スッラとの対談
独裁官スッラの前に連れて来られたカエサル
弁舌も人を見る目にもすぐれたスッラの問いに言葉の選択を間違えることは、死につながることを感じた
カエサルは何をかんがえ、何をこたえるのか。
痩身の若者は、上半身裸で自分の部屋の中で、目を閉じて悩んでいた。
閉じていた目をあけて、好奇心が旺盛な茶色い目は、自分の部屋のなかに何かヒントになるようなものはないか探す。
その目に留まるのは、いくつも準備された白い楕円形の毛織物。いくつかは先に染色を施され、いくつかはその一部に飾りが付けられていた。
父が亡くなってすぐ、16歳で家長を受け継いでから、トーガを身にまとう機会が増えた。
トーガは、白い大きな楕円形の毛織物を、シャツ状の「トゥニカ」の上からゆったりとまとい、右手が自由に動かせるように左肩にかけているものである。
そして、そのトーガをまとうことで、重みのある雰囲気を出せることから、ローマの大人の男たちが正式な場できる服として扱われていた。
若者は、昔からの伝統であるとはいえ、ただ年配の人たちと同じように着るのはおもしろくないしそもそもかっこよくない。
人からどのように見られるか。
これは軽んじられているが、大切なことだとカエサルは思っていた。
人の目を気にすることは、軽薄なことだとする風潮の強いローマだったため、裏で馬鹿にされていることも知っていた。それでも、人にどう見られるかを意識したいと思っていた。見た目にこだわるのも私の流儀だ。
だからこそ身体も鍛える。自分の裸を見せるときにだらしない身体でいたくなかったからだ。
だから自分がトーガをきるようになってから、余る部分のひだの付け方を工夫したり、ブローチをつけてみたり、大人の、今風のたしなみを加えようと少し色を付けてみたりと、おしゃれに見えるように工夫をしてきた。
それによってローマの街にいる仲間たちには、トーガにもこだわる「今までにない新鮮さ、かっこいい」というファッションリーダーというイメージを持たれていた。
若者の名前は、ガイウス・ユリウス・カエサル。
そんな、「おしゃれ」を地で行く若者が、今のローマの最大の権力者である独裁官スッラに呼び出された。独裁官スッラは多くの人々にとって、恐怖を感じる最高指導者を表していた。そして、民衆派であったおじのマリウスと敵対していたことでも知られている。マリウスの血縁であることから、カエサルの立場としてはいつ目を付けられてもおかしくない恐怖の権力者だった。
そのスッラに対してのカエサルの反応は、さて、どんな服装でいくべきか、であった。
他の人から見てどうでもいいことかもしれないが、ファッションリーダーと自負し、かつローマの若者たちにもその存在を知られているこのユリウス・カエサルが、絶対的な権力者である独裁官だといって、年配の人たちと同様に服装でいっていいのだろうか。
おじさんには理解できないかもしれないが、ちょっと違うな、と思わせる何かが欲しい、と思った。
そのこだわりこそカエサルの流儀だ、と思った。
カエサルの流儀、自分でそうよんでいたところが若者の愉快なところだったが彼自身で3つを決めていた。
一つ、大胆不敵であること
二つ、細かなことにもこだわること
三つ、人にはやさしくすること
一つ目はいつも実践していた。カエサルが好奇心が旺盛だったことと、ローマの下町が雑多の人種が集まっていたこと、そしてカエサルの家が庶民の家に近い一軒家で人々の出入りも容易で、母のアウレリアが様々な人との交流を受け入れていたからであり、カエサルはその人々に学び、時に大胆に議論をして、精神的にも強くなっていった。
二つ目は、服装や髪型、部屋の調度品の位置なども、他の若者にはないくらいにこだわった。言葉についてもギリシャ語、ラテン語は言うに及ばず、文字にも大きな関心を寄せ、多くの本を読みあさって実際にじぶんでも試したりしていた。衣類の染色などにも興味を示したり、多方面に細かなこだわりを持っていた。
三つ目の流儀は、ほぼ女性に向けられているものだったが、身分の違う商人や平民、奴隷、流民に対しても差別をすることはなく、大らかだった。
これらはカエサル自身が思っていた流儀を実践していた。
