紅子さん
さっきまでの温かく素敵な時間から一変して、空気が凍りつく。
重厚な応接室の扉の前。トパーズを先頭に、後ろへ3人が並ぶ。
意を決したように振り返ったトパーズが、凛とした表情で桃達に小さく頷いてみせた。
ルビーがそっと桃の肩を叩いてくれ、蒼が震えるの桃手をギュッと握り返してくれる。
コンコン。
「お父様、入りますわ」
扉を開けると、そこにはトパーズの父親——インペリアル氏が佇んでいた。
手際よく運ばれてきたお茶の湯気が、冷ややかな室内で静かに揺れている。
(……トパーズのお父さん。ううん、琥珀のお父さんと同じ魂を持った人……)
不安を微塵も表に出さず、完璧なお嬢様として振る舞うトパーズ。
インペリアル氏は言葉もなく、桃達が提出したディスクオルゴールへ鋭い視線を落とした。
「……親子の会話を楽しみたいところだが。これは、ディスクオルゴールだね? 誰の案だい?」
…知っている——!? 4人の間に一瞬で緊張が走る。
「……その反応を見るに、この中に異世界転生者がいるんだね? 誰だい?」
静かだが、逃げ場のない低音。嘘も偽りも通じない圧迫感。
「……それを知って、お父様はどうなさるおつもりですか?」
トパーズが一歩も引かずに見据え返すと、お父様は静かに、けれど酷情に告げた。
「周りの人間の記憶を上書きする。……転生者にはこの世界の人間として、元からそうであったように生活させるだけだ」
「そんなの……! あんまりです!もう限界ですわ! 魂が同じでも、違う人間なのです! おばあ様にだって、本当の人生があったはずです!!」
叫ぶトパーズを、お父様は冷めた目で見下ろす。
「……お前がずっとおばあ様だと思っていた人はね、『紅子』さんと言うんだ。……彼女からだよ。この時代に存在するはずのない、ディスクオルゴールの存在を聞かせてくれたのは」
どこか遠くを見る目になり、懐かしむように静かに語るインペリアル氏。そしてトパーズを見つめ返し、哀痛な色を瞳に宿した。
「……だからこそ、トパーズ。お前を絶望させたくないんだ」
「……お父様、私はすべて見ましたわ」
トパーズは静かにインペリアル氏へ歩み寄ると、制服のポケットからずっしりと重い鉄の鍵を取り出し、卓上へジャラッと冷たい音を立てて置いた。
「……! それは……『禁書庫』の……!」
インペリアル氏の顔から、一瞬で余裕が消え去った。強張る顔。
「すべて……調べ上げましたわ。この1ヶ月間、この素晴らしいオルゴールを作り上げながら……私達は命を削って、すべての真実を暴きましたの!!」
紅茶の湯気が揺れる。
「……そうか。だがトパーズ、禁書庫を開けたからといって容赦はしない。私は記憶を上書きする」
インペリアル氏が重々しく杖を構えた、その瞬間。
「いくらお父様でも、これ以上記憶操作をなさるおつもりなら……私、お父様に『アンチ魔法』をかけますわ!!」
トパーズの杖先から立ち上ったのは、圧倒的な魔力。完璧な殺気と揺るぎない覚悟。室内の空気を完璧に凍りつかせる。
一瞬の静寂。
インペリアル氏は構えた杖を——そして、力なく吐息を漏らしてそれを机に置いた。
「……本気なんだな」
お父様は静かに手を伸ばすと、オルゴールのネジを巻いた。
部屋の中に、儚く澄んだ『昼の月』の旋律が流れ始める。
「トパーズ。守れるのか? ……『圧倒的な劣等生』として差別され、蔑まれる残酷な重圧から」
「ええ。何があっても」
ポロン……と、オルゴールの最後の音色が溶けるように消えた。
「……分かった。記憶操作は保留にしよう。だが、期限を設ける。……『次の新月』だ」
「新月……?」
トパーズも構えていた手をゆっくりと下ろす。
「それまでに元の世界へ戻る方法を証明してみせなさい。できなければ諦めろ。……これは通告だ」
背を向け、窓の外の濁った空を見つめるインペリアル氏。その口から、決定的な一言が落とされた。
「——桃さん、蒼さん。君たちが帰れることを祈っているよ」
「「「「……!?!?」」」」
全身から血の気が引いた。
(なぜ——なぜ、この人は私達の『本名』まで知っているの……!?)
思考すら凍りつくような絶望的な恐怖。だけど——。
「っ……私、何があっても絶対に帰らなきゃいけないんです……!」
血が滲むほど拳を握りしめ、桃が震える声を発していた。
「この身体は、ローズのものです……! みんなと過ごす時間は本当に温かくて、居心地がよくて……だからこそ! 私がここにいることは、ローズの人生を強奪することなんです! そんな恐ろしいこと、絶対に許されない……!!」
「ふざけないでよお父様!!」
トパーズが悲痛な叫びをあげる。
「期限なんて……! 子供の可能性を信じるのが、親でしょ……!!」
だが、インペリアル氏は一度も振り返らない。ただ、冷徹なまでの事実を告げるだけだった。
「期限に怒りを覚えるのは……お前自身が知っているからだろう、トパーズ」
「……え……?」
「どれほど足掻こうと……その『入れ替わり』は二度と解けないのだと」
「——……っ」
誰も、何も言えなくなった。
紅茶は冷え切っていた。




