世界への旅立ち (改)
独裁官スッラとの対談を終えた。
ほっとしながらカエサルの想いとは?
そして、予想しない要求をしてきたスッラにたいしてカエサルはどのように答えるのか?
痩身の若者は、日が傾いてきた独裁官のいたローマの中枢を抜けて、喧噪に包まれた下町スブッラにある我が家に足を進めていた。 その背中に、待機していた従者である体格の良い中肉中背、精悍な顔をしたキロと大きな身体のダインが慌てて駆け寄って話しかけた。
「カエサル、スッラはどうだった。無茶難題は言われてないか?」
「凄まじい力を感じさせる男だったよ。」
カエサルは茶色い目をギラつかせながら、不敵に笑う。
「だが「氷の悪魔」ではないね。己の理想に全てを懸ける熱い男だ。そして確信した。あの男が作ろうとしているローマは今までの延長線上でしかない。すぐに行き詰まるだろう。だから私はローマの外の世界――ギリシャやアレクサンドリアなどを見て回る必要がある。新時代に必要な何かを学ぶためにね。」
「おいおい、呑気に行きたい所への旅の計画か? それよりも死罪は免れたんだな?」
「まあね。」
キロとダインが胸を撫で下ろしたところに、カエサルは言葉を足す。
「いや。処刑のリストからは外れたが、スッラは私をそのまま泳がせる気はないだろう。それに、昼間にボコボコにしてやったコルネリウス組のクズどもの件もある。いったん許されたが、すぐにでも追っ手が来るだろう。……キロ、ダイン、世界を旅する心の準備をしておいてくれ。」
「ま、また俺たちの予想の斜め上を行きやがる……!」キロがカエサルに文句を言う。
横でダインは青い顔をして小さな声でギリシャやアレクサンドリアに本当に行くのでしょうか、と質問をした。
カエサルがダインに振り向いて笑顔で頷くと大きな身体の若者は頭をかかえる。
「嫌だったかい。世界を見て回るチャンスが来たんだよ?」
キロはすぐにカエサルを見て応える。
「悪くねえよ。ローマの外を旅してみたいとは思う。だがな、ダイン、お前どう思うよ?」
ダインは、言葉につまり、「うう、ああ」と言っている。いつものことだ。
キロは、ダインの肩を叩きながら、
「アテネやペロポネスの都市群、アレクサンドリア、世界の都市に行くってのは興味がないわけじゃないさ。唐突さに驚いただけだ。ちょっと決意に時間かかるやつもいるがね。」
と笑いながらダインを見て続けた。
「だが、アウレリア様、ユリア姉様がどんな顔するかなあ。」
と言って、キロはにやりとした。
唯一と言ってよいカエサルの急所を突いてみたのだ。
カエサルもそれを言われると少し焦る。
「ユリア姉は絶対に怒るな。そこは考えていなかった。まっさきに考えておくべきだった。」
うーん、と頭をかかえる。
キロがさらにつついた。
「世界に羽ばたく前に、姉から独り立ちしようぜ、カエサル。」と笑っていう。
三人はお互いに考え事をし、時にダインの肩に手をまわし慰める言葉をかけた。そうこうしながら3人はスブッラの下町にある我が家に帰り着いた。
「カエサル、お帰りなさい。どうだった?」
賢い母と状況を知りたがる姉は帰ってくると同時にカエサルに質問をする。
「スッラは手ごわい男でした。でも私も失敗をしなかった。だから表向き私をそのまま攻撃することはできないでしょうが、何か理由をつけて罪をなすりつけることはしてくると考えます。」
「なるほどね。」
「また、国家についても話をしました。独裁官となったスッラの考える国家の体制は今の体制の強化にあるでしょう。だが、それはローマの衰退を招くだけだとも考えます。」
「だったらあなたはその先にいけるの?」
「いや、ただ違うと感じたので、社会勉強をかねて海外を渡ってみようと考えています。」
「そう、私もそれがいいと思うわ。」母アウレリアはカエサルに同調する。カエサルたちが家に帰る前にアウレリアの父コッタ老からの情報を得ており、スッラがカエサルを危険視していることはわかっていたのだ。だからアウレリアもユリアと共に緊急の「ローマ脱出プラン」を練っていた。キロとダインだけでなく、カエサル家の新しい少年奴隷であるジジ――東方の遊牧民文化を引く家系に生まれ、運悪く奴隷に身を落とした少年――も一緒に連れて行くよう指示された。 カエサルとアウレリア、ユリア姉の話し合いで今日の夜中か明日にでローマを脱出するための準備が緊迫感のある中で開始された。
カエサルたちは慌てていつもより簡素な夕食を急いでとり、準備を急がせる。
その時、
――トントン、と激しく表の扉が叩かれた。
訪れたのは、夕闇に紛れてやってきた『独裁官スッラの使者』だった。
ユリア姉がその対応をしようと用件をうかがうと、使者は厳しい面持ちで、
「ガイウス・ユリウス・カエサルに独裁官スッラの名前で命じる。カエサルは妻コルネリアと別れ、代わりに、スッラの縁戚であるコルネリウス・ソフィアと結婚をするように。」
と要件を簡潔に伝えると、ユリア姉は顔面蒼白になり、頭を下げた。
そして、
「使者様、ご意向は承りました。本人に伝え、改めて使者にて返事をいたします。」
と言いその場を終わらせようとした。
そうすると使者が、
「先ほどまでスッラ様の公邸で話をしていて、もういないとはどういうことでしょう?
