一章3 「砕けた結晶の記憶」
「――っ、はぁっ!!!?」
三度目、僕は激しい過呼吸と共に跳び起きた。
全身を突き刺したあの『氷獄亜種』の絶対零度の激痛。ボルドが硝子のように砕け、テオが破裂し、アリアが噛み砕かれたあの光景。それらが脳裏にこびりついて離れない。
がたがたと震える自分の両手を見つめる。ブレザーの袖は破れていない。怪我もない。時間は、アリアたちに救われた直後へと三度、巻き戻っていた。
「グルゥゥゥゥ……」
目の前で、巨大な山のような『百眼の魔狼』が藪を割って現れる。
頭上に浮かぶ黒い文字のログは、先ほどと完全に同じだ。
『百眼の魔狼:危険度・災厄級。12秒後、アリアの閃光斬により右側の眼球結晶3つを破損、後退――』
「光よ、我が刃となりて悪を断て!『閃光斬』!!」
視界が真っ白な閃光に包まれる。光の向こうから、赤髪の少女アリアが僕を救うために飛び出してくる。ボルドが大盾を構え、テオが弓を引く。
一分の狂いもない。世界は完璧に、僕の記憶通りに動いている。
(逃げ道なんてない。左の山道へ進めば、二十分もしないうちにあの氷のバケモノに一瞬で殺される。なら、あの三匹の待ち伏せがある『右の街道』を、正面から突破するしかないんだ)
僕は、恐怖で千切れそうな心を執念で繋ぎ止めた。
普通の男子高校生。戦闘力はゼロ。だけど、僕には二回分の『死の記憶』がある。敵がどこから来て、何秒後に、どう動くかをすべて知っている。
「ふぅ……。なんとか、追い払えたね」
百眼の魔狼が森の奥へ撤退し、アリアが剣を鞘に収めて僕の前にしゃがみ込む。
「変な服……。あなた、どこの街の人? 怪我はない?」
デジャヴなんて生易しいものじゃない。三度目となるアリアの優しい問いかけに、僕は真っ直ぐ彼女の緑色の瞳を見つめ返した。
「神代蓮。レン、です。アリア、ボルド、テオ……僕を助けてくれてありがとう。怪我はないです」
先回りして三人の名前を呼ぶと、アリアたちは「えっ!?」と一斉に目を見開いた。まだ名乗っていないはずの仲間の名前を、僕が知っているからだ。
「な、なんで私たちの名前を……?」
「細かい説明は、後で街へ向かう道中でします。それよりアリア、お願いがあります。僕を、このパーティの『指揮官』にしてください。僕の指示に、命を預けてほしいんだ」
「はあ!? おいおい迷子、何言ってんだ!」
テオが呆れたように声を荒らげ、ボルドも怪訝そうに眉をひそめる。当然だ。いきなり腰を抜かしていた素性の知れない現代人が、指揮を執ると言い出したのだから。
だけど、アリアだけは違った。彼女は僕の、死線を何度も潜り抜けて濁りきった瞳をじっと見つめると、ゴクリと唾を呑み込んだ。
「……レン。あなた、さっきの魔獣がまた来るのを知ってるの?」
「来ます。この先にある二差路を『右』に進むと、ちょうど十分後に、さっきの奴を含めた計三匹のガルムに退路を断たれて待ち伏せされる。ちなみに『左の山道』に進むと、二十分で全滅する。だから右を突破するしかない」
その言葉に、ボルドの顔が強張った。ベテランの勘が、僕の言葉を「ただの嘘」ではないと告げているようだった。
「アリア、どうする。こいつの目、ただの素人の目じゃねえぞ。本当に死線を見てきた奴の目だ」
「……分かった。信じるよ、レン。私たちはあなたの指示に従う。だから、私たちを街へ帰して」
アリアが力強く頷く。
よし。これで、駒は揃った。ここからは、僕の仕組んだチャートの時間だ。
僕たちは歩き、あの運命の二差路へと辿り着いた。
右は平坦な街道。左は険しい山道。アリアたちは僕の言葉通り、迷わず【右の街道】へと足を踏み入れた。
「レン、街道に入ったよ。十分後に待ち伏せされるなら、その前に駆け抜ける?」
アリアの問いに、僕は首を振った。
「いや、あの巨体だ、走って逃げ切るのは無理だ。十分後に確実に現れるなら、最初からこちらが『待ち伏せを待ち伏せ』する。アリア、ボルド、テオ。今から言う位置に、それぞれ配置について」
僕は地面に落ちていた枝を拾うと、土の上に素早く陣形を描き始めた。
1周目の戦いで、ボルドがどの方角から襲われたか。テオがどの一撃で殺されたか。その位置を僕は正確に記憶している。
「街道を進んでちょうど十分後。正面の藪から、さっきの個体(一匹目)が現れる。だけど、それは僕たちを引き付けるための囮だ。本命は、その直後にボルドの『右後方』の林から飛びかかってくる二匹目。ボルド、お前は正面の奴を完全に無視して、最初から右後ろに大盾を構えて待機して」
「右後ろ……!? 正面の奴を無視するのか!?」
「僕を信じて。テオは街道の左側にある木の上に登って、正面の奴が現れた瞬間、そこから死角になる
『左側の林の奥』に向けて、最大威力の矢を先制で撃ち込んで。そこに三匹目が潜んでる」
「姿が見えないのに撃つのかよ。……分かった、やってやる」
「アリアは、正面の奴が現れた瞬間、僕の合図で全力で跳躍して。狙うのは足首じゃない。奴の顔面にびっしり生えてる『赤黒い水晶(眼)』だ」
僕はアリアの目を真っ直ぐ見つめた。
「さっきの戦闘で、アリアの閃光斬が顔面の結晶に当たった時、奴は短い悲鳴を上げて大きく後退した。あの脈打つ結晶こそが、奴らの感覚器官であり、最大の弱点だ。狙いを顔面の結晶だけに絞って、確実に一つ、叩き割って」
「顔の結晶……! うん、さっき確かに手応えがあった。分かった、やってみる!」
アリアが力強く頷き、大剣の柄を握り直す。
ボルドとテオも、不敵な笑みを浮かべてそれぞれの配置へと散っていった。
現代人の僕の知識なんて何もない。
1周目と2周目で、僕がこの目で実際に見た事実。それだけをタイムラインに組み込んだ。これこそが、僕たちの必勝のレイドチャートだ。
「戦闘開始まで、あと三十秒。……みんな、死ぬ気で僕の秒数に合わせて」
アリアたちが息を呑み、静かに武器を構える。
「カウントダウン開始。……五、四、三、二、一。――そこだ、アリア、跳べ!!!」
僕の叫びと同時に、正面の藪が爆発し、あの山のような巨躯が姿を現した。
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