うわっ…また来たよ
午前中の授業を終え、昼休みのチャイムが鳴り響くと同時に、桃は机に突っ伏した。
「だからって……経理と数学と雑務、3限連続でやる事ないじゃん……」
げっそりとした声を絞り出す桃に、隣の席のルビーが大きく頷きながら、同じように机に頭を擦り付けた。
「ほんとそれな……! 頭から煙出そうだし、腕もパンパンだっつーの……! なんで普通科ってこんな頭使う授業ばっかなんだよ〜!」
完全に魂が抜けかけた様子の桃とルビーを見て、前を通ったサファイアはやれやれと苦笑いを浮かべた。
「ふふ、まあ二人ほど酷くはないけど……僕もさすがに今日は疲れたな。特に計算が続くと集中力が削られるし」
サファイアは少し額をぬぐうと、心配そうに二人の顔を覗き込んできた。
「放課後まで持つ? 大丈夫?」
「うぅ……持たせる、絶対に……。放課後、図書館に行かなきゃいけないんだから……!」
重い頭をなんとか持ち上げて答えると、ルビーもガバッと体を起こした。
「おうよ! 飯喰って復活すれば余裕だって! 放課後の作戦に備えようぜ!」
机から立ち上がり、三人で食堂へと向かう。
昼時間の中庭や廊下は多くの生徒が行き交っていたが、食堂に足を踏み入れると、そこにはどこかピリッとした空気が漂っていた。
この学園の食堂には、明文化されていない『暗黙のルール』がある。魔法科の生徒と普通科の生徒は、使うテーブルもエリアも明確に分けられており、互いの領域に立ち入ることは滅多にない。昨日の放課後、トパーズの取り巻きたちがわざわざ普通科の席へ乗り込んできたのは、極めて異例で異常な事態だったのだ。
「……あいつら、今日は自分の席に大人しく座ってりゃいいけどな」
ルビーが周囲を警戒するように見回しながら呟く。
三人でトレーを取り、普通科用の空いている席を探そうとした、その時だった。
「うわっ……また来たよ」
ルビーが苦々しい顔で、食堂の入口付近からこちらへ一直線に向かってくる集団を見つけ、声を潜めた。
魔法科の上品な制服に身を包んだ、トパーズの取り巻きの一部だった。昼時の賑やかな食堂の中で、彼女たちが意気揚々と普通科エリアへ踏み込んでくる姿に、周りの生徒たちからもザワザワと緊張した視線が集まり始めていた。
だがその時、食堂の入口付近でまた別のざわめきが起こり、ふわりと上品で華やかな歓声が上がった。
「トパーズ様……!」
人だかりの中心にいたのは、気高き美貌をたたえたトパーズだった。
昨夜、夜の木陰で泥と汗にまみれて必死に魔法を練習していた姿とは打って変わり、今の彼女は誰もが息をのむような気品と冷艶さをまとっている。
こちらへ向かおうとしていた取り巻きたちを制するように、トパーズは静かで毅然とした声をかけた。
「こちらの席は普通科の皆様が普段使われているところですわ。我々が必要以上に近づくのは場を乱します。何か用があるのでしたら、私が聴き受けますわ」
取り巻きたちを嗜めるその威厳ある立ち振る舞いに、周りの生徒たちは思わず感嘆の吐息を漏らす。
しかし、一瞬だけ重なったトパーズの視線。その瞳の奥には、どこか読めない複雑な色が揺れているように見えた。
「あのっ……!!」
昨夜預かったハンカチを渡さなきゃ——その一心で、桃は思わず声を張り上げて一歩を踏み出した。
けれど、食堂の熱気と大勢の生徒たちが行き交う人波に、桃の声はあっけなくかき消されてしまう。
「トパーズ様……っ!」
トパーズを遠巻きに囲む魔法科のファンや取り巻きたち、そしてランチタイムでごった返す普通科の生徒たちがひしめき合い、分厚い人の壁となって立ちふさがっていた。
手を伸ばしても、あと数メートルの距離が果てしなく遠い。桃は近づくことすらできなかった。
ポケットの中にある、小さく折りたたまれた白いハンカチをギュッと握りしめる。
トパーズは取り巻きたちを連れ、毅然とした足取りで魔法科専用のエリアへと歩き去っていく。その背中を見送ることしかできず、桃は人混みの中でただ立ち尽くすしかなかった。
「桃、大丈夫か!? 急に大声出すからびっくりしたぞ」
心配そうに覗き込んでくるルビーと、人混みの向こうを見つめながら静かに頷くサファイア。
「……ううん、なんでもない。……やっぱり、放課後の図書館で探そう」
桃はポケットからそっと手を離すと、前を向いて決意を新たにした。