私も子供の使いではありませんから、伝えて去るだけではできません。もし、あなたがおっしゃるとおり、ちょっとした外出なら、ここで待たせていただき、スッラ様の意向を直接伝えさせていただきます。」
結局、カエサル自身が対応したほうが良いと、母のアウレリアとカエサルは話をする。そして裏口から出て表口から、風を装って表口からカエサルが家に戻ってきた。
「おや、私の家に見知らぬ客がいるな?」
「ユリウス・カエサル。私はスッラ様の使者である。」
カエサルはうやうやしく頭を下げて言った。
「スッラ様の使者の方、よくぞ我が家に訪れてくれました。まだ晩御飯でできておりませんが、よろしければ食事を取りながら話されますか?」
そう誘ったが、使者は丁寧に断りながら居並ぶカエサル家の面々に言い放った。
「独裁官スッラ様からの命である。ガイウス・ユリウス・カエサルは、今月中に妻コルネリアと離縁せよ。代わりに、スッラ様の縁戚ソフィアを妻として迎え入れよ。さすれば過去の非礼はすべて水に流す」
部屋の空気が凍りついた。 影で話を聴いていた愛妻コルネリアの顔が絶望に染まる。彼女のお腹には、カエサルとの新しい命が宿っていた。母アウレリアも姉ユリアも、息を呑んでカエサルを見た。相手はローマの絶対権力者だ。逆らえば一族もろとも破滅する。
使者は、18歳の若者を諭すように鼻で笑った。
「ユリウス・カエサルよ。お前の結婚は裏切者キンナによる政略結婚だ。あんな女と離縁し、スッラ様の身内になれば前途は洋々だ。賢い選択をしろ」
使者は18歳の若者を諭すように言った。
当然カエサルは従うと思った。
相手はローマの絶対権力者だ。
逆らえば一族もろとも破滅する危険がある。
しかし――カエサルは綺麗に微笑んだ。
その茶色い瞳には、恐怖も、焦りも、微塵も浮かんでいない。ただただ「すました顔」で言い放った。 「使者殿。カエサルの妻が誰であるかを決めるのは、ローマでただ一人、カエサル自身です。」
「な、何だと……?」
脅せば震え上がると思っていた使者は、その拍子抜けするほどの堂々とした態度に言葉を失った。
18歳の少年が、敵をねじ伏せてきたローマ最高の権力者「氷の悪魔」スッラの権威の前に、まるで「今日の天気」でも語るかのように平然と命令を拒絶したのだ。
その底の知れない無鉄砲さに、使者は一瞬、背筋に冷たいものが走るのを覚えた。
「キンナが決めたから結婚したのではない。私がコルネリアを我が妻に相応しいと望んだから結婚したのだ。……どうぞ、そのままスッラ様にお伝えください」 カエサルは完璧な所作で頭を下げ、すました顔で出口を指し示した。
「ス、スッラ様の意向を無視して、ローマに、地中海にお前の居場所があると思うなよ!」 捨て台詞を残し、使者は去っていった。
――扉が閉まった瞬間。
「あんたバカなの!?」と耳を引っ張る姉のユリア。
「痛い痛い! 姉さん引っ張らないで!」
先ほどまでのすました態度はどこへやら、カエサルは情けない声をあげて頭を抱えた。
「だって仕方ないじゃないか! ここでスッラに屈して妻を見捨てるなんて私のとるべき行動ではないでしょう!」
「だからって真向から否定してどうすんのよ?」
「そうだね。これで本当にローマにいられなくなっちゃったな。」
「当たり前でしょ! かっこいいこと言っておいて、ノープランなの!?」
呆れる姉の横で、母アウレリアはクスクスと笑い、そして誇らしげに息子を抱きしめた。
「よく言いました、ガイウス。……でも、これであなたの主義主張も今のローマでは見納めね。さあ、予定通り世界へ飛び立ちなさい。まだ見ぬ東方世界へ、そして知識を生きた経験にするのよ。」
「はい。母様。」
カエサルに反省はなく、ただ未来を見据えていた。
ついにローマを出たユリウス・カエサル。
激怒するスッラが差し向けるコルネリウス組。
若きカエサルが向かう先には何があるのか?




