第15話 少年の贖罪
エメリナ様の庭に一輪の花が咲いていた。小さな鉢の中に一輪だけ、丸まった青いつぼみ。僕にとって、さほど興味もない、気にも留めない風景だった。……そのはずだった。
まだ10歳にも満たないあの日の夏。僕はエメリナ様を裏切った。
- 少年の贖罪 -
アンブロシアの子供達は昔、ファーレン様から直々に魔術の手ほどきを受けていた。与えられた課題をこなし、魔術師としての実力をあげていく。ファーレン様の教えは厳しかった。それでいて学ぶスピードが早く、ついてこれない者達は徐々に脱落していく。脱落していった子供達は落ちこぼれと呼ばれた。
「さて。今日はもう遅い。明日までにこの魔法を各自完成させることだ」
そう言ったファーレン様の皺だらけの手には、一輪の青い花が握られていた。座っていた子供達に1人3つ、花の種を渡していく。
この日の課題は、物質変化の魔術。花の種を成長させ、青い花を咲かせること。簡単に見えて繊細な課題だった。
「出来たっ!」
ファーレン様が屋敷へ引き上げようと腰をあげた時、もう聞き慣れたアイルークの声が響いた。周囲の子供達がざわめき始める。野次馬の様に集まった仲間達をかき分けてアイルークに近づいていくと、得意げな顔で青い花を握っている姿が見えた。
また、だ。
流石だ、アイルークには敵わないわ、と子供達がそれぞれ呟いている。ファーレン様は重い体でゆっくりとアイルークに近づいていくと、完成させた青い花を見て目を細めた。そして空いた手で頭を撫でる。
「よく出来たな、アイルーク」
「もちろんだよ!こんなの簡単さ!」
簡単、の一言が僕の心にグサリと突き刺さる。
変化の魔術は一番苦手だった。いつもアイルークに負ける。……そもそも、苦手な分野がある時点でアイルークと競争すること自体が間違っていたのかもしれないが。
子供達のグループの中でアイルークはいつも一番。いや、一番というより、彼は別格だった。僕らより頭1つ、いや2つ抜きん出ている。
僕はその中でいつも3番手だった。3番に甘んじていたわけではない。かろうじて、と言った方が正確だった。
ふと、アイルークは子供達の輪の中にいた僕に気付く。
「ユーイ!ユーイは出来た?」
大きな声で名前を呼ばれ、子供達はおろかファーレン様まで僕を見る。僕は咄嗟に後ろに持っていたものを隠した。どうしてアイルークは僕が種を受け取ってすぐ魔法を試したことを知っているんだろう。
まだやってない、と嘘をつこうとした。しかし後ろの子供が、魔術に失敗した僕の花を取り上げる。
「あっ、ユーイの奴、白い花咲かせてるー!」
「術、間違ったんだー!おっちょこちょいなやつ~」
何故か僕の失敗は笑いが起きる。子供達はどっと笑い、アイルークもまた腹を抱えて笑っていた。
僕はその場に合わせて苦笑する。
「え、えっと……そうなんだ。失敗、失敗」
「白い花なんか咲かせてどうするんだよ~!あ、女の子にあげるとか?」
アイルークの言葉に周囲はまた笑い、友人達が茶化して口笛を吹く。他愛もない弄り。僕はいつもヒヤヒヤしていた。これがもし、落ちこぼれ組の誰かのやったことなら、こんなものでは済まない。冷ややかな視線と共に、子供とは思えない冷酷な言葉が飛び交うのだから。
まだ笑ってもらえるからいい。僕は横目でチラ、と人垣の外にポツリポツリといる子供達を見る。彼らの視線はどんよりとして暗く、ジメジメした目をしている。そしてその視線に晒されるのはいつも痛かった。
「あ、明日までには……完成させるよ」
僕はそう言ってその場を離れた。残る種は2つ。2回失敗すれば終わりだ。
