006.バガントの群れ
幸い、風下であるらしい。バガントはまだこちらに気づいた様子はない。
大回りをすれば、あの群れには気づかれることはないだろう。結果として少女は弱肉強食の掟に従うことにはなるが。
不安の虫が頭をもたげる。
一匹でも苦労したのだ、五匹にかなうのか?
俺は決して勇者なんかじゃない。
手を貸そうとして腕を食いちぎられるなんて結末はご免だ。
……ふぅ。
臆病風よ、言いたいことはそれだけか?
俺はあの子を助けるつもりでいる。
この世界はどうやらレベルが存在するようだし、バガントは倒せない敵ではない。
もちろん、俺だけで五匹を倒すことは命賭けになるだろうが。というか、たぶん死ぬ。
だが俺も二時間無駄に歩き続けていたわけじゃない。
いくつかの戦法にも気づけたし、『負けない』策もある。
「まずは数値操作だ」
数値操作・弱。
正直パソコンがあるかわからないこの世界で何の意味が、と思っていたが、これはステータスをいじれるスキルだった。
解析スキルと合わせて操作の確認をしていると、弱では全ステータスの30%、数値にして25までを割り振れるようだ。
とりあえず、今の数値を変更しておこう。
HP:15→20 MP:14→1 腕力:7→16 体力:8→16 知力:11→9 魔力:19→1 敏捷:5→16 器用:5
どうやっても0には変更できなかったので魔力とMPは1だ。千影を召喚した状態ならどちらも1に下げたところで問題ないことは検証済みである。
知力をさげることにも若干不安はあるのだが、今は力だ。素早さだ。
最初にあったバガントより更に速い敏捷値である。これで大きく後れはとるまい。余裕があればもう少し敏捷に振りたかったところだが贅沢もいってられない。素のステータスが低いのだから。
それに腕力なら倍の差がある。バガントも、まさかあのしなやかな細い足の攻撃力をさしているわけでもないだろう。
ちなみに、千影の数値操作はできなかった。残念だ。
次に俺は自分の右手を握りなおす。
持っているのは刃渡り18cmの出刃包丁だ。
これは、千影の影収納で一番攻撃力が高そうなのを借りた。
フライパンを盾替わりに使うことも検討したが、ぶっつけ本番で盾術などまともに機能しないだろう。槍替わりの物干し竿も、懐に入られては難儀しそうだ。森では木が邪魔で薙ぐこともできないしな。
あとはシャツの中にまな板を挟んで包帯で固定し、シリコンの滑り止め付きミトンを装備する。
正直ダサいが、これが俺の命を守るかどうかの瀬戸際だ。
「よし、行こう」
俺は千影に小さく呼びかけ、千影は強くうなづいた。
疾駆する体。敏捷は元の三倍以上だが、自分ではそれほど早くなったという感覚はない。千影が僅かに離されているので、確かに速くはなったのだろうが。
バガントの群れはまだ気づかない。どうやら少女をビビらせるだけビビらせたいようだ。悪趣味な。陰湿ないじめ現場を見るようである。
しかしさすがに近づき過ぎたようで、二匹のバガントが不意に顔を持ち上げこちらに気づく。
もう遅い。
俺は包丁を一閃し、気づいた一匹のバガントの首へ仕掛ける。
絶つことには至らなかったが、重傷だろう。中々深く刺さった。
更にもう一匹、一番少女の近くにいたバガントの首を後ろから薙ぎ払う。今度は思いのほかうまくいった。首が彼方へと吹っ飛び、遅れて胴が力なく倒れる。
俺が少女を背に隠すように立つと、突然の闖入者にいきり立ち、うなる二匹のバガント。
俺が派手に立ち回っている隙に、千影は影から這い寄り侵入する。最初俺に気づいたもう一匹のバガントを始末してくれたようだ。良い仕事をする。
遅れて自分の仲間が何匹もやられていることに気付き、ゆっくりと後ずさりするバガント。そのまま逃げる気なら追い打ちを掛けるか、深追いは危険とみるか。
しかしそれに注目しているのがまずかった。
なんと、最初に殺したはずのバガントが、首から血を垂らしながらも俺の腕に食らいついてきたのだ。
なんという根性。さすがに肝が冷えた。
俺は振り払おうとするも、牙は深く腕に刺さる。袖はたちまち真っ赤に染まり、鈍痛は徐々に範囲を広げていく。
「くそっ!」
二度、三度と包丁を振り下ろすと、ようやくそのバガントから顎の力が抜けた。
戦いを甘く見ていたつもりはないが、それでも自分の迂闊さに辟易する。その代償が腕一本で済んで良かったと思おう。
『敵がいるぞーっ!』
下がっていたバガントの一匹が首を曲げ大きく吠えた。そういえばこいつらは遠吠えというスキルがあったな。言葉として聞こえたのは……ああ、言語・全か。
空を向いているのを好機と、千影があっさりとその首を狩った。影撃ちで肘から80cmほどの刃を形成している。これで腕力3とか嘘だろう。大きな補正が掛かっていそうだ。
さて、仲間を呼ばれるのは厄介だ。うまくいくかはわからないが、やってみよう。
『すまん、今のなし! 寝ぼけてただけだった!』
バガントの言語で、同じように遠吠えをする。久しぶりに全力で声を出すから、最後の方は言葉になっていなかったかもしれない。
『に、人間が俺たちの言葉を!』
浮足立つ最後の一匹が俺と千影を交互に見る。千影が三体の影分身を作りバガントの出口を封じると、いよいよ身動きが取れないようでその場でくるくる回りだした。その間も徐々に囲いは狭まっていく。
ついに意を決したようで、俺に向かって突進してくる。背丈や体格は確かに俺の方が良いが、得体の知らない腕を持ち、同じ顔が突然四人も現れた千影の方が恐ろしいと思ったのだろう。
俺も応戦する。ステータスでは上回っているが、先ほど噛みつかれた腕はまだ痛む。早く止血したい。
ステップを踏めればまだ俺を攪乱することもできただろう。しかしこの円陣でできるわけもなく、バガントはやぶれかぶれだ。
腰を深く落とし、相手に合わせるように包丁を振りかぶり――、交錯する前に、バガントは一度痙攣を起こし、そのまま崩れ落ちた。
見れば、千影の腕からは二メートルを越す槍が伸び、バガントを完全に串刺しにしていた。呆気に取られながらも、俺は包丁を下ろす。
「差し出がましい真似をしました」
「いや、助かったよ。追いつめられた獣ほど怖いものもない」
千影は頭を下げ、影分身を解除した。窮鼠猫を噛むということわざがあるぐらいだ。一対一にこだわるより、勝てるなら数で押しつぶした方が良い。
終わったと思うとどっと疲れがこみ上げてくる。
自分でやると決めたとはいえ、ちゃんと勝てたことに俺は大きくため息を吐いた。
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