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異世界労務物語 ―女神のオーダー  作者: 月守行


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第十二話 治った日で、終わらせない(二)

「そして」灯は、床の隅に、新しい線を引いた。「帰らなかった人の、残された家族のことです」


 路地の母子の顔が、灯の胸をよぎった。


「稼ぎ手を失った家は、その日から立ちゆかなくなります。だから、亡くなった働き手の収入で暮らしていた家族には、年金を届けます。――ただ、誰にでも同じように、ではありません。受け取る順に、決まりがあるんです」


「順?」管理人が、けげんそうに眉を寄せた。


「はい。まず、連れ合い。配偶者です。次に、子。そのつぎに、父母。それから、孫。さらに祖父母。最後に、兄弟姉妹。この順で、暮らしを支えられていた人が、順に、受け取る資格を得ます」


 灯は、指を折りながら、ゆっくりと数えた。配偶者、子、父母、孫、祖父母、兄弟姉妹。


「ただし、年齢や、その人自身が障害を負っているかどうかで、資格の要件は変わります。誰よりも先に守るべき人から、順に手を差し伸べる。……もし、その資格に当てはまる人が誰もいないときは、一時金として、残された縁者に渡します」


「あの、路地のおかみさんは」ロルフが、身を乗り出した。「亭主を亡くした。子も、いる」


「配偶者です。いちばん先に、支えを受けられます」灯は、静かに言った。「それと――弔いのための費えも、別に、ちゃんと出ます。大事な人を、ちゃんと送ってあげるための支えが」


 ロルフが、ぐっと、唇を噛んだ。


 灯は、床にもう一つ、線を足した。


「それから、いちばん重い傷を負った人のことも。段の、いちばん上――一級と、二級の一部にあたる、重い障害で、日々、人の手を借りなければ暮らせない人には、その介護のための手当ても、別に届けます。そばで支える手にも、支えが要るからです」


「至れり尽くせりだな」管理人が、皮肉めいて言った。


「いいえ。当たり前のことでございます」灯は、動じなかった。「もう一つだけ。まだ療養が続いている人にも、決まりがあります。……療養が始まってから一年六か月。それだけの時が過ぎても、まだ傷が治らず、重い状態が続いているとき」


 灯は、天井を見上げたまま動かない、あの老人の寝台のほうへ、目をやった。


「そのときは、それまでの休業の支えから、傷病の年金へと、支えの形が、切り替わります。ただし――この年金に切り替わったら、それまでの休業の支えは、もう重ねては受け取れません。二つ同時には、支えないんです。形が、入れ替わるのですから」


「……なぜ、そんなに、細かく分けるんだ」


 管理人の声から、皮肉が消えていた。


「傷の重さが、人それぞれ違うからです」灯は、床に引いた、いくつもの線を見渡した。「残った傷。遺された家族。人の手が要るほどの重さ。まだ治らない体。……一つの物差しでは、測れません。だから、その一つひとつに、形の違う支えを、用意しておくんです」


 灯は、顔を上げた。


「治療が終わることと、暮らしが戻ることは、別の話なんです」


 ◇


 満月の夜。


 カストラの砦の広場に、民が集まっていた。灯が、この国にお告げを授けるのは、これで二度目だ。


 祭壇の石段に立ち、灯は、ひとつ、深く息を吸った。


 石段が、ほんのわずかに温かかった。夜気は冷えきっているのに、足の裏だけが。灯は、気のせいだと思って、顔を上げた。


(前のお告げも、まだ、この国を縛っている。その上に、また、私は一言を重ねる)