失敗してしまえば、僕は3番手から下ろされる。3から下は無法地帯だ。ドングリの背比べに落とされたら、すぐ下に脱落者のレッテルが待っている。
僕は落ちこぼれ組のあの陰鬱とした目を思い出し、ゾッとした。
☆
僕の予感は的中した。種を二つ使っても、青い色の花は咲かなかった。1つは白、そしてもう1つは朱の強い赤紫。僕の心は朝から地獄の底だった。
いや、まだ分からない。僕は自分にそう言い聞かせる。周りの子供達の花がどうなっているか。それだけが頼りだ。どんぐりの背比べになれば、僕の短所もその中に埋没するだろう。
でも、もし、皆成功していたら……。青い花の中で揺れる赤紫の花を連想して、僕は地面に立っている感覚さえ忘れかけた。
その時。
「……あら。おはよう、ユーイ」
後ろから急に声をかけられて、僕は飛び上がった。慌てて花を持っていた鞄に押し込む。振り返った先にいたのは、片手に花束を持ったエメリナ様だった。
「何か用かしら?」
「えっ……あ!」
どうやら僕はフレイの……エメリナ様の家の前に立ち尽くしていたらしい。僕は首をブンブン横に振ってみせた。エメリナ様は少し不思議そうな顔をして、そして微笑む。
「私の勘違いだったのね。ごめんなさい」
「いえ……」
エメリナ様は目が見えない。その分魔力で視力を補っているのだと、誰かがそう言っていた。
僕はじっと彼女を見つめる。ふと、視線がエメリナ様の腕にとまった。
「あのう……もしかして、これからお墓参りですか?」
エメリナ様は花束を持っていた。どうやら自宅の庭で育てた花らしい。見覚えのある花がいくつか包まれていた。
「ええ。毎月花を持っていくことにしているの。あの人は花が好きだったから」
あの人とはフォルカー様のことだ。エメリナ様が草花が好きなのは知っていたが、フォルカー様もそうだとは知らなかった。
僕は花束を覗き込む。僅かに草花特有の香りが鼻に届いた。そしてふと、凍り付く。
花束の中央に、鮮やかな青い花が一輪。それは僕が今まで見たことがないほど美しく、凛としていて……頭の中に黒い誘惑を思い起こさせるには十分なものだった。
「そ、そうなんですか!じゃあ、僕はこれで……」
「ええ。またね、ユーイ」
手を振って去っていくエメリナ様を見送りながら、僕の心はどす黒い色に染まっていた。
少しくらいなら、バレないだろう。あんなに沢山ある花の一輪くらい、抜き取っても気付かれないはずだ。
僕はエメリナ様の後を追って里の外れにある墓地へと向かった。この場所はいつも人気がなく、朽ちた墓がいくつも点在している。
御霊は精霊に引き渡すものという考えが魔術師の常識で、墓参りなんていう習慣はこの里にはない。それでも熱心に墓に通うエメリナ様は、僕らからすれば異様だった。
「……」
エメリナ様の視力を補う魔術は広範囲に渡る。僕は遠くから気付かれない様に彼女の墓参りを見つめていた。
墓に何かを話しかけ、簡単に墓を掃除して、花を供える。
顔を覗かせた青い花。どうせ烏が弄って散らしてしまうんだ。だから、僕が使ってやった方がいいんだ。その方が花だって本望だろう。見る人すらいないこの場所で朽ちてしまうより、ずっと。
エメリナ様が立ち上がり、墓に向かって何かを話しかける。その横顔は、まるでそこにフォルカー様がいるかのように柔和な眼差しをしていた。
「……」
エメリナ様が去った後、僕は墓に駆け寄った。大丈夫、誰も見ていない。辺りを見回して、そしてスッと青い花を抜き取る。
物質変化における青い花の魔法は、その花の特徴も変化してしまうことがある。だから、渡された種と花の形状が変わっていても問題はない。
これで……これで、大丈夫だ。
僕はこの日、大きな過ちを犯した。




