030.ごろごろ
流石にあのままの二人を放置するのも忍びないため、水を差しだして回復を待つ。目の焦点があったのが十分後、まともに会話ができるようになったのが三十分後である。トラウマにならなければいいが。
「ひどい目にあったっす……」
ハルギッテはそれだけ零した。
「ハルギッテさんの方はメイファさんが引き受けると言ってくださいましたが、何もなしというのも反省できませんから」
どうやら、二人は別々の悪夢を見せられたらしい。
生まれたての小鹿のように震えながら立ち上がった二人は、そのまま宿に帰るらしい。送っていこうか、と提言したが、すぐそこなので、と断られた。
というか、俺たちも泊まっている宿だった。野宿がどうのと聞いた覚えがあったが、結局メイファさんが折れたらしい。こんな状態の二人に野宿など襲ってくれといっているようなものだしな。
さて、帰り道は全く同じなのだが、やはり時間を置いてほしいとお願いされた。やはり早々ショック状態は完治しないらしい。
「それほど怖かったでしょうか……」
千影は余りにも引きすぎではないか、と少々納得がいかないようだった。感想は人それぞれだから仕方ない部分があると思うが。
「わがままをいう程度なら、まぁ、脅しぐらいで済ませてもよかったのですが。ご主人様からはっきりと『No』を突きつけられておきながら、ぐずられると。精進が足りませんね、お恥ずかしい限りです」
「……そうか」
いや、そうかじゃないが。それ以外言うことがない。
たぶん、精進が足りないとかじゃなく、俺が絡むと何年経とうが千影はああなる気がする。森で助けたミーナちゃんにはあからさまな嫌悪感はなかったため、自分の脅威に成り得るか、また俺がどう感じているかで判断しているのだろう。どちらに比率が高いのかまでは知らない。
だが、ハルギッテにはいい薬になったのではないだろうか。メイファさんも、ハルギッテが駄々をこねたら言うことを聞かないと話してたし。子どもじゃないんだから、分別を弁えるのに早すぎるということもないだろう。
そう自分に言い聞かせながら、俺たちも遅れて風の便り亭に着いた。リナールさんが出迎えてくれる。
「おかえりなさい。すぐ食事にしますか? それともたらい?」
「一先ず、汗を流そうか。たらいを」
「はい」
20ゴルド払ってお湯の入った木製のたらいを受け取った。
いそいそと割り当てられた部屋に入る。
汗を早く流したいわけじゃない。いや、勿論それも大事なことだが。
「これは、魔法の練習になる」
渡された木桶に入ったお湯を確かめる。悪くはないが、もう少し熱めの方が俺は好きだ。拳大の火球を木桶に沈めると、少し熱くし過ぎたか。こんどは水を魔法で出し、お湯を薄める。丁度良くなったところを見計らい、服を千影に渡してざぶんと入る。うむ、格別である。多少なりとも苦労したからか、日本にいたときより気持ちが良い。こうなると持ち家で、もっと足を延ばしたい衝動に駆られるが、そうなると旅はそこで終了である。もちろん、根無し草をずっと続けられるとは思ってはいないが、動けるうちは一所に留まりたくない。公衆浴場のようなものがあればそれでいいのだが、少なくともこの町にはない。風呂は古代ローマの時代から愛されていたと聞くし、この世界に全くないということもないと思うのだが……。
「温泉街か海魚か、それが問題だ……」
そう、ここは内陸にあるのか、海の魚は干物の状態でしかお目に掛かれない。確か、南にはカイマール王国という漁業が盛んな国があったはずだ。そちらにいくのも良い。温泉街については、リナールさんに聞いてもいい。いやいや、まずはこの国の首都か。
「ご主人様、終わりましたよ」
今日も三助を買って出た千影の言葉で、俺は妄想の世界から復帰する。いずれにせよ、軍資金はちゃんと調達しないとな。
俺は浴槽から上がり、服を簡単に着るとたらいのお湯を捨ててくるから、と千影に言づけて部屋から出た。
以前言われた通り宿の中庭で捨てると、偶然リナールさんと出会う。いや、彼女はここの従業員だ、偶然も何もないか。
「丁度いいところに。この近くに温泉街ってありますかね?」
「温泉街……ですか。帝国までいくと立派なものがあるらしいですが。この町にはありませんが、温泉だけなら大陸の色んなところで沸いていますよ」
