捜査会議
三人に口々に出迎えられ、橙色の灯りに包まれると比呂はやっと体の力を抜いた。
「亜月さん……」
「どうしたの」
バイクの鍵を返しながら帰り道のことを話す。最初の方は少し声が震えていたかもしれないが、ご愛敬だ。
実際、舗装道路から外れて林道を百メートル程度走るラストスパートが地獄だったのだ。元々頼りなかったカーブごとの街灯さえなくなり、声が聞こえてくる草むらは近くなる。ホテルの明かりが見えていなければ、耐え切れなかったかもしれない。むしろ声が震えた程度でいることを褒め称えてほしい。
「比呂君がちゃんと言いつけを覚えて守ってくれる子で良かったよ」
「バッタが怖い比呂がよく頑張ったねぇ」
「そんな変質者殴り倒してきなさいよ」
亜月さんに褒められ、北斗に労わられ、勇魚にダメ出しをされる。オカルトも超常的な存在同士だと変質者になるらしい。果たしてその相手は物理攻撃が効くものなのだろうか。いや、それ以前に絶対に対峙したくないので、今回の行動が正しいと言い切れる。古来から逃げるが勝ちとも云う。
「そんなことよりご飯が冷めちゃうわ。早く食べましょ」
比呂のオカルト体験を「そんなこと」と一蹴し、勇魚の先導で一行は月虹に移動する。今夜は食後に作戦会議の予定となっている。
全員が食卓に着いて手を合わせた。今日のご飯はヤマメの塩焼きにきゅうりの酢の物とカボチャの煮物、白ご飯とわかめの味噌汁だった。夕方以降もいろいろあって縮こまった身体がむせび泣く、ほっとする献立だった。
「ぼくと勇魚で採ってきたの」
聞けば比呂が下界に降りて行ったあと、「ヤマメは今が一番おいしいから」と川に獲りに行ってくれたらしい。にこにこと笑いながら教えてくれた。可愛い。
箸を入れればぱりりと皮が破け、白身から柔らかな湯気が上がっている。それをそっと箸で挟んで口に運べば、期待通りの美味しさで塩気も焼き加減もちょうど良い。目を閉じれば、昼間の、残像となりながら魚を焼いていた亜月が思い出される。
比呂はしみじみと咀嚼する。沁みる。ここに来てから食べているものは全て、食べた瞬間から自分の身体を作る一部になっていくことを実感できる。せめてものお礼に、また焼き網をぴかぴかに磨き上げよう。ようやく飲み込んで目を開けば、子供たちはヤマメの頭と尾を持って、背中側からがぶりと噛り付いていた。その食べ方もまた、たいへん美味しそうである。
食後のお茶が並ぶと、亜月が本日の議題を切り出した。
「現状の確認からしよう」
「はい」
周りの三人は授業を受ける生徒がごとく、正しい姿勢で着席し、しっかりとした返答をした。
「まず、比呂君の悟叔父さんは、五年前にはくろに来ていた画家の恩極だった」
「いろいろあって恩極の絵が大人気」
「半年ほど前から叔父は行方不明になった」
「嘘つきかわうそがかぼすを売りに来た時、人気の絵師の新作のことを口にしていた」
わかっていることが四行で終わってしまった。亜月さんはそれをメモ帳に書きとめているが、すぐにその筆は止まる。
「今のところ一番有力な情報は、『人気絵師の新作』よね。今、妖霊界に人気の絵師っていたかしら」
勇魚が首を捻ると遅れて耳も揺れる。その耳を眺めながら、比呂は素朴な疑問を口にした。
「そもそも妖霊界にも画家っているのか?」
「いるわよ。絵を描く人、歌を歌う人、料理をする人」
「はくむかんえもんのすけのマンガを描く人もいるよ!」
「えっ、それはちょっと見てみたい」
妖怪は芸術を解するのかと感心していたが、それ以上に興味深い存在を教えられてしまった。やはり絵巻物とかで綴られているのだろうか。
