸さんに連絡をいれるべきだった。比呂君も、気が回らなくてごめんよ」

 何故か亜月に頭を下げられ、比呂は恐縮する。全て、周りのことを考えていなかった自分の所為なのだ。

「亜月さんが謝ることなんて何もないです。……あ、それよりも亜月さんて有名人なんですね。『はくろ』の名前を出したら、みんな亜月さんのことを言ってました」

「特別何かをしてるってわけじゃないけどなぁ。まぁ、小さな町だからね。みんな知り合いみたいなものだよ。なんだろう、みんな何を言ってたのかな。私が良い男だって話かな?」

 先ほどと打って変わって明るいノリになる亜月。謝る姿勢から冗談が飛び出すまでの変貌が早過ぎて、自分は何か見逃しただろうかと不安になるほどだった。

「――そうですね」

 目と口を糸のようにして、比呂は答える。実際は、「良い男」というより「世話焼きおばちゃん」みたいな言われ様だったことは黙っていよう。はい、亜月さんは良い男ですから。


 比呂は全ての網と食器を洗いあげ、水切りカゴに置く。

 良いタイミングだ、ずっと考えていたことを亜月に言ってみよう。借りたエプロンで手を拭きながら、亜月の方へと向き直す。

「亜月さん。ここのホテルって一泊いくらですか? その……あまり多くはないんですけど、少しは貯金があるんで、ここで待たせてもらいたいな……なんて思いまして」

 言いながら、段々と音量とともに視線が下がっていく。

 亜月は「何か分かれば連絡をする」と言ってくれていたけれど。自分がここに居ても何の役にも立たないかもしれないけれど。それどころか自分がここに居ることで、亜月に余計な負担をかけることになるかもしれないけれど。

 それでも三人に全てを任せ、東京でのうのうと待つことはできないと思ったのだ。それならばせめて近くで。捜索で役に立てないのなら、他に比呂ができることで役に立ちたい。

 亜月は拭き途中の四角い皿を持ったまま目を瞬く。

「それは……ホテルだから好きなだけ泊まってくれてかまわないけど」

「よかった」

 比呂は無意識に握っていた拳を緩めたが、亜月はまだ何かを言いたそうにしている。自分の顎に指をかけて、何事か考えているようだ。彼の視線がガス台を見て、流しと皿を辿り、比呂に行きつく。何を言われるのだろうかと息を呑みながら待つ。

「お客様もいいけど。比呂君が良ければ、うちで住み込みアルバイトでもするかい?」

「え……」

「業務内容は今日みたいに私たちの仕事の補助。実際ね、畑と客室の力仕事と調理と買い出しとホテルの管理と経理と……って、やる事が多過ぎて困っていたんだ。比呂君が手伝ってくれるならありがたい。ああ、健康的な生活と三度の食事は保証するよ。期間は恩極の件がひと段落するまで。お給金はあまり多くは出せないけれど……」

 ない袖は振れぬとさめざめと泣く亜月に対し、比呂は目を輝かせる。なんと魅力的な提案だろう。客として泊まったとしても、ホテルを手伝いたいと願うつもりだった比呂には、まさに渡りに船である。こんな上手い話があっていいものだろうか。

「お金なんていりません! むしろ俺が宿泊代を払いたいくらいです!」

「それは本当に要らないよ。うちに今必要なのはお金じゃなく、信頼できる労働力だ。勇魚や北斗とも仲良くやってくれる人だったら、更に大歓迎」

 亜月が微笑みながら右手を差し出してきたので、一も二もなくそれに飛びつく。固い固い握手だった。水仕事で冷えていた比呂の手を、急にどうどうと勢いよく巡り出した血流が熱くさせる。

「……比呂君。うまい話にあんまり簡単に飛びついちゃだめだからね……」

「よろしくお願いします! そしてこれは良いんです! ちゃんと人を見て判断しているので! そう両親に教わりました!」

「そ、そっか。しっかりした教育をされているね……」

 比呂の勢いにやや気圧された亜月は苦笑した。

 蛇足ではあるが、「ちゃんと相手を見て判断しろ」という教えは「お金の話はきっちり」の流れで出たものなので、紺野家の教育方針というよりは、両親が「自らに言い聞かせている言葉」のような気もする。二人揃って丸顔呑気者夫婦の過去に、一体何があったのだろうか。できるならそれは一生胸の内に秘めていてもらいたい。


 比呂が亜月の手を握っていると、どしん、と背後から暖かな衝撃があった。首を回してみれば、腰の辺りに北斗がしがみついていた。その向こう、食堂と厨房を繋ぐ出入り口には勇魚が立っていた。北斗が真っ赤にした顔を上げる。

「比呂、本当? 本当にここではたらくの? 明日も明後日もその次の日もいるの?」

「ああ、そうだよ。お世話になります」

 体の向きを直した比呂は、北斗の両脇に手を入れて抱き上げる。北斗の体は見た目から想像していたよりもっと軽く、腕の力だけで支えることができた。流石化け狐、見た目の人間的な重さより、本当の姿であろう子狐の体重に寄るのかもしれない。

 北斗は「やったぁ」と声を上げて比呂の頭に抱き着いた。比呂の視界は塞がれて見えないが、腕に当たる感触でまた尻尾が大回転しているのを感じる。

「まーたお金を払う払わないの話をしてるのかと思ったけど、そういうことね」

 北斗の腕を少しずらして視界を確保すると、近づいてきた勇魚が手をあげて、いかにも「やれやれ」というポーズをとっていた。呆れていますよといった雰囲気を出そうとしているのは解るが、口元がむにむにと緩く動いているところを見ると、彼女も喜んでくれているようだ。

「歓迎してあげても良いわよ」

「よろしくお願いします、先輩」

「ふふん。きびしく指導してあげる!」

「びしばしいくよ!」

 勇魚が笑って胸を張れば、腕の中で北斗が手を突き上げた。気が付けば全員が笑み崩れている。厨房という場所には少し不釣り合いな、でも確かに暖かな空間に立つ。少しでもみんなの役に立って「信頼できる労働力」としてはくろの一員になろうと、比呂はそう心に決めた瞬間だった。

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