過ぎし主、今の主、御側にありて 9
晩餐の席には、王族と各国から招かれた賓客だけが並ぶ。
煌めくシャンデリアの下、長卓を挟んで交わされる会話は、表向きは和やかでありながら、どこか探るような視線が飛び交う。
話題はやがて、アレクサンドル様の婚約についてに移った。
「アレクサンドル様は婚約者を選ばれないのですか?」
イーリス公太子のその落ち着いた言葉に、興味の視線が集まる。
「今の頃その予定はありませんね。」
「気になるお相手もいないのですか?」
「…そうですね。」
アレクサンドル様がそう言った後に視線が合った気がした。
その流れのまま、イーリス公太子はレガトニア王へと向き直った。
「陛下は、伴侶を迎えるご予定は?」
ワインの縁に口を寄せていたレガトニア王が、静かにグラスを置く。
「……そうだな。良いお相手が見つかれば、その方と腰を据えるつもりだ。」
そう言って、わずかに…本当にわずかに、ラディウス様を見た。短い視線の交わりは、私の立ち位置からでもはっきりと分かる。
ラディウス様は、穏やかな笑みを崩さず何も答えない。けれど、その沈黙がかえって意味深に感じられ、私の胸の奥で小さなざわめきが広がった。
レガトニア王は、満足げにワインを口にし、さらに話題を繋ぐ。
「イーリス公太子の伴侶はオメガだそうですね。」
レガトニア王の問いに、イーリス公太子の目がわずかに警戒を帯びる。
「はい。現在は身重で、こちらには連れて来られなかったのが残念です。」
「ほう、身ごもっていたのか。それはめでたいことだ。」
レガトニア王はそう言って、わずかに目を細めた。
「……オメガが安心して子を宿せる環境というのは、実に尊い。そう思わぬか、ラディウス殿下?」
不意に名を呼ばれ、ラディウス様は一瞬まばたきをした後、穏やかな笑みを浮かべる。
「ええ。私もそう考えます。安心と信頼なくして、命は育まれませんから。」
「まったく同感だ。」
レガトニア王は満足げに頷き、意味を含ませたような視線をそっと向ける。
――その時。
我が国の王が穏やかな笑みとともに口を開き、話題をさらりと変えた。
「即位式後に行われる閲兵式では、レガトニアの近衛部隊も参加していただけると伺っています。新しい編成をお披露目されるとか。」
「おお、耳が早いな。」
レガトニア王はワインを揺らし、今度は軍事の話題へと乗っていく。
我が国の王とレガトニア王、イーリス公太子、アレクサンドル様が意見を交わされる中、ラディウス様はほっと胸を撫で下ろし、耳を傾けながら静かに相槌を打たれる。
やがてレガトニア王は、グラスを指先で軽く回しつつ、ふとラディウス様へと視線を送った。
「ラディウス殿下、閲兵式でもお姿をお見せになるのですよね。」
「ええ。即位式の翌日ということもあり、多くの方々が注目される場になるでしょう。」
その答えを受け、レガトニア王はゆっくりと口元を緩める。
まるで談笑の延長のような柔らかさで、しかし確かな意図を感じさせる声色で続けた。
「――ぜひ、その時は近くでお話ししたいものですな。」
その声音は柔らかい。けれど、次の瞬間に見えたレガトニア王の眼差しは、まるで――見つけた獲物を逃すまいと言わんばかりだった。
深い色の瞳がラディウス様の姿を捉え、離そうとしない。
(……やっぱり……)
胸がきゅっと縮み、呼吸がわずかに詰まる。あの視線には、王族同士の社交に必要な興味以上のものが宿っていた。
「その時は是非に。」
ラディウス様が笑みを崩さず受け流しているのが救いだが、それすらも――狙う側からすれば魅力の一部に映ってしまうのかもしれない。ワインの縁に口を寄せるラディウス様。その横顔が、今は妙に儚く見えてしまう。
どうしても胸の奥のざわめきは収まらず、私はただ、席の片隅から二人のやりとりを見守ることしかできなかった。
晩餐会を終え、離宮に戻ろうとしたその時、アレクサンドル様がラディウス様に歩み寄られた。
「兄上、少し宜しいでしょうか?」
「構わないよ。」
自然なやりとりのようでいて、その声にはわずかな硬さが混じっていた。
私も付き従い、三人で廊下を進む。
――だが、その背後から、はっきりとした視線を感じた。振り返らずとも分かる。レガトニア王だ。まるで別れ際までその存在を刻みつけようとするかのように、視線は熱を帯び、背中に絡みついてくる。
(……早く、離れなければ……)
一歩一歩が妙に長く感じられ、廊下を抜けるまでの時間がやけに息苦しい。ラディウス様は表情を変えず歩き続けておられるが、その横顔に漂う静けさが、余計に私の胸をざわつかせた。
廊下を抜け、離宮の敷地内に足を踏み入れた途端、お二人はほぼ同時に長く息を吐かれた。
「……ふぅ。」
「……やっと終わったな。」
肩の力が抜けたその瞬間、晩餐会場の重たい空気と、背後から注がれ続けた視線の熱がようやく遠のいていく。私もまた胸の奥で張りつめていた糸が切れ、安堵と同時に、遅れて鼓動の速さを意識した。
ラディウス様のお部屋に戻り、私は二人分のお茶を用意して卓上にそっと置いた。湯気の立つ香りが、晩餐会の名残を少しずつ和らげていく。
カップを手に取ったアレクサンドル様が、じっとラディウス様を見つめた。
「兄上……なぜレガトニア国王に目をつけられているのです? やはり、兄上がオメガだからですか?」
ラディウス様は静かに首を振り、困ったように息を吐く。
「私にもわからない。だからこそ困っているんだ。お出迎えのあと、あの王は使者に命じて、立派な花束を届けさせてきたし……」
ラディウス様が軽く顎を動かして示した方へ、アレクサンドル様が視線を向ける。そこには花瓶に生けられていた大きな花束が、離宮の静かな空気には不釣り合いなほど華やかで、強い香りがわずかに漂っている。
「……これを、あの王が?」
「そうだよ。……どう扱えばいいものか、まだ決めかねているところだよ。」
「離宮の警備は増やしておきます。レガトニア王が滞在中は、どうか警戒を怠らないでください。」
「わかった。……すまないね。」
「いいえ。父上も、兄上が狙われていると察して話題を逸らしていましたが、それでもあの王は執拗に兄上へ話を振っていた。――兄上を守った方がいいと判断したまでです。」
「ふふ……ありがとう、アレク。」
その笑みは、晩餐会の緊張をようやくほどいたものだった。
いつもの柔らかな表情を取り戻したラディウス様に、そっと胸を撫で下ろす。
私は花瓶に生けられた花束に目をやり――そして、息をのみそうになる。
あまりにも見事で、まるでラディウス様のために咲き誇っているかのようで、その美しさがかえって胸をざわつかせた。贈り物に込められたであろう意図が、私の胸の奥で重く沈み、消えぬ棘のように引っかかっている。そして、晩餐会の席でレガトニア王がラディウス様に向けた、獲物を逃さぬと言いたげな視線と、意味深な笑みが脳裏に蘇る。
その記憶が、甘い香りとともに胸の奥でじわりと不安を広げていった。
「そうだ、アレク。リアンに素敵なチョーカーを贈ってくれてありがとう。」
「……いいえ。」
アレクサンドル様はわずかに声を落とし、真剣な眼差しを向ける。
「来賓が滞在中は、多くのアルファが離宮以外の王宮内を行き交います。兄上も、リアンも――そのチョーカーをしっかり身に付けてください。」
その声音に込められたものが、単なる注意ではなく、確かな警戒心と守る意志であることが伝わってくる。
「そうだね。心配してくれてありがとう。」
ラディウス様は柔らかな笑みを浮かべながらも、その瞳の奥に微かな緊張を残していた。
「では、私はこれで失礼致します。」
「うん、ありがとう。気をつけて戻って。」
「はい、兄上。」
アレクサンドル様は私に視線を向け、ふっと柔らかく笑みを浮かべられた。その温かさに、一瞬胸がきゅっとなる。けれど、どうして今この場で微笑まれたのか――その理由までは分からない。
戸惑いを悟られぬよう小さく会釈をし、背を見送った。




