029.あざとい女
「ひっ!?」
当然と言うべきか、爆発的に膨れ上がった圧にメイファさんが怯んだ。直接その圧に触れていない俺がビリビリ感じるほどなのだ、その濃さは推して知るべし、といったところ。しかし肝心のハルギッテはというと、まるで堪えた様子もなくケロッとしている。お前危機管理意識ぶっ壊れてるんじゃないのか。
「お、お嬢様……? あまり、無茶をいうものではありませんよ……?」
絞り出すようにメイファさんが進言する。さりげなくハルギッテと千影の間に体を滑り込ませたのは従者の鑑だ。さながら、暴風雨にさらされる一本の枝葉のように、吹けば飛んでいきそうなのを懸命に堪えている。
しかしそんな決死の覚悟もどこ吹く風と、ハルギッテはごねる。
「私だって、不躾なお願いだってことは理解してるっす! でも、先生以上に私を高めてくれる人はいないっす! 私が良い感じに色仕掛けとくんでここはメイファにも折れて欲しいっす!」
「ひあっ!?」
更に倍率がドンとあがる。近くにいた鳥が半狂乱になりながら飛び立ち、うたた寝していた猫が脚をもつれさせながら逃げていった。たぶん色仕掛けという言葉に反応したのだろう。千影の見た目年齢は中学生程度であり、そういう部分もそれ相応である。一方のハルギッテはというと……。なんというか。胸元を大胆に開けた扇情的なデザインであり、ソコも割とある。世が世なら「コギャル」とでも呼ばれていたのではないだろうか。俺としてはその部分はさほど重要ではないし、最終的なサイズも把握しているので問題ないのだが、千影には深く刺さったようだった。かわいそうなのはメイファさんであり、主に代わって圧をその細い体に一身に受けている。かわいそうに、その顔はみるみるうちに青くなっていき、今にも崩壊しそうであった。
……んー。
そろそろ助け船を出すか。
「悪いんだが、俺は今のところ千影としか旅を共にするつもりはない。この町はもうしばらく滞在するから、いるうちはお前の魔法を見よう。それで勘弁してくれ」
ちゃんと言葉で『千影としか旅をしない』と伝えることで、暴風のように巻き起こっていた殺意がみるみる萎む。うむ、かわいい奴め。メイファさんの方も、安心したようにため息が零れた。
「えー。いやっす。勘弁しないっす。連れてくって言ってくれるまで動かないっす。何すか、何がいけないっすか? ダーリンとか言っちゃったら連れてってくれるっすか?」
そしてそれを平気ぶち壊すハルギッテである。一旦は引っ込んだ圧が再度急速に放出され、全く関係のない町の人すらも怯み逃げ出すほどであった。油断したところを急襲されたメイファさんの頬が、今度は目に見えて赤く染まる。そして感極まったように「ああっ」と小さな嘆きとともに崩れ落ちた。
「どうしたっすかメイファ、こんなところで寝たら風邪をひくっす。お行儀悪いっすよ」
ダメだなあ、と首を振るハルギッテに言いたい。ダメなのはお前の生存本能だ。
「じゃあアレっす、正式な先生として雇うっす。お給金出せばいいっすよね?」
「生徒は募集してないし金にも困ってない」
「それなら、私の祖国に帰るときは爵位を授与してくれるようお父様に頼むっす。最低でも男爵、功績によれば伯爵さまにまで昇格っすよ!」
「俺の話聞いてたか? 貴族にはなりたくないんだって」
「わかったっす! 私のこの瑞々しい体に猛った獣欲をぶちまけたいんすね! 人間はアブノーマルが好きって聞いたことがあるっす。私も覚悟を決めるっす!」
「その覚悟はどぶ川にでも捨てろ」
どうすれば折れてくれるだろうか、と悩んでいるうちに、ふと気づいた。
背中の圧が失せていることに。
「ひえっ! なんすかなんすか? あなた先生の奴隷さんっすよね? あの、私をどこに連れていこうっていうんすか? そっちの道は行き止まりっすよ?」
「ごめっ、ごめんなさい! うちのお嬢様は厚かましさはあるんですが根はいい子なんです! お折檻なら私が全て受けますから、どうかお嬢様だけは、お嬢様だけは……!」
いつの間にか二人の背後を取っていた千影は、そのまま襟首を掴んで二人を土埃で汚しながら引きずっていく。千影の顔は杳として知れない。こんな状況にあってもハルギッテの身を案じるとは、メイファさんのメイド魂には頭が下がる。