その若者には服装以外にも懸念事項があった。
じつは、独裁官スッラの前に行くことについて、タイミングが悪いと感じていた。数日前に横暴を働いていたコルネリウス組の男たち二人を倒してしまっていた。
コルネリウス組というのは、独裁官スッラがローマを手中におさえたとき、スッラに敵対している、いわゆる民衆派を押さえるために新しく作った組織だった。
それは、健康で、かつ屈強な体格の奴隷を、1万人以上の奴隷を、自分の家門「コルネリウス」を与えたうえで解放奴隷として組織化し、彼らを治安維持という名でローマ市内に解き放った。民衆派を徹底的に弾圧するためのものだった。
さらにコルネリウス組のために、スッラは餌となる処断すべき民衆派の死のリストが作られ、このリストにあがった者はひとり残らず始末、または逮捕することが決められた。
対象になった数は、元老院議員が80人、ローマの経済を支える騎士階級、1,600人、それ以外の人間が5,000人以上と徹底した民衆派の撲滅を目指した。恨まれようが抵抗されようがおかまいなしの怖いもの知らずの組織がコルネリウス組だった。
6700人程のリストに家族が入るとその関係者は家族や奴隷、近親者を含めると5倍以上にもおよび、ローマ市内は混乱し、ローマ市民は大いに慌て、おののき嘆いた。
さらにリストが作成された後に、密告をした者には報奨が出るとされたため、それからはローマ市民同士がお互いを見張り、密告をしてしまうようになった。
市内は疑心暗鬼に陥り、身内が身内をうり、奴隷が主人を売る状態になっていった。
実際にコルネリウス組につかまった人たちは、その場で殺害されるか捕まったにしろ全財産を没収されてしまっていた。その没収された財産をめぐっては、コルネリウス組を束ねるスッラ派のメンバーが接収して、自分たちの利益に変えていた。しかも、これはローマに限らず、以前の民衆派の執政官や議員が決定した、首都ローマ以外に新しくローマ市民となった各都市の有力者をも含んで、イタリア半島に拡大したローマの民衆派全体を根絶やしにしようという活動であった。
この状況になると、もはやコルネリウス組を止められる人はおらず、ただ、リストに名前が載らないことをローマ市民全員が祈っている状態だった。
コルネリウス組は大いに増長し、一般の市民にも手をだすこともあったが、カエサルは自分の流儀を守り、ローマ市内の友人がコルネリウス組に所属する二人に絡まれていたのを助けるという爽快なことをやってしまった。
全く後悔はしていない。
「クソみたいな悪いやつらを倒した。ただそれだけだ。」
そう言い切って友人の元を去っていったが、コルネリウス組を倒したことがばれるとタイミング的には最悪だとも持っていた。
その一方で、呼ばれた内容は今目前でおきたこととは関係ないにしても気まずいものではあった。
先に自分から事実を明らかにして謝るか、全て知らない風でしらばっくれるのか。
少しだけ迷った。
それでも、さすがにあまり相手を待たせ過ぎることは良くないと考えて服を着ようとしていたカエサルに姉のユリアが心配そうに声をかけてきた。
「ガイウス、大丈夫?」
カエサルは、心配そうな姉に向かって笑顔を見せる。
「さすがにちょっと緊張するけどね。正装で行くことに決めたよ。ちょっと他の人には真似できないおしゃれも入れつつね。」
姉は目を大きく開き、弟の神経を疑いながら文句を言う。
「そこはどっちでもいいでしょ。どうやって独裁官にあなたが無害であることを理解していただくかの話をすることが一番大事でしょ。」
カエサルは、そこも大丈夫とばかりに言う。
「そうだね、第一印象は大切だからね。名前で、「ガイウス」っていうとちょっと自分の名前で幼い感じもするから「ユリウス・カエサル、登場いたしました。」
ここで、トーガを軽く開いてうやうやしく頭を下げる。っていう挨拶だと大人っぽいけど、洗礼されていつつも新しい感じがあって良いと思うんだけど、どう思う?」
姉は、あきれながらも、心配そうな顔になって言う。
「あんた、本当に命がかかっているんだから、しっかりしてよ。細かなところもだけど、あのスッラだよ?戦いに出たら負けない、口論でも負けたことがなく、敗者には必ず死をもたらすという冷酷無慈悲な氷の悪魔よ?」