 一度目の重さを知っているぶん、二度目の重さは、いっそう深く、胸に沈んだ。けれど、あの路地の母子の手の温かさが、灯の背を、そっと押した。


「――女神のお告げを、授けます」


 広場が、静まりかえった。


「傷がふさがっても、残ったものを、見過ごしてはならない」


 光の文字が、祭壇の上に、ゆっくりと浮かびはじめた。


「残った障害の重さを、段で測り、その深さに応じて、支えなさい。重い傷には長く、それより軽い傷には、応じた形で。稼ぎ手を失った家族を、そのまま路地に、放ってはならない。定めた順に、暮らしを支えなさい。人の手を借りねば生きられぬ者には、その手当ても届けなさい」


 民のあいだに、ざわめきが広がった。


 灯は、その一人ひとりを見つめて、続けた。


「支えは――治った日で、終わらない」


 その言葉が、光の文字となって、月の下に、静かに刻まれた。


 ◇


 数日後。


 灯が鍛冶場を訪ねると、火が、戻っていた。


 炉ではない。窓辺の、大きな作業台の上。ロルフが、左手一本で、一枚の羊皮紙に向かっていた。


 炭の欠片を握り、線を引いている。まっすぐな線、なめらかな弧。剣の、図面だった。刃の反り、柄の長さ、鍔の厚み。数字と線が、几帳面に並んでいる。


「……図面引き、ですか」


 灯が声をかけると、ロルフは顔を上げて、少しだけ、照れたように笑った。


「等級に応じた支えを、受け取れることになってね。それで、若い衆に言われたんだ。親方、槌は振れなくても、頭ん中の型は、まだ生きてるでしょう、って」


 彼は、引きあがった一枚を、そっと持ち上げた。


「二十年、この腕で叩いてきた鉄の形が、全部、ここに入ってる。俺が線を引いて、若い衆が打つ。……これなら、片手でも、できる」


 卓の端に、一枚だけ、色の変わった古い図面が広げたままになっていた。灯が目をやると、ロルフは苦笑した。


「ああ、それか。砦の蔵にあったのを、若い頃に写させてもらったんだ。……関節の噛み合わせだけは、どうしても真似できねえ。人の手で引いた線とは、思えねえのさ」


 線は、細く、狂いがなかった。灯はなぜか、広場に片膝をついたままの、あの石の巨人を思い出した。


 遠くで、また、かん、かん、と槌の音が響いた。


 ロルフは、その音に、じっと耳を澄ませた。そして、垂れた右袖のことも忘れたように、静かに言った。


「あの音がね。……また、好きに、なれそうだ」


 灯の目の奥が、じんと熱くなった。


 台の隅では、ロルフの幼い弟子が、木炭で何やら真剣に書きつけていた。のぞきこむと、それは図面ではなかった。「本日、炉の火、順調ニ候。鉄、三本、打チ上ゲ候……」――たどたどしい、報告書きのようなもの。


「あの、これは……?」


「ああ」ロルフが噴き出した。「神官様が、毎晩、星に向かって、なにやら唱えてるだろう。あれを、うちの坊主が呪文だと思い込んでな。神官様みたいに書けば、いい鍛冶師になれるって、真似してるんだ」


 灯の頬が、かあっと熱くなった。


(あれは、月報です。女神さまへの、業務の月報で……呪文では……)


