一章2 「二周目は、血塗られた茨の道を」
「どっちの道から行きたい? あなたの直感に任せるよ」
森の出口。二つに分かれた分岐点の前で、赤髪の少女アリアが振り返り、僕に笑いかけてくる。
ボルドが笑い、テオが肩をすくめる。
一見、さっきと全く同じ光景。だけど、僕の頭の中には、彼らが肉塊に変わったあの悍ましい『1周目の記憶』が、頭痛がするほど鮮明に焼き付いていた。
右の街道へ進めば、あの山のように巨大な『百眼の魔狼』が、三匹で待ち伏せしている。
行けば、確実に全員死ぬ。
なら、選ぶべき答えは一つしかなかった。
「……左の、山道へ行きましょう。あっちの方が安全な気がします」
僕はガタガタと震える指を隠しながら、草木の生い茂る険しい左の道を指差した。
アリアは一瞬だけ驚いたように緑色の瞳を丸くしたが、すぐに快活に笑った。
「そっか、レンがそう言うなら左にしよう! ボルド、テオ、良いよね?」
「まぁ、迷子がそう言うならな。ただ、こっちの山道は道が悪くて魔物も出やすいって有名だ。気を引き締めて行くぞ」
ボルドが大盾を担ぎ直し、先頭を歩き始める。
僕は心の中で、激しくガッツポーズを突き上げていた。
(変えられた……! 運命の分岐点を、僕は自分の意志で書き換えたんだ!)
戦闘力のない普通の高校生でも、未来を知っていれば全滅を回避できる。
その確信が、僕の胸を微かな希望で満たした。
山道はボルドの言葉通り、傾斜が急で、鋭い茨のツタが足元に絡みつく悪路だった。
それでも、一歩歩くたびにあの巨大な魔狼から遠ざかっていると思うと、足取りは軽くなった。制服のブレザーが枝に引っかかって破れても、そんなことはどうでもよかった。みんなが生きて、街へ帰れればそれで良い。
二十分ほど歩いた時だった。
不自然なほど、周囲の音が消えた。
虫の鳴き声も、風にしなる葉の音も、何もかもが死に絶えたような静寂。
「……ねえ、なんか寒くない?」
アリアが自分の白い腕をさすりながら、眉をひそめた。
言われてみれば、季節は秋口のはずなのに、吐き出す息が真っ白に染まっている。
足元のシダ植物が、パキパキと音を立てて白く凍りついていく。
「おい、冗談だろ……これ、ただの寒気じゃねえぞ!」
テオが声を荒らげた瞬間、頭上から凄まじい質量が降ってきた。
ズゥゥゥゥゥゥン!!!!
地響きと共に、山道が激しく爆発する。
大量の土煙と、それを一瞬で凍らせる氷の霧が立ち込めた。
「ゲホッ、ゴホッ! なんだ、何が起きた!?」
「みんな、下がって――」
アリアの叫び声が、凍りつくような恐怖の咆哮にかき消された。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」
霧の向こうから現れたのは、右の街道にいたガルムとは、明らかに異なる『バケモノ』だった。
サイズは同じく家屋ほどに巨大。だが、その身体は漆黒の毛並みではなく、刃のように鋭い『青白い氷の結晶』で覆われている。背中には、ドクドクと不気味に脈打つ赤黒い水晶。
そしてその頭上には、魔導書の残酷な黒い文字が浮かび上がっていた。
『百眼の魔狼:氷獄亜種。危険度・天災級。極寒の固有結界を纏い、触れたものを一瞬で凍結させる、この森の真の支配者――』
「氷獄……亜種……? 真の、支配者……?」
ガチガチと、恐怖で奥歯が鳴った。
嘘だろ。右の街道にいた三匹は、こいつの『手下』に過ぎなかったのか。
僕が危険を避けるために選んだ左の山道は、この森で最も凶悪な、ボスの本拠地だったのだ。
「っ、テオ! 援護を――」
アリアが大剣を抜こうとした瞬間、氷獄亜種がその巨大な前足を地面に叩きつけた。
それだけで、地面から槍のような氷の棘が波のように迫り、アリアたちの足元を襲う。
「ボルドーッ!!」
「うおおおおおっ!!」
ボルドが反射的に大盾を構え、アリアの前に立ちはだかる。
だが、防げなかった。
魔獣の放つ冷気は、盾に触れた瞬間にボルドの腕を、そして全身を文字通り『一瞬で凍土の彫刻』へと変えた。
凍りついたボルドの身体は、続く氷の槍の衝撃で、ガラスのようにパリン、と軽い音を立てて粉々に砕け散った。
肉の一片すら残らない、無慈悲な即死。
「ボルド!? 嘘、嘘でしょ……ボルドーーーッ!!」
テオが半狂乱で弓を引く。だが、放たれた矢は魔獣に届く前に、周囲の極寒の空気によって凍りつき、地面に落ちて砕けた。
次の瞬間、魔獣の巨大な尾がテオの身体を真横から薙ぎ払った。
凍りつき、脆くなったテオの肉体は、果物のように簡単に破裂し、凍った血の霧が紫色の空に舞った。
「嫌だ……嫌だ、嫌だ!! なんで、なんでだよ!!」
僕は自分の頭を何度も殴りつけた。
安全な道を選んだはずだった。みんなを救うために、僕は左の道を指差したんだ。
なのに、僕の選択のせいで、ボルドもテオも、1周目より何倍も悲惨な死に方をしてしまった。
(僕が殺した。僕がこっちの道を選んだから、みんなが――!!)
強烈な自己嫌悪と罪悪感が、僕の胸をドス黒く抉る。
「レン、逃げて……っ!」
アリアが、血を吐きながら大剣を構えていた。彼女の左半身は、すでに白く凍りつき、動いていない。それでも、緑色の瞳だけは、僕を守るために前を睨みつけていた。
「あなたは、私が、絶対に……っ」
バキッ、と鈍い音が響いた。
魔獣の顎が、アリアの身体を容赦なく横から噛み砕いた。
大剣が地面に落ちて、カランと虚しい音を立てる。
彼女の身体が地面に放り出され、ピクリとも動かなくなった。
「アリアァァァァァッ!!」
僕は叫びながら、アリアの元へ駆け寄ろうとした。
だけど、僕の足は、すでに地面に凍りついて一歩も動かなかった。冷気が足元から這い上がり、僕の身体をじわじわと凍らせていく。
目の前に、氷獄亜種の巨大な顔が迫る。
無数の脈打つ赤黒い水晶が、絶望に歪む僕の顔を嘲笑うようにギラギラと発光していた。
「……ああ、そうか」
凍りつく激痛の中、僕は理解した。
この世界は、普通の高校生が「逃げ道」を探して生き残れるほど、甘い場所じゃないんだ。
逃げちゃダメだ。
安全なルートなんて、最初からどこにもない。
この理不尽なクソゲーを生き残る方法は、ただ一つ。
「逃げない……。次からは、絶対に逃げない……!」
どれだけ死んだって良い。何回心を壊されたって良い。
得られるすべての死の記憶をかき集めて、この世界の理不尽を、魔獣どもを、正面から完璧に
『ハメ殺す』ためのチャートを作る。
それだけが、僕がみんなを救う唯一の道だ。
パリン、と僕の身体が砕ける音が響き、視界が真っ白に染まる。
【――条件達成。ログを引き継ぎ、時間を巻き戻します】
脳内に響く無機質な声を合図に、僕は涙を流しながら、三度、あの始まりの地獄へと意識を投げ落とした。
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