続けていう。
「せっかく、ユピテル神殿の巫女長さまやガイウスのおじい様が口添えしてくれたんだから、リストから外されたお礼を言って、スッラに尽くすくらいのことは言いなさいよ。」
カエサルは、姉の言い分が面白かったらしく笑顔で言う。
「そうだね。でもカエサルの流儀は、大胆不敵であれ、だよ姉さん。スッラだからと平伏するようなことはできないね。でもせっかくなんで、氷の悪魔との会話を楽しんでくるよ。ありがとうユリア姉。」
そういいながら、トーガをまとう手伝いをしてくれた2年前に結婚したキンナの娘コルネリアを見る。カエサルが16歳の時に、時の権力者キンナの願いで実現した政略結婚であったが、結婚後、若い2人は仲良く暮らしていた。家督を継いだカエサルをコルネリアは支えるように努めてきた。そのコルネリアも心配そうだった。
目に涙を溜めて、カエサルを見る。
「独裁官に挨拶をして、すっきりして気持ちよく帰ってくるから、待ってて。」
そう言うと、コルネリアに笑顔を見せた。
カエサルの屈託のない笑顔を見ると、コルネリアは何も言えなくなってしまい、ただ首を縦にふるだけだった。コルネリアにはカエサルが本当に大丈夫か心配だった。
なぜなら、コルネリアの父キンナは、スッラからローマを託されながら、スッラを裏切り、マリウスと手を組んだ裏切者だっだのだ。そのためスッラが東方の制圧をしてローマに凱旋したとき、コルネリアはカエサルに自分が一緒だと危険なので離縁しましょう、と言ったくらいだ。
だが、そのときカエサルは父がやった行動を娘に責任を取らせるのはおかしい、と言ってくれていたから、一緒に過ごしていたのである。
それからも、スッラの動向が気になっていたコルネリアだったが、カエサルを名指しでスッラが呼んだ今、いつ自分の父の話になっても不思議ではない。今までにない不安を抱えて、コルネリアはカエサルを見る。
しかし、カエサルはコルネリアをいつものように抱きしめると軽く頬にキスをして、心配しないで待っていて、というとすぐに背中を向けて手を振って挨拶をし、スッラの命令でカエサルの家に来ていた衛視と共に我が家の外に出た。
外は、日がだいぶ落ちかけていた。
まだ太陽は長い時期だが、それでも、早く話を終わらせたほうがいいだろう。
カエサルが家を出ようとすると、家の入口にスッラの部下である二人と、そのほかに二人、カエサルには見慣れた人影がいた。
彼らはカエサルの奴隷の子である。年齢も近く、小さな頃から一緒に育った仲間である。カエサルから見ると共に生きてきた仲間であり、カエサルを心配して入口で待っていたのだろう。カエサルが求めれば付いていくし、求めなければ見送ってくれるはずだ。
しかし、カエサル本人は、今日は一人で大丈夫だ、と言おうとしたが、二人はカエサルのすぐ横にきて、せめてスッラの公邸の前までは一緒にいき、公邸の前で待つと言う。
カエサルは、それならいい、と言い、スッラの部下とともにカエサルたちはスッラの待つ公邸へ歩いて行った。
カエサルの家は、カピトリーノの丘のふもと、スブッラと呼ばれる庶民が住んでいる一角にあった。一軒家の形でなっていたが、名門貴族というには憚られる程度の一般住宅の広さで、貧乏貴族と言うのが当てはまる雰囲気の家でもあった。
その横にもさまざまな家が立ち並び、カエサルの家の横の一部はすぐにインスラと呼ばれる4階建てのアパートもならんでいて、そこは一般市民が住み、店を出しているところなので日々が賑やかであった。
その喧噪がきらいではなかったが、人々がせわしなく動く日が少しずつ傾いてきだした時間帯。
スッラの部下に連れられて公邸に一緒に歩くということは、彼の知り合いに見られてしまうのが気に入らなかった。
そこで、スッラの部下たちが先に歩くと、自分が罪人のように見えるのは不愉快だ、と思ったカエサルは、先に歩き出し、スッラの部下を連れているように先陣を切った。当然、連れの二人と雑談をしながら。
三人はたわいもない話をしているうちにスッラの待っている公邸についた。
