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魔術師の宴  作者: 由城 要
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第16話 嘘は己を苦しめる


 罪の意識は殆どなかった。隠し通せる自信もあった。きっと数日はヒヤヒヤするけれど、次の課題が出ればきっと忘れていく。これくらいの嘘、魔術師ならきっと誰もがつくんだ。

 罪悪感のかけらもなかった僕の目を覚ましたのは、フレイの一言だった。





   - 嘘は己を苦しめる -





「ほう……思っていたよりも多かったようだ」


 ファーレン様は集まった青い花を見つめてそう呟いた。同時に僕はほっとする。

 この課題は殆どの子がクリアしたようだった。もし自分だけ出来なかったことが露見したら、とも思ったが、誰1人僕の持ってきた花に疑問を持つ者はいない。

 ファーレン様は目を細めると、僕に視線を向けた。


「特に……ユーイのものがよく出来ている。綺麗な青だ」

「えっ、あ……あ、ありがとう、ございます……」


 急に名前を呼ばれ、立ち上がる。僕は背筋に冷たい物が通っていくような感覚を覚えた。確かに、持ってきた花は綺麗な青色をしていた。夕方から夜に変わる空の色に似ていて、芯に近づくほどに薄くグラデーションしている。

 他の子達が持ってきたものは、僅かに赤が入って紫に近い色になっていた。ちょっと出来すぎだろうか。ファーレン様が繁々と花を見つめている。心臓が壊れた様に鈍い音を響かせた。


「あー!またフレイが何か持ってきてる!」


 突然そう声をあげたのは、多分アイルークだったと思う。その声で皆の視線が、子供達の輪の後ろにいたフレイに向けられた。ファーレン様も然り。

 フレイはこの時既に落ちこぼれ組にいた。置いていかれた者にも関わらず、ファーレン様の魔術の手ほどきを受けている時は必ず後ろにいて、求められていないのに課題をこなしてくる。勿論、出来はその課題によりけりだ。

 けれどこの日、フレイが勝手に持ってきたその花は、僕のものに引けを取らない美しい青色をしていた。

 ファーレン様が訝しげな目をして花を受け取る。じっと花を見つめると、深いため息をついた。


「……お前は本当に、植物に関するものは長けているな」


 珍しく、ファーレン様の口からフレイに対してお褒めの言葉が出た。辺りの子供達がざわつき始める。

 アイルークはフレイの持ってきた花を見つめ、そして眉を顰めた。


「これ本当にフレイがやったのか?」


 ギクリとした。アイルークを含め、他の子達も疑わしげな視線をフレイに向けている。どうしよう、もしこっちに飛び火したら……そんなことを考えた瞬間、僕の脳裏にエメリナ様の姿が浮かんだ。

 僕は悪魔の囁きを口にする。


「ぼく……僕、この間、エメリナ様が青い花を育てているの、見たぞ!」


 僕の一言はすぐに周囲の感情を突き動かした。自分の家で育てている花を持ってきたのではないか、と誰もが口にし始める。それなら、フレイの出来すぎた花にも説明がつく。

 流れ弾に当たるのはご免だ。僕は疑いの目を向けられるフレイを見て、周りの子たちに同調した。


「きっと、それを持ってきたんだ!ずるい奴!フレイは嘘つき……っ!?」


 その刹那、僕の体は後ろに転がっていた。フレイに掴み掛かられて、押し倒されたんだと気付くまでかなり時間がかかった。

 フレイは僕の襟首を掴んだまま、馬乗りになって叫ぶ。


「そんなことっ……出来るわけないだろっ!!」


 歯を食いしばって襟首を締め上げようとしてくるフレイを、後ろにいたアイルークが慌てて羽交い締めにする。

 普段からこれくらいの野次には慣れているはずだった。いつもなら何も言わず耐えていることが多いのに、今日は何故こんなに食ってかかるのか。

 引き剥がされたフレイは僕を見下ろして、睨みつける。


「あれは……あの花は、親父が残した種……。オフクロの最後の形見なんだ!」


 1つの種から1つの蕾みしかつけることがないという、この辺りでは殆ど咲かない花。

 墓場で何かを話すエメリナ様の顔が浮かんで、僕は血の気が引いた。自分の愚かさに頭がクラクラしてくる。

 フレイはアイルークに押さえつけられながら、もう一度叫んだ。


「そんなこと、出来るわけないだろ……っ!!」









 気付けば夜だった。僕はフラフラと辺りを彷徨い、エメリナ様の家の前に来ていた。もうフレイは寝ているのか、あいつの部屋の灯りは消えている。エメリナ様も寝ているのだろうか。

