居残り
5時限目、静かな熱気が満ちる実習室。
この授業で行われているのは、魔法具や機械の動力源として最も重要とされる「一定レベルの魔力を波立たせず、淡々と維持し続ける」ための魔力制御訓練だ。
教室の前方には大きな魔力波形モニターが設置されており、生徒たちが集中して魔力を流すたび、スクリーンに緑色の波形が映し出されていく。
しかし、ローズ(桃)の席の波形だけは、まっすぐな平線のままぴくりとも動かない。
それもそのはず、桃はこの世界の人々が当たり前に持っているはずの「魔力」が一切存在しないのだから。
「ローズさん、調子はどうですか?」
足音もなく静かに歩み寄ってきたのは、実技を担当する穏やかな雰囲気の男性教員だった。眼鏡の奥の目元を優しく緩め、心配そうにローズの手元とモニターを見つめている。
「……すみません、先生。どうしても上手くいかなくて……」
ローズ(桃)が申し訳なさそうに身を縮めると、先生は柔らかく首を振った。
「謝る必要はありませんよ。魔力の出力を波立てずに一定に保つというのは、とても繊細で体力を使う作業ですからね。ですが、社会に出て現場を管理する立場になったとき、この『安定した供給感覚』を体で知っておくことは、自分自身や仲間を守るためにとても大切なんです」
先生はトントンと優しくバインダーを叩き、困ったように微笑んだ。
「うーん……焦らなくて大丈夫ですよ。ただ、今日の課題基準まではもう少し練習が必要そうですね。放課後、少し残って一緒に落ち着いて練習してみましょうか?」
(えっ……居残り……!?)
桃の背中に緊張が走る。
放課後は、食堂でトパーズと合流して事故現場へ調査に向かう大切な約束があるのだ。ここで残ることになってしまっては、計画がすべて狂ってしまう。
どうしよう、と焦るローズの前に、隣の席からサファイアとルビーがすっと立ち上がった。
「先生、少々よろしいでしょうか」
サファイアが丁寧におじぎをし、声を落として切り出す。
「実はローズなのですが……先日の列車の事故に巻き込まれて以来、少し感覚が混乱しているようなんです。記憶や体の使い方がまだうまく噛み合っていないようでして」
「そうでしたね、ローズさんはあれ以来久しぶりの魔力の授業でしたね」
先生が驚いて目を見開くと、ルビーも必死な表情で頷いた。
「怪我はなかったんですけど! その時のショックのせいか『魔力の流し方が分からなくなっちゃった』って戸惑ってて……。急に詰め込むと、余計に混乱しちゃうと思うんです!」
「そうだったのですか……。それは気付けず、無理をさせてしまいましたね」
先生は深く納得したように頷き、温かな眼差しをローズに向けた。
「トラウマやショックで魔力の感覚が一瞬途切れてしまうことは、珍しいことではありません。無理に流そうとせず、まずは心を休めることが第一優先ですね。ローズさん、辛いのに無理をさせてしまってごめんなさいね」
「あ、いえ……! ありがとうございます、先生」
「今日の補習は免除にしましょう。サファイアくん、ルビーくん、どうか彼女に付き添ってゆっくりフォローしてあげてくださいね。何か困ったことがあれば、いつでも相談に来るのですよ」
「はい! ありがとうございます、先生!」
先生が優しく微笑んで去っていくと、三人は顔を見合わせて密かにホッと胸を撫で下ろした。
「ふぅ……優しい先生で助かったな、桃」
サファイアが眼鏡を直しながら囁く。
「おう! これで放課後、無事にトパーズと合流できるぞ! さっさと片付けて食堂へ向かおうぜ!」
ルビーの頼もしい声に、桃も温かい感謝を感じながら、深く頷くのだった。