カエサルが二人に待っているように言い、二人は待機をすることになった。カエサルとスッラの部下だけが公邸の中に入っていった。
スッラの住む公邸は代々の執政官に与えられるものだったが、今は独裁官でもあるスッラが住んでいる。
カエサルは改めて、自分のトーガを翻すようにして、スッラの待つ邸宅の中に躊躇なく入っていく。
スッラの部下は緊張した面持ちで、スッラの公邸に入り、執務室に向かう。先ほどまでカエサルも軽口を叩いていたが、相手が無表情で話しかけても何も言わないスッラの従者だけになると18歳の若者も口を紡ぐしかない。
「この公邸は、なかなか荘厳なつくりだな」などと室内を支える石柱や飾りを見ながら、その作りについてひとりごとのように言いながら歩いていった。
執務室の前には、多くの衛視が待っていた。さすがに独裁官様を守るためにもある程度の人数は必要なのだろう、カエサルは従者たちと衛視が確認をするのを待って、執務室に通された。
執務室は非常に大きな部屋になっていて、真ん中中央奥の大きな椅子に座っている瘦身の美中年らしき男を中心に左右にその取り巻きがいる。長身の若い武将や、東方の布をまとった商人のような人など。
いわゆるスッラ派と呼ばれる人たちかがだいたい20人くらいいるか、とカエサルは観察をしながら、真ん中に向かう。
そこに椅子にすわって考え事をしている冷酷な独裁官が待っていた。
スッラは、カエサルが少しおしゃれをしたトーガを身にまとい優雅に歩きながら、静かに自分の前に来ることをじっと見つめながら待った。
そして、カエサルが緊張したそぶりもなく簡単な挨拶をするのを待つ。
「ガイウス・ユリウス・カエサルでございます。本日は独裁官様にお会いできて感謝いたします。」
スッラは、カエサルを見ながら口を開く。
「突然の呼び出しにきてくれてありがとう、ガイウス。君の叔父のルキウスやガイウスとは私も仲良くやっていた。それが先年、私が不在時におきた不幸なできごとで亡くなってしまったことを残念に思う。
そして、君の父についても激務での過労であっただろうと言われているが、本当に残念であった。そんな心が落ち着かない状態であっただろうが、今日は少し君と話がしたいと思ってお呼びしたんだ。」
スッラが同僚の死を悲しんでいる風で、しかし、よどみなく話すのを聞きながらをしっかりと聞き、カエサルは改めて頭を下げる。
「スッラ様、ご配慮ありがとうございます。スッラ様とも一緒に元老院にて働けたこと、我が叔父たちも喜びであったと思います。また父にについてもご配慮いただいたこと本人に変わってお礼を申し上げます。」
とカエサルも流暢に、そして丁寧に独裁官に礼を伝えた。
スッラの周りにいた者たちは、カエサルの落ち着きよう、そしてその礼にのっとったふるまいに感嘆する。
世間のうわさでは、ろくでもない風だったが、このような状況でのこのふるまい。道理をわきまえた、利発な少年だと。
スッラは、そのような場の雰囲気を理解しながら、笑顔を見せる。
「ありがとう。ところで、ガイウスよ。君はローマの街を最近の若者風の服装や、恰好をして歩きまわっていて、多くの若者が君に憧れている、というが本当かね?」
「スッラ様、確かに少しこだわりをもったトーガの着方をしたり、飾りをつけてみたりしていますが、少し私の友が騒いでいるだけであり、多くの若者と言うほどではないと思います。本日も不敬ではありますが、最近のトーガの着方をしておりますが、スッラ様、また回りの皆さまがみて、奇抜であるとか、そういった印象は持たれないのではないかと思います。」
そういって、カエサルは自分のトーガを周りに見せ、軽い笑顔を見せる。
確かに、派手さはなく、ただ、折り目が少し面倒な感じに見える。
周りの人がカエサルに共感しつつあるのを覚えて、スッラはさらに話をつづける。
「ふふ、なるほど。それは悪くないな。私もそういったことを考える時期もあったものだ。
さて若きカエサルよ。君は、服装だけでなく、さまざまな女性とも関わりをもって遊び歩いているという噂がありますが、そのあたりはどうかな?」
カエサルは笑顔で答えた。
「スッラ様の若い頃の遊びに比べたら、子供のままごとのごとくでございます。」