 けれど、言い訳するのはやめて、灯はただ、その小さな報告書きに、そっと目を細めた。


 ◇


 路地の隅は、もう、空っぽだった。


 灯が母子の新しい住まいを訪ねると、灯のともった小さな家の窓辺で、あの女の子が、父の火ばさみを、大事そうに磨いていた。


「年金が、届くようになったんです」母親は、目を潤ませて言った。「あの人の稼ぎのぶん、これからも、女神さまが。……弔いも、ちゃんと、してあげられました」


 女の子が、磨きあげた火ばさみを、窓の光にかざした。母親は、その小さな肩を、そっと抱き寄せた。


「見て。とうちゃんの道具、こんなに光ったよ」


「ほんとうね」母親は、涙をこらえて、微笑んだ。「……とうちゃんが、まだ、守ってくれてるのね」


 灯は、戸口で、静かに頭を下げた。それ以上、中には入らなかった。守れた暮らしの温かさは、そっとしておくのが、いちばんいい。


 ◇


「神官どの」


 砦の門で、太い声が灯を呼び止めた。ガウェインだった。よく休み、本来の力を取り戻した騎士団長の背は、山のように大きい。


「あの母子のことを、あんたが路地で拾い上げたと聞いた。……礼を言う」彼は、めずらしく、言葉を選ぶように言った。「戦で人を失うのは、幾度も見てきた。だが、失われたあとの暮らしまで見届けたのは、初めてだ。守るというのは、剣を振るうことだけではないのだな」


「団長さん」灯は、微笑んだ。「……わたくしは、あの路地を通りかかっただけでございます。ただ――あなたにあの名簿を見せていただいていなければ、そのまま通り過ぎていたかもしれません」


 ガウェインは、ふっと笑い、砦の奥へと去っていった。


 灯は、カストラの砦を、ひとり歩いた。夕日が、石壁を赤く染めていた。


(治療が終わることと、暮らしが戻ること。それは、別の話)


 傷は、治ったかどうかだけでは、測れない。深さを見て、その後の暮らしまで、支える。当たり前のことのようで、この国では、誰も、やってこなかったことだ。


 夕日の中を歩きながら、灯の胸の奥に、まだ、あの絵が残っていた。


 傷の深さを、段として視分けた神官。その頁のわきの、古い石像。頬に、涙を一粒、流しかけたまま、止まっている、あの石の像。


 なぜ、あんなにも胸が騒いだのか、灯には、わからなかった。ただ――目を閉じると、その絵が、まだ、目の奥に残っている。


 大陸に、また一つ、灯がともった。


 路地では、あの母子が、粥の器を二つ、卓に並べているころだった。湯気が二つ、同じ高さで立つ。

■今回のオーダー


治ったあとに残った傷は、その重さを段で測るの。重い一級から七級までは年金として毎年ずっと、軽い八級から十四級までは一時金としてまとめて。それとは別に、傷を負ったことへの見舞いの支給も添えられます。手は、離さないの。


稼ぎ手を亡くしたご家族には、遺族の年金を。受け取る順は、配偶者、子、父母、孫、祖父母、兄弟姉妹。年齢や障害の要件を満たす人から、順に。当てはまる人がいなければ一時金で、弔いのための葬祭料も、ちゃんと別に出ます。


いちばん重い一級と二級の一部で、日々人の手が要る人には、介護の給付を。そして療養が一年六か月を過ぎても治らず重い状態が続くときは、休業の支えから傷病年金へ。切り替わったら、休業の支えとは重ねて受け取れないの。形を変えて、寄り添い続けます。


◇


■今回の学び(社労士試験対策)


・障害(補償)等給付: 治ゆ後に残った障害の程度に応じて支給。障害等級1〜7級は年金、8〜14級は一時金。障害特別支給金(一時金)も併給。

・遺族(補償)等給付: 生計維持されていた遺族に年金。受給資格者の順位=配偶者→子→父母→孫→祖父母→兄弟姉妹(年齢・障害要件あり)。受給資格者がいないときは遺族(補償)等一時金。葬祭料(葬祭給付)も支給。

・介護(補償)等給付: 障害等級1級・2級の一部で現に介護を受けている場合。傷病(補償)等年金: 療養開始後1年6か月で治らず傷病等級に該当するとき(休業給付とは併給しない)。


◇


■一問一答(社労士試験の頻出論点から)


【問】労働者の死亡の当時その収入によって生計を維持していた妻は、年齢及び障害の状態にかかわらず、遺族補償年金の受給資格者となる。(◯か✕か)


(答えは、次の話の一回めの後書きで)


◇


次回予告:第十三話「次の一歩までの橋」――渡りの季節が終わると、仕事がいっせいに消える国ミグラへ。

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