「そうですか……。ちなみに、リナールさんがこの大陸でおすすめする観光スポットとかってありますか?」
「観光……ですか?」
はて、と首を傾げるリナールさん。観光ってそんなメジャーじゃないのだろうか。そこいらを魔獣が闊歩するしな、生き死にがすぐそばで横たわっている世界で何を呑気な、って話か。
「観光に良いかはわかりませんが、アメリ聖国の大聖堂は厳かかつ重厚な作りで、巡礼者の多くが立ち寄りますね。遊牧や服飾が盛んなウィンディゴ公国には大瀑布があり、一見の価値ありとか。
カイマールではとっても大きな……魚? の芸が見られるところがあるらしいですよ。魚って芸覚えるんですね」
「それは……、たぶん、イルカか何かかと」
「イルカ?」
「ええっと、でかい哺乳類の……ああ、哺乳類っていうのは人間とか猿とか犬とかの」
「ええっ、人間と犬と魚って同じなんですか!?」
違うから。いやめちゃくちゃ祖先をたどれば同じなんだろうけど。
思った以上にリナールさんとの会話が弾み、気付けば体感で30分近く話していた。リナールさんはすまなそうに「仕事があるのでこの辺りで」と頭をさげて宿の中へ戻って行った。俺も部屋に帰ろう、すぐ戻るつもりだったから千影を置いてきてしまった。拗ねられないといいが。
部屋の前に立つと、外からでも聞こえる音量で「ごろごろごろごろ」と何かを転がすような音が聞こえる。なんだろう。
俺は部屋のドアを開ける。
「あーっ、ご主人様、ご主人様、ご主っ……」
部屋中を転がりまわる千影と目があった。どうやら千影は俺の服を抱きしめてお楽しみ中だったようだ。失礼。
俺はドアをゆっくりと閉めた。
「違うのです、ご主人様、聞いてください……」
すぐさま千影が部屋の扉を開ける。続けてくれていいよ? 俺はちょっと町の中を散策してくるから。
違うのです、誤解ですと告げる千影に、何も違わないし誤解もないだろうなと思いながら、部屋に戻る。千影は自主的に正座をして頭を垂れた。
「ご主人様の服を洗濯しようと服を持ったとき、気づいてしまったのです。ご主人様の汗や体臭の入り混じった甘美な匂いが溢れ出していることに」
「気付かなくていい」
体臭が甘美な匂いってどういうことだ。
「そこで、私の中の悪魔が囁いたのです。『どうやらご主人様はまだ部屋に戻られない様子。どうせ洗ってしまうのです、暫くこのご主人様の匂いの海で溺れてしまっても誰も咎めはしないだろう』、と」
なるほど、そこで悪魔の誘いに乗ったわけだな? と聞くと、千影は首をゆっくり横に振った。
「私も、それは素晴らしい発想です、と耳を傾けそうになりました。しかし、私の中の天使が囁いたのです。『お待ちなさい、千影よ』と」
ほほう、千影の天使が。何を言ったんだ?
「『まずは、その服を元に影で複製を作るのです。それを交換すれば、その体臭……もとい、服は一生あなたのもの。そして、ご主人様は私の一部を肌に直接纏わりつかせ、人目も憚らず私とご主人様の結合を見せつけ続けるのです。いいえ、そんなものは副産物に過ぎません。朝起きてから寝る時まで、ずっとご主人様と密着していられる。あぁっ、なんと……なんと尊いことでしょうかっ!』と。思わず今期のノーベル平和賞にノミネートするところでした。ちなみにこれが私の影で作った複製品です」
千影に、色、形、共に寸分変わらない服を渡される。
…………。
「そして、後顧の憂いもなくなったので、いざ快楽の港へと船をこぎ出せば、それはもう……。気づけば私は顔を服に埋没させ、くんかくんか、ごろごろごろごろと。これは危険です、危険ドラッグです。人間やめますか、と問われる奴です。でも私は人間じゃないので問題ないです」
「千影、千影」
恍惚の表情を浮かべる千影を、なんとかこっちの世界へ引き脅した。
お前、全然反省してないな?
「…………」
「…………」
たっぷり20秒ほど、俺と千影は見つめ合う。
「ご主人様、お召し物を変えますか?」
千影が複製品の方を差し出してきた。お前やっぱり反省してないだろ!
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