 こんな時間に出歩いていることが分かれば、母に何を言われるか分からない。けれど、自然と足が向いたのはここだった。

 庭を区切る柵から、中を覗き込む。やはり、青い花が咲いていた場所に同じ物は存在していなかった。僕は柵を掴んだまま、嗚咽を漏らす。


「ううっ……くっ」


 なんてことをしたんだろう。知らなかったとはいえ、フォルカー様の形見だったなんて。

 結局あの後、僕は本当のことが言えなかった。


「うっ、ひっく……ごめん、なさい……」


 ごめんなさい。

 謝って済むことじゃないのは分かっている。それでも、堪えられない。


「ごめんなざいっ……ごめんなさ……」

「……どうして謝っているのかしら?」


 ユーイ、と声をかけられ、僕は顔をあげる。すると、柵の向こう側にエメリナ様の姿があった。僕の姿を見つけて外に出てきたらしい。薄手の部屋着の上にショールを羽織っていた。

 長い髪を耳にかけ、エメリナ様は膝を折って僕と視線の高さを同じにする。その姿を見た瞬間、涙がこぼれて地面に落ちた。僕は柵に手をついて言う。喋る度に鼻の奥がツンとした。


「エメリナ様……ぼく、ぼく、大事なっ、フォルカー様の……形見を」


 献花として供えられたそれを抜き取り、自分のものと偽ってファーレン様に渡した。あれは本当は、フォルカー様へ宛てたものだったのに。

 エメリナ様は無言だった。誰に対しても優しいエメリナ様が、言葉を忘れて立ち尽くしていた。僕はその顔を見ていられなくなって、視線を落とす。

 長い長い沈黙だった。静寂が僕の体を貫いて、胃の辺りをグイグイと鷲掴みにされているような感覚だった。僕の手は柵からずるずると滑り落ちて、僕の体もまた両の足では立っていられなくなった。もはやひれ伏すような格好になって、僕は最後のごめんなさいを呟いた。声にすらならない震えが、夜の寒い空気の中で白く染まる。

 先に口を開いたのはエメリナ様だった。


「そう。……ユーイ」

「……はい」

「貴方はしてはいけないことをしてしまったわ。分かるでしょう?」

「……は、い」


 僕は立ち上がった。どんな罰でも受けなければいけない。エメリナ様はふと家の軒先に足を向け、そして柵の前に戻ってきた。

 柵の格子の間から、エメリナ様の右手が伸びてくる。


「……このことは不問にします」

「えっ……?」


 そんな、と僕の唇は震えた。その時僕は初めて、顔を見上げてエメリナ様を見た。その表情はいつもの柔和な表情を取り繕っているようで、僅かに唇を噛んでいるのが分かる。

 エメリナ様は左手も差し出すと、僕の手を取り、右手に持っていたものを握らせた。僕は呆然として手の中にある小さな麻の袋を見る。


「でも……ファーレン様に虚偽の報告をした罪は重いわ。これを使って、あの花以上の術を完成させなさい」

「……エメリナ、さまっ!」


 食いしばっても涙は勝手に流れてきた。

 ファーレン様に突き出された方がまだ良かった。いや、きっとこれは、この罪悪感こそが贖罪だということなのだろう。麻袋の中にある沢山の花の種を見つめていると、雨のように涙が袋を濡らした。

 エメリナ様は深く息を吸い、そして吐き出す。


「ユーイ。……出来ないことを出来ると偽るのは簡単よ。それでも、自分の為についた嘘はいつか必ず自分の首を絞めるわ」

「……っ、……」

「貴方は嘘の罪の重さを知ったわ。……なら、きっと立派な『大人』になることが出来る」


 魔術師ではなく大人として。エメリナ様が選んだ言葉には、里の子供達に対する計り知れない思いがあることを感じた。どうして気付かなかったんだろう。どうして、彼女を理解しなかったんだろう。この人はこの里で、きっと誰よりも子供達のことを愛しているのに。

 僕は出なくなった言葉の代わりに何度も頷き、涙を袖で拭う。

 涙で声が出ない。それでも僕はエメリナ様を見上げて、嗄れた声をあげた。


「ぼく、僕は……いつか、何処かに仕える魔術師になったらっ!『大人』になったら……エメリナ様、貴女にあの花の種を贈ります!ぜったい、絶対にっ」


 例え見つからなかったとしても、探し出して、貴女に贈ります。里を愛し、里の子供達を愛する貴女の為に。

 これは、僕の償いだ。


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