周りから、おお、という声があがる。
「そうだな。わたしも若い頃は大きく羽目を外していたころがあったな。若い頃はいろいろと考え、動くことも大切だと思う。だから勘違いし内でほしいのは、君の振る舞いについて文句を言うわけではないさ。」
そこまで言ってさて、とゆっくり空気を吸いながらスッラがカエサルを見つめる。目は笑っていない。
「君にきてもらったのはただ世間話をするためだけではない。君は今、自分が直面している問題をご存じかな?」
独裁官の表情が冷たく、自分を評価しようとしているのがわかり、カエサルは少しだけ緊張をしつつもスッラを真正面に見据え答えた。
「はい、スッラ様。私は「コルネリウス組」のリストに名前が載っておりました。そこについてスッラ様のご配慮でリストからの削除を考え、私自身を見て判断されようとして、お呼びだしをいただいたと理解しております。」
スッラは、自分の目線を全く気にせず喋る若者を見ながらうなずきながら言った。
「そのとおりだ。私はまわりくどい方法は嫌いだ。だから君の考えを聞いて私自身が最終的な判断をしようと思う。」
そして質問をつづける。
「君はマリウスの意思をつぎ、民衆派を守ることを考えているか?」
「いいえ、そのようなことは考えておりません。」
と即答し改めてスッラを真正面から見据えるカエサル。
「そうか、今後、大人になり、年を重ねれば、元老院に入ることになるだろう。その際はスッラの良い味方となってもらえるか?」
うなずきながら、それでも丁寧にカエサルは切りかえした。
「スッラ様の施策が順当であれば支持いたします。順当でなければ、若輩者の疑問点に対して意見をいただきたいと思います。」
スッラはそこについて、なるほど、とうなずく。
「それは、スッラ自身につくというより、施策が良いものであればスッラにつくという考え方でよいかな?」
「はい、スッラ様がローマに戻ってこられて実施された元老院の増員の検討など、非常に私はすばらしい取組だと感じ学ばさせてもらいます。私もさらに研鑽を重ね、元老院に入りスッラ様の施策をさらに発展させられる人物になっておきたいと考えております。」
スッラは、若者をじっと見ながらうなずく。
年上への物言い、礼儀、表現ともにわきまえられた素晴らしいものだった。
「カエサルよ。元老院は本来そうあるべきなのだ。主だった人物が誤っていたらそれを正し、全体としてローマを良い方向にすすめていくことが求められている。君の考え方は少し理解できた。より多くの事を学び、国家ローマにつくす人になって欲しいと思う。」
さらにいくつかの質問をし、カエサルの回答に理解を示しながら最後に、スッラは笑顔で言った。
「カエサルよ、ローマの理想というのはどういったものだと考えるかね。私の考える理想形態は、第二次ポエニ戦争のときのように、元老院を中心とした国家が一体となって難事に当たれる体制だと考える。君自身はどのように考えるか教えてくれないか。」
カエサルは、スッラに頭を下げながら言った。
「スッラ様、私もポエニ戦争の時の体制は素晴らしかった、と思います。ただ、未だ学びを広げている若輩者。もっと良い理想の形態というのがあるのかもしれませんしないのかもしれません。その問いにお答えするにはまだ私は学び不足なのかもしれません。」
カエサルは、軽い感じで答えた。
これ以上、話は進まないだろうと思われたが、スッラはうすら笑いを浮かべて、
「そんなことはないだろう。君が本当に学びを広げている途中なら、「私もそう思います。」と言えばすむ話だ。違うことを考えているから、学びを広げているところ、だというんだ。」
確かにそのとおりだった。従順にスッラに沿うのであれば「そのとおり」で十分だ。
余計なことを言ってしまったな。
だが、そこで平謝りにするのはカエサルのプライドが許さなかった。
「失礼しました。理想の形がどれかというのは、わかりません。ただポエニ戦争の時の体制は素晴らしかったです。ですがそれよりも優れた体制がある可能性はゼロではないでしょう。そこを探し求めるのはもしかしたら古のギリシャの歴史にさかのぼるか、アレクサンドロス大王の軌跡を辿るか、方法もまた無数にあるように思えます。」
