「敵」
「わかってるな?トパーズ、魔力の上がる月の出ている時間だけだ、時間になったら僕がとめるからな」
「ええ、わかってますわ、蒼も頼みましたよ」
ひんやりとした冷気が漂う、禁書庫。
トパーズは静かに瞳を閉じた。
(……お父様が来訪するまで、残り6日。立ち止まっている暇はありませんわ)
すーっと深く息を吸い込み、全神経を研ぎ澄ませる。
次の瞬間、彼女の全身から溢れ出した魔力が実体を結び、彼女と同じ姿をした数体の「分身」へと分裂していった。本体と分身たちが一斉に書棚の列へと飛び立ち、魔力フル感知と並行して目眩くスピードで書物を紐解き始めた。
分身たちが疾風のように禁書庫を駆け巡り、幾千の書物を次々と紐解いていく。トパーズの脳内には、分身たちの視界を通じて怒涛のように文字と情報が流れ込んでいた。
もう月も見えなくなる頃、脳を刺すような情報負荷に耐えながら、彼女はある決定的な事実に突き当たる。
(……おかしいですわ。我が家の記録と、この施設が保管する極秘研究ログの整合性が取れていません……)
分身の一体が棚の奥深くから引き抜いた、重々しい羊皮紙の手記。
そこに記されていたのは、あまりにも凄絶な奪還計画の記録と、見覚えのある筆跡だった。
『——アンバー母上を奪還する。今回も失敗だ』
『——○回目の試み。研究員たちの協力のもと、国民の記憶改ざんの偽装は維持できている』
(……この筆跡は……お父様……!?)
衝撃的な事実に息をのむトパーズ。
手記を読み進めるうち、お父様が残した震える文字が視界に飛び込んでくる。
『——我が一族をはじめ、この世界へと流れてついた“異世界転生者”には、例外なく一つの絶対的な掟が課される。
“入れ替わった人間になりきれ”という、逃れられぬ役割だ。
トパーズたち子どもらもまた、「優しき自分たちの祖母」というあてがわれた配役の姿しか知らされず、それを疑うことすらなく平穏を生きてきた。
本来ならば敬われるべき魂を向こうへ連れて行った。許せるはずがない。
紅子さんまでもが無関係な役割を背負わされている、どれほど不条理で、可哀想なことか。』
「アンバーおばあちゃまが転生者!?紅子さん……?それがおばあちゃまでしたのね!?」
『トパーズたちに偽りの日常を演じさせながら、私自身もまた冷酷な『インペリアル』という配役を全うしてみせよう。
だが欺いてみせる。国民の記憶も、システムそのものも。
本物の母上を取り戻すその日まで、私はこの日記にだけ真実を刻み続ける——』
(私たちが信じていた日常すら「配役」だったなんて……!)
必死でその先の記録を探そうと分身たちをさらに走らせると、研究所のスタッフや周囲の人間たちが残した膨大な協力記録が見つかる。
周囲の研究者たちは、誰一人として冷酷なシステムの手先などではなかった。
むしろ彼らは、自分たちの『アンバー』を取り戻すために、配役を演じ分けながら命がけでお父様に協力していたのだ。
『周囲の記憶を書き換えたように見せかけるため、“偽物のアンバー”を日常に配置する。本物を取り戻すその日まで、システムを欺き続ける。……全員がこの奪還作戦の協力者だ』
(みんな……お父様も、研究者の方々も……全員が「配役」の裏で、命がけでおばあちゃまを取り戻そうとしていたなんて……!)
最初から「敵」なんてどこにもいなかった。
お父様は冷酷な管理者「インペリアル」としての配役を演じ切り、国民や周囲の記憶すら巧みに操作しながら、何年間も、何十回も裏で奪還作戦を指揮し続けていたのだ。すべては、実の母であるアンバーおばあさまを救い出すために。
『諦めるものか。どれほど失敗しようと……全員で必ず、アンバー母上を取り戻す。……そして、立派に育ったトパーズの姿を、あの方に……アンバーお母様に見せるのだ』
「……お父様……ッ!!」
手記に記された自分の名前と、演じ続けられた父の真の愛に、トパーズの視界が強く滲む。
(でも私の知るアンバーおばあさまはもう10年も前に……。……いいえ、処分などされていない!!あのジノの言っていたことは全て私たちを嘲笑うための嘘! お父様が、インペリアルとして皆を守っておられたのですね……ッ!!)
すべてを悟ったトパーズの瞳に一筋の涙が流れた。
月は落ちた。




