危険状態
「びえええぇ……ありがとううーーーー!!」
温かい言葉と優しさが限界を迎えた頭に染み渡り、桃はボロボロと大粒の涙と鼻水を流しながら泣きじゃくった。
「うわっ、汚っ!?」
ルビーが思わず顔をしかめて後ろへ飛び退くと、サファイアが慌ててポケットからハンカチを取り出し、桃の顔に乱暴に押し当てた。
「寝不足と悩み過ぎで情緒がおかしくなってるぞ! 危険状態だ、こんな時のローズは……!」
その言葉を聞いた瞬間、桃は涙と鼻水を拭いながら、ふと目を丸くした。
「あっ……ローズもこうだったの???」
桃の素朴な疑問に、サファイアはハッと息を呑み、気まずそうに目を逸らした。
「すまない、桃……言い間違えた……」
本物の「ローズ」と「桃」がすっかり混ざっていたサファイアの失言に、一瞬静まり返りかけたテーブルだったが——ルビーが豪快に自分の膝を叩いて爆笑した。
「ハハハ! まぁ、見た目も中身もそっくりなら、うっかり名前を間違えるのも無理ねぇだろ!」
トパーズも呆れつつ、どこか愛おしそうに小さくクスッと微笑んだ。
「まったく……ですが、涙も鼻水も出し切って、少しは頭がスッキリしたのではないかしら?」
仲間たちの温かい笑い声に包まれて、桃の胸を満たしていた不安はきれいさっぱり消え去っていた。
「うん! スッキリした! ご飯食べて、列車のところへ行こう!」
情緒不安定な爆発を経て、すっかり元気を取り戻した桃は、差し出されたパンを大きく一口かじりつくのだった。
「えーっと、俺たちの使うのは、これとー、これとー……」
貨物門の近く。大量の資材が積み下ろされる列車のすぐ脇で、ルビーが大袈裟に注文書と金属板を見比べながら、棒読みの演技を続けていた。
それを見守る陰で、サファイアが呆れたようにため息をつく。
「あんなにわざとらしい演技をする必要があるのか……? 完全に向こうの作業員の視線を集めるためのカモフラージュになってるが、配役を間違えたんじゃないか」
「仕方ありませんわ」
トパーズがそっと囁く。
「工具や金属資材の正確な発注手続きを確実に終わらせるには、私が手続き役をやるのが一番確実ですから。こちらを優先すると、あの騒がしい役はルビーしか残りませんもの。……それで、桃、どうですか?」
二人の視線が、陰から真剣な目で列車をじっと見つめている桃へと向けられた。
列車の外装、車輪の形状、蒸気機関の排気口、そして積み下ろされる荷箱の刻印……。じっくりと観察していた桃だったが、やがて肩を落とし、困ったように眉を下げた。
「……何もわからないや……やっぱり私が見ても、意味ないんじゃないかな……?」
自嘲気味に呟いた桃に、トパーズは静かに振り返り、その目を真っ直ぐに見つめて微笑んだ。
「魔力が使えないからこそ、見えるものもありますわ」
トパーズの透き通るような声が、不安で小さくなっていた桃の心に届く。
「魔法に頼り切っている私たちは、時に『魔力』という偏った眼鏡でしか物事を見られなくなりますの。けれど、あなたにはその先入観がありません。物理的な違和感や、人の心の動き……そういうものは、むしろあなたの方が敏感に察知できるはずですわ」
「そうだな」
サファイアも眼鏡のフチを押し上げながら、同意するように頷いた。
「今日は人の往来が多い初日だし、魔力感知なんて目立ったこともできないしな。」
「流石の私でも大人数の中で人払いの魔法をかけても、これだけ優秀な魔法科の生徒もいたら感づかれてしまいます。触る、見る……五感を使って感じてほしいのです」
「五感で……」
桃はゴクリと唾を飲み込み、改めて目の前の巨大な黒い列車に視線を戻した。
魔法の波長や機械の異常なんて、桃には分からない。でも——
金属の不自然な歪みや擦り傷、油の匂い、作業員たちの妙な緊張感や視線の動き。
魔法に頼らない「普通の人間」の目だからこそ気づける“違和感”が、絶対にここにあるはずだ。
「うん……わかった! ちゃんと見てみる!」
桃は力強く頷くと、胸を張って列車の足元へと一歩踏み出した。