「ギリシャに政治を学ぶものはない。彼らの文化は素晴らしいが、アテネの民主制もすでに廃れたしローマの実情の参考にはならないな。アレクサンドロス大王は英雄だったが、突出した英雄による政治は我がローマにはそぐわないな。」
スッラはさらに饒舌になって、ギリシャとアレクサンドロス大王について語りだした。
少しして、2人でギリシャとアレクサンドロスについて、さらには遠い大国パルティアやさらに遠方の東方の国々の統治体制にまで話をしてしまったことに気が付いたスッラは今まで以上に真剣に、そしてカエサルを食い入るようにみて言った。
「なるほど。分かった。学びを深めたまえ。そしてもしもっと良い形態があったら私に助言をおねがいするよ。」そこまで言って笑顔に戻ったが、顔は笑っていなかった。
二人は互いの目を見て、少しの間沈黙が走った。
スッラは、ふうと息をつき、
「さて、会見はここまでだ。今日は若者と貴重な話ができて楽しかった。それではカエサル、気を付けて帰りたまえ。」
カエサルは、スッラに笑顔を向けて、礼を言い、最後に回りの人々にも礼を言い、完璧にわきまえた態度を披露しながら、自分の自慢のトーガを見せつけるように去って行った。
カエサルが去った後、残されたスッラは、自分の周りの者に言った。
「ユリウス・カエサルは危険だと思わないか。彼は意図して私の質問を逸らせていた。ローマの体制にとって異端分子、民衆派の頭目となる可能性もあろう。コルネリウス組のリストからの削除は止めて、このまま殺してしまったほうが良いだろう!」
周りにいた人々は、そこまで言い切るスッラにあせり、思った以上に礼儀をわきまえた若者だったこと、今の話し合いも独裁官と才気ある若者の素晴らしい意見の言い合いであり、コッタにも約束した助命検討を覆すのは難しいとして、予定どおり、リストから削除すべきだと言ってきた。
多くのスッラに従う者たちがそう言ってきたことに、スッラがさすがに不満を言う。
「君たちにはまったくユリウス・カエサルのことがわかっていない。彼はマリウスなんかより遥に危険だ。何故だと思う?」
自分に問いかけるように言う。
「ずっと従順な風を装っていたが、本当に従順であれば、私が理想の形態の話をしたときに、「はい。」と言えば済む話だった。大抵のものはそうするだろう。なのに、彼はまだ学んでいる途中だからわからないと言った。そして、今までの政治形態で最高の体制であった第二次ポエニ戦争の例をあげても、首を縦に振らなかった。それは、違う理想があるからだ。そして例えばギリシャやアレクサンドロスとしか言わなかった。今はまだ何かわからない、を探すということは私の理想とは異なる。私の理想は元老院を中心とした少数の才能ある者たちが国家ローマのために献身的に活躍する仕組みだ。それこそポエニ戦争の時のようにな。」
周りにいるスッラ派の人たちに言いながら続ける。
「マリウスが100人いる以上に彼は危険だ。やはり殺そう、せめて生かしておくのであれば、捕まえて軟禁しておく必要がある。」
スッラの厳しい言葉に、スッラ派の重鎮である武将が声をあげた。
「スッラ様、先ほどのやりとりで、彼を殺すのは難しいです。せめて何か彼が反逆の意思を見せれば良いのですが・・・。われわれも振る舞いを見ていたし、多くの衛視も見ておりましたがスッラ様に従っているようにしか見えませんでした。この状況で処断は本当に分かりかねます」
スッラはため息をついた。それでも少し落ち着きをとりもどしながら言った。
「分かった。理由をつけよう。私も何が何でも殺したい、というわけではない。彼の手足を抑える手段をつくるか、彼を殺すか、だ。」
少し考えてからスッラは言った。
「カエサルに言うのだ。キンナの娘と離縁し、このスッラの縁戚の娘と結婚するように、と。これを快諾するばよし、快諾しなければ、コルネリウス組にすぐにカエサルを捕まえるように指示しろ。」
スッラは厳しい口調で、すぐにカエサルに伝えろ、と言い放った。
独裁官スッラから、助命の引き換えに突き詰けられた政略結婚した妻との離縁要求。
18歳のカエサルは何を思い、どのように答えるのか?