過ぎし主、今の主、御側にありて 5
翌日、フィオリア様が離宮を訪れた。
中庭の東屋にて、ラディウス様と向かい合ってお茶を楽しんでおられ、私はその輪に加わらせていただいていた。
「フィオリア、来月、他国の賓客を迎えてアレクが正式に皇太子として即位することになったよ。」
「そうみたいだね。」
「それに伴い、他国の賓客への対応を任されていてね……君にも手伝ってほしいんだ。」
「任せて。どんなクズ野郎が来ても、ラディウスの品格に泥を塗るような真似はしないよ。」
(……クズ野郎、ですか)
思わず喉が鳴りそうになったけれど、ぐっとこらえる。
「ふふ。リアンもよろしくね。」
突然ふられた一言に、情けないほど裏返った声が出てしまった。
「っ、かしこまりました……」
ラディウス様とフィオリア様は、その私の反応を見て、微笑ましげに目を細められる。
――そして、話題は昨日の出来事へと移った。
ラディウス様は静かに、アレクサンドル様とのすれ違い、その空気を変えた一言のことを話し始められる。
「それでね、アレクが帰ろうとしたとき、リアンの顔が少し……拗ねた子どもみたいで、可愛かったんだ。」
「ふふ、それアレクのほうじゃなくて?」
フィオリア様がくすくすと笑い、口元を手で隠される。が、隠しきれない笑みがにじんでいた。
「ほんっと、君たち可愛いよねぇ。気にしているくせに素直じゃないなんて、……思春期?」
(っ……!)
みるみるうちに顔が熱を帯びていくのがわかる。今すぐ聞こえないふりをして、逃げ出したくなった。
「仲裁役のラディウスも大変だね。」
「そんなことはないよ。見ているだけで、心が和む。」
(どうか、これ以上は……っ)
そっと身を縮めた、その瞬間だった。ふとフィオリア様と目が合う。しまった、と思ったときにはもう遅い。フィオリア様はまるで悪戯を仕掛ける前の子どものような笑みを浮かべ、言った。
「そうだ、リアン。お茶のおかわりを持ってきてくれない?」
(……逃げ場、奪われた)
私は軽く頭を下げ、静かにその場を離れた。
離宮内のサービングルームで新しい紅茶を淹れる。ついでに厨房に寄って、できたての菓子も載せて、私は銀盆を手に東屋へと戻ってきた。陽射しが和らいだ午後の庭では、緑の匂いと茶葉の香りがやさしく混ざり合っている。
けれど、東屋の中へ視線を向けた途端、胸の奥がひゅっと締めつけられた。
……そこには、アレクサンドル様が。私が先ほどまで座っていた席に、当然のように腰掛けておられた。そして、その手には――私が飲みかけていたカップ。
(……あれは、私の……)
思わず立ち止まりそうになった足を無理やり進める。目の前に広がる光景を、平然とした顔でやり過ごさなくてはならないのだと、自分に言い聞かせながら。
「お待たせいたしました。新しいお茶をお持ちいたしました。」
そう告げる声が、少しだけ掠れていたのは、気づかれなかっただろうか。
アレクサンドル様は、私に気づいた様子もなく、まるでそれが当然のように一口、二口とお茶を飲んでいた。隣に座るフィオリア様は、品のある微笑を浮かべながらも、その目にどこか含みを湛えている。ラディウス様もまた、何も言わず、ただ静かに一連のやりとりを見守っておられた。
(……何も、気にしていないように見えるけれど。気づいていない、のか?)
確かめる術はない。私は内心のざわめきを抑え込みながら、静かにティーポットをテーブルに置き、新しい紅茶を淹れ始めた。湯気が立ちのぼり、ティーポットの中で茶葉がふわりと広がっていく様子に目を落としながら、私はひとつ、深く呼吸をする。
――落ち着け。何でもない。ただの一杯の紅茶。深く呼吸をする。
けれど、胸の奥が熱を持ったようにざわついているのは、どうしてなのだろう。新たに淹れた紅茶と出来立てのお菓子を、それぞれのティーカップとともに三人の前に並べ置き、アレクサンドル様が使っていたカップをそっと持ち上げる。
陶器のぬくもりが、指先にじんと染みた。それをサービングカートの中段へ音を立てぬように戻し、私は何もなかったかのようにラディウス様の傍らに控える。
「リアン、空いている席に座りなよ。」
意地の悪くも優雅な笑みを浮かべながら、フィオリア様が促す。ラディウス様の方を伺うと、静かに頷かれた。
「いいよね?アレク。こんなことで気にするちっちゃい男じゃないもんね?」
「――ああ。此処は兄上の離宮。兄上が許すのであれば、言葉に甘えればいい。」
どこか不機嫌そうに返しながらも、アレクサンドル様は拒むことなく、すでにリアンの席を占めたままだ。私は控えめに礼をし、空いている椅子を引いてそっと腰を下ろした。
「おや、そうするとリアンの分のお茶も用意しないとね。」
ティーカップを手にしたラディウス様が、わざとらしく目を細める。私はすぐさま微笑を作り、頭を下げた。
「いえ、私は大丈夫です。皆様の楽しんでいる姿を見させていただくだけで十分です。」
私は皆のカップに目をやりながら、自分の手元に何もないことを確認する。少し、唇が渇く。けれど、誰にも気づかれぬようにそっと唇を閉じた。
(……別に、いい。自分で淹れて、自分で片付けただけ)
ただ、ほんの少しだけ――
アレクサンドル様が「これ、君のだったのか?」と気づいて返してくださるとか、あるいは「新しいのを一緒に」と、何か言ってくださるとか……そんな風に、声をかけてくださればよかったのに。
(……って、私は何を期待しているんだ。)
思考に自嘲の笑みを浮かべかけたとき。斜め前で紅茶を飲んでいたフィオリア様と、ラディウス様の視線にふと気づく。二人は、私の方をちらと見て、目線を交わし……そして、にこりと、意味ありげに微笑まれた。
(……っ!)
心を読まれたようで、私は目を逸らした。