道路に文字通り爪痕を残しながら、ハルギッテ達は裏路地へと消えた。
…………。
ふう。
あ、カラスだ。この世界にもいるんだ、カラス。
あー。でも違うかもなー。黒くてそこそこ大きかったらカラスに見えるだけで、実際は別の鳥かもしれないなー。
「なんつう顔してるんだ、お前は……」
俺が軽く現実逃避していると、ガルドのおっさんから声を掛けられる。地雷原でタップダンスするような奴なんていなかったと思いたい。
「うげっ、Fランク!」
「兄貴、うげっとかいっちゃったらまたボコられますよ! 黙ってやり過ごしましょう! あとDに上がったらしいですよ! 二階級特進なんて半端ないっす、いまのうちにサインもらっときましょう!」
その背後にはベノムとディルがいた。解析眼を使うと、既に剣術や短剣術は復活している。そりゃそうか。元々持っていたスキルだし、勘が戻ればスキルも戻るよな。一生失われていたらそれはそれで後味悪いし。ただ、一刀両断や身躱しのステップ等は消えたままだった。まだ扱いきれないだけなのか、ユニークスキルだから一度奪われれば二度目はないのかまではわからない。
「……俺にたかりに来たのはそっちだし、投げた後これで仕舞いにしようといったのを聞かず、人数集めておいて返り討ちにあったのも因果応報だと思うのだが」
「う、うううるせえな!」
ベノムが噛みながら唾を飛ばす。汚いからやめてほしい。
「この馬鹿どもの腕が鈍ってるようでな、ギルドの教官に午前中しごいてもらってたんだ。そして俺が代わりにお前の試験官を買って出た。実際は逆で、お前の力が見たかったから教官に仕事をぶち当てたってのが正確な話なんだがな。あんな剣筋じゃツノウサギにすらやられちまうぞってな。そんで、今は飯食いに向かってる途中なんだが、お前も来るか? ギルドの酒場は良いエールやツマミは入っているんだが、飯のメニューはちぃと貧弱だしな」
おっさんに誘われたが、まだ俺は千影を待たなければならない。いつ戻ってくるかわからないのに引き止めるのも悪いだろう。俺が呼べば飛んでくるだろうが、千影の気が済むまでやらせてあげたい。おっさんも、断れたが特に気にした様子もなく、「そうか」とだけ返した。
「それはそうと、この辺でなんかヤバイ、化け物みたいな魔獣を見かけなかったか? 俺もこれで冒険者稼業は長いんだが、間違ってAランク魔獣のベガロサウルスの縄張りに踏み込んだときと同じか、それ以上の殺気を感じたんだが」
「……あー」
心当たりがないわけではないが。いいよな、別に。言わなくても。魔獣じゃないし。もしかしたら違うかもしれないし。
「いや、知らないですね」
「お前今なんで思いっきり顔背けたんだ?」
なんでもないです。
そこでようやく、千影がハルギッテとメイファさんを伴って裏路地から帰ってきた。憔悴したふたりの顔からは生気と言う生気が完全に抜け落ちてしまっている。
「深淵を覗くとき、深淵もこちらを覗いているってのは、ああいう意味なんっすね……。おっぱい怖いっす……」
「あれは、何? 蠢く触覚、調子の外れた演奏、まだらにある大小の目。潰される。あまりにも巨大な肉の塊に、押しつぶされる……」
これは治療に時間が掛かりそうだ。というか、何をしたんだ、千影。
「少しだけ、お灸を据えました」
少しだけ……?
俺は遠くを見ながら「ああっ、空に、空に」とうわ言のように呟く二人を見ながら、少しってどういう意味だっけと考えていた。
「ご主人様はアザトースをご存知ですか?」
ご存じではないな。あざとさの塊でできた女か?
「私としては、ニャルラトテップの方が近いと思ったんですけどね。そっちは会ったことないんですよ」
ニャルラトテップ……猫っぽい仕草でたらしこむ女だろうか。何故千影はこのタイミングで女の話をしているのだろう。
しかし千影はそれ以上は何も言わず、正気を失った二人を何も映さない瞳で見つめていた。
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