「北斗、初代様の話はまた今度してあげて。……それで、『人気絵師』に心当たりあるかい?」
亜月が外れかけたレールを華麗に戻す。亜月の視線を受けた北斗と勇魚は目を閉じて唸り始めた。
「亜月さんは何か知らないんですか?」
「いやぁ、これでも一応人間をやらせてもらっているんで。向こうのことはわからないんだよね」
ハッと気づく。この不思議なホテルを総括する存在ではあるが、確かに亜月は人間だった。勇魚の「ずーっと姿が変わらない」発言はあるが、これまで亜月が比呂に見せてくれた姿は全て、人間の範疇のものだ。比呂は慌てて頭を下げた。
「――私、あまり向こうに行ったことないから、流行ってわからないのよねぇ」
「ぼくは、はくむ伝しか読んでないよ」
致命的なまでに情報通がいない。『白霧伝』とは、先ほど言っていた白霧勘右衛門之介の漫画だろうか。
「じゃあこれは、今度川瀬さんが来たら聞いてみよう」
「次はいつ来るかしら」
知らない名前が出てきてしまった。話の流れ的に妖霊界の情報通の方なのだろう。流れを飲み込めないでいると亜月と目が合い、説明してくれた。
「川瀬さんはね、行商人で、たまにうちに来ていろいろ売ったり買ったりしてくれたり、耳打ち情報をくれたりするんだ」
「ごようききって言ってた」
なるほど、情報通の御用聞き。はくろのような不思議なホテルには、そういうクラシックな存在が似合うと思う。
「あとは……そうだなぁ。比呂君がいない間に恩極の『望郷』や今の作品を見たのだけど、彼はどうやら妖霊界の風景を描いているね」
「そうなんですか? でも叔父はわざわざ地方まで写生に行って、着想を得てたみたいですけど」
顎に手をかけて疑問を口にすると、勇魚がちっちっちと舌を鳴らしながら指を揺らし、まるで子供に言い聞かすように説明してくれた。
「比呂。妖霊界っていうのはね、基本的にはこっちと似てるのよ。大地があって、川があって、山があって、かぼすも生えて」
「お日さまとお月さまがケンカして。それに大すぺくたくるな所もあるよ。ぼくあそこ好き」
「でもこちらとは確実に次元が違うのよ。見たことがあるような風景だけど、なんだか違う、違和感がある……って思ったら、比呂は妖霊界に迷い込んじゃってるかもね」
先ほどから、途中途中に挟まる北斗情報が気になり過ぎて、本題が頭に入ってきにくい。お日様とお月様がケンカ? 大スペクタクル? とは如何に。比呂は突っ込みたい気持ちを腹の底でグッと抑える。
「その違和感を、恩極は輝く薄布を一枚被せて見ているような、と受け取ったんだね。随分綺麗に受け取ったものだ」
「な、なるほど」
「そこに来て恩極の最初の作品のタイトル『望郷』だ」
亜月がまっすぐにその長い人差し指を一本立てる。自然と全員が亜月に視線を向けた。
「それで思ったんだけれど、恩極はまた妖霊界に行きたがっていたと、考えられないかい?」
「えっ」
「芸術家として琴線に触れるものがあったから、あの絵は生まれて今の画風になったんだろう? ……わざわざ田舎まで行っていたのは、写生の目的もあるだろうけど――」
「妖霊界への入り口を探していた、とか!」
亜月の言葉を引き取った勇魚が、彼の真似をして人差し指をピンと立てる。わが意を得たりといった、活き活きとした表情をしている。勇魚と目を合わせた亜月は、その人差し指同士をちょんとくっつけて盛り上がっている。
しかし比呂には新たに気になる点が生まれた。
「で、でも叔父だって流石に、自分は妖霊界で妖怪に臓器を抜かれたとわかっていたでしょう? それなのに、また行きたいなんて……」
なんだかそれって一言で分かりやすく言ってしまうと。
「ぼく知ってるよ。それってどえむって言うんでしょ」
大きな音を立てて、比呂と亜月が座っている椅子を斜めにする。よりにもよって、天真爛漫、純粋無垢な北斗がその言葉を口にしてしまうとは。
「ほ……北斗。どこでそんな言葉を覚えてきたんだい?」
「はくむ伝に出てきたよ」
ひくり、と亜月の頬が引き攣るのも仕方がなかろう。最近のYAジャンルは過激と聞いたことがあるが、まさか妖霊界にまでそんな波が来ているとは。比呂は北斗の肩を力なく叩いた。
「あ、あとで貸してくれな……」
「うん! おもしろいから比呂も読んで!」
北斗はぱたぱたと尻尾を揺らす。テーブルの向こうでは、勇魚が「どえむって?」と亜月の袖を引っ張っているのが見える。
亜月さん、あなたを救う術を持たない無力な俺を許してください。比呂は心の中で合掌をしておいた。南無。
お茶を淹れなおした亜月が着席し、いろいろあって混乱した場は改まる。
「こほん。話が幾分逸れてしまったね、戻そうか」
亜月は再びボールペンを握り、メモ帳を引き寄せる。そこには「わかっていること」の四行と、「推測されること」として「恩極が妖霊界に行きたがっていた可能性」が綴られていた。その脇に「ど」の文字が斜めに書かれているが、見なかったことにしよう。
「とにかくわかっていることが少なすぎる。だから推測から攻めるのも私は良いと思う」
「はい。推測を一つずつ潰していくのも、方法として正しいと思います」
「ぼくらはそうさ本部だね!」
「あなたが喋ると話が脱線するのよ。今は口を閉じていなさい」
勇魚に指摘された北斗は頬を膨らませ、つまらなさそうに椅子の背に深くもたれた。
すまん、北斗。今新たな北斗情報が飛び出すと、俺はまた心を乱されてしまいそうなんだ。哀愁漂う彼の姿を視界の端に捉えながら、比呂は心の中で謝罪した。
「――で。私たちが調べられる範囲でできることの手始めに、恩極が初めて妖霊界に落ちた場所を探すのはどうだろう。」
「初めて落ちた場所。分かるんですか?」
「恩極を連れ帰ったのは私だよ」
「是非連れて行ってください! 叔父だって最初にそこを思い出すと思います!」
勢い込んで立ち上がると椅子が大きく傾ぎ音を立てたが、許していただきたい。ただの推測だろうと、これまでの何の手掛かりもない、それこそ雲を掴むような状況より、数百倍有力で期待が持てる。勇魚と北斗が驚いて耳をぴんと上向かせていた。
「わかったわかった、連れて行くよ」
「よろしくお願いします」
荒ぶった動物を宥めるように、亜月が両手をあげて落ち着くよう指示してくる。比呂は我に返って恥ずかしくなり、静かに座ってお茶を飲んだ。それを見た三人も同じように一服する。
ことん、と湯飲みを置いた亜月が真剣な顔をする。
「ただしね。正確な入り口の場所は私もわからないんだ。二人はわかるかい?」
無言で頭を横に振る勇魚と北斗。「だよね」と亜月が肩を落とす。そして気が向かないという表情をしながら、ようよう口を開いた。
「そうなると……やはり源八の力を借りないといけないね」
亜月の言葉を聞いた勇魚と北斗が、揃って不満の声を上げる。話し合いも終盤になり、突如名が飛び出した人物、源八とは。比呂は首を捻る。
「妖霊界の情報通の方ですか?」
言い難そうに亜月は視線を左右に揺らす。意を決したのか、一つ溜め息を吐いて比呂をまっすぐ見つめた。
「妖霊界というより、この山の、情報通かな。たぬ山源八――質の悪い狸